拾弐
陽光が燦々と降り注ぐよく晴れた日。洗濯籠を抱えて庭先へやってきた私は真っ青な空を仰いだ。季節はすっかり秋も深まり、まもなく冬がやってくる。日差しは暖かいが頬を撫でる風は冬そのもので、その冷たさにぶるりと背筋を震わせる。さっさと干して部屋に戻ろうと早速大量の洗濯物に取り掛かった。最後の一枚を干そうと見慣れた羽織を手に取る。煉獄家に代々引き継がれている炎の紋様があしらわれたこの羽織は杏寿郎さん愛用の一品である。鬼殺隊の隊士はこうした羽織を隊服の上から着用することが多い。それぞれの個性が引き出された色とりどりの羽織はどれも素敵なものばかりでだ。私は羽織を着用していないので素直にいつも羽織を着用している方々を羨ましく思っていた。着用すること自体に決まりがあるわけではないのだが平隊士である私が羽織を着用することはどうも恥ずかしく、手を出せずにいたのだ。いつか自分に似合いそうな生地に出会えたら、羽織を作ってみるのもいいかもしれない。
そんな小さな楽しみを噛みしめ、杏寿郎さんの羽織を丁寧に干し終えたと同時に羽織の持ち主がひょっこりと姿を現した。
「ここにいたか!」
「お帰りなさいませ、杏寿郎さん。柱合会議はいかがでしたか」
洗濯籠を持ち上げて彼の元へ歩み寄る。
今日は柱合会議だっただめ、朝餉をとられるとすぐに杏寿郎さんは親方様の元へと向かわれた。お帰りはもう少し時間がかかるだろうと思っていたのだが、今日は珍しく早く会議が終わったらしい。
「皆、俺が羽織を着ていないことに不思議そうな顔をしていた!」
「まさか朝餉の味噌汁を零したなんて思ってもいらっしゃらないでしょうね」
「よもやよもやだ!あれは完全に油断していた!」
近頃任務続きで少々寝不足気味でおられる杏寿郎さんは今朝に限って寝坊なされてしまったのだ。定刻の時間に起きてこられないことを不思議に思った私が様子を見に伺うと、彼は気持ちよさそうにすやすやと眠っておられた。あまりに穏やかに眠っておられたのでこのままにしてあげたいところだったのだが、なんといっても今日は柱合会議の日。遅刻などもっての外である。心を鬼にして杏寿郎さんを眠りの世界から引きずり戻し、大慌てで支度をお手伝いした。寝坊はしても朝餉は食べると言って聞かないものだから全く困ったものである。その結果、洗濯を終えたばかりの隊服と羽織に味噌汁を派手に零してしまったのだ。
「火傷されなかったのが幸いです。染みも残らずに綺麗に落ちましたのでご安心ください」
「ありがとう!名前にはいつも世話をかけてばかりだな!」
こうしたおっちょこちょいな一面が見られることも妻の特権である。なにはともあれ、杏寿郎さんに怪我がなくてよかった。
「そうだ!親方様より名前に伝言を預かっている!」
「親方様からですか?」
「なんでも今日の午後産屋敷邸に、とのことだ。なにか心当たりはあるか?」
「いいえ…。まったく心当たりはございません」
最後に産屋敷邸へ伺ったのはどれくらい前のことだったか。確か記憶では兄が殉職されて以来である。わざわざ親方様が私を屋敷に呼びつけるとは重大な何かをしでかしてしまったのだろうか。ここ最近は任務での失敗もなく、報告書も期日通りに提出していたはずだ。
心当たりはないにしろ、親方様直々のお呼び出しである。些か心配なところではあるが昼餉を頂いたらすぐに産屋敷邸へ伺うことにしよう。
* * *
「よく来てくれたね、名前。元気そうで何よりだよ」
「親方様も御壮健でなによりでございます」
あまね様に手を引かれていらっしゃった親方様に深々と頭を垂れてご挨拶を申し上げると親方様は穏やかな心地の良い声音で私にそう仰った。ゆっくりと顔を上げるといつもと変わらない優しい微笑みを浮かべた親方様と親方様に寄り添うようにお隣に控えられているあまね様の姿があった。
「急に呼び出してすまなかったね」
「いいえ。こうして親方様と直接お会いすることができ、光栄でございます」
「ありがとう。新しい生活にはもう慣れたかな」
私が杏寿郎さんと夫婦になったことは勿論親方様も存じ上げられている。婚姻の報告に伺った際、親方様はとても驚いていらっしゃったがまるで自分のことのように喜んでくださった。あの頃はよそよそしかった私と杏寿郎さんも、以前と比べると随分と夫婦らしくなってきたように思う。これも私の気持ちを一番に優先してくださっている杏寿郎さんのおかげである。
「杏寿郎さんにはとても良くして頂いております。私には勿体ないほど素敵な方です」
「ふふ。今朝その言葉を杏寿郎からも聞いたよ。幸せそうで何よりだ」
にっこりと微笑まれる親方様のお言葉に頬が熱くなる。まさか柱合会議で杏寿郎さんがそのようなことを仰っていたなんて。これはまた胡蝶様に揶揄われるに違いない。
赤面する私に「これからも仲良くするんだよ」と仰る親方様に再び頭を垂れた。
「今日、ここへ来てもらったのには名前にお願いがあってのことなんだよ」
「私に、でしょうか?」
お願い事とは全く予想もしていなかった事柄である。伏せていた顔を上げると親方様は大きく頷いて見せられた。
「長年空席であった光柱へ就任してくれないだろうか」
親方様のお言葉に思わず目を見開いた。
私が光柱に就任するなど許されるはずがない。本来光柱には殉職した兄が就任する予定であった。兄ほどの実力があれば、長年空席であった光柱へ就任されても申し分なかったはずだ。現に周囲からも是非光柱へと声が上がっていたほどである。しかし光柱の就任を目前に兄が殉職されたため、光柱は再び空席となるはずであった。兄よりずっと劣る私が兄の代わりに光柱へ就任することなど父もひどく反対なさることだろう。光柱が再び誕生すること自体は喜ばしいことであるが、私にそのような重責が務まるはずがない。
あまりの動揺で言葉を紡げない私に親方様が続けられる。
「名前は気付いてないかもしれないね。君の実力は殉職した尊に凌ぐものであるということに」
「まさか!そのようなことはありえません!兄は私よりずっと強い剣士でした!」
「そうだね。確かに尊は素晴らしい剣士だった。けれど、名前も尊と同様に素晴らしい力を持った剣士だよ」
親方様の言葉を受け入れられず、戸惑いを見せる私に親方様は「階級を示してごらん」と仰られた。それに従い、隊服の袖を捲り上げ、ぐっと力を込めると手の甲に「甲」の文字が浮かぶ。それは柱への就任の条件の一つである階級であった。つい先日までは「乙」であったはずなのに、気付かぬうちに階級が上がっていたのだ。
「鬼の討伐数もとうに五十を超えている。その実力と人間性を合わせて名前の柱就任は相応しいと言えるんだよ」
「そんな…」
「自信をもちなさい。名前は強い。きっと君が思っているよりもずっと」
本来ならば柱への任命は身に余るほどに光栄なことである。だが、父や兄のこともあり、それを拝命することができない。ぎゅっと唇を噛んで、視線を落とす。
親方様はあまねさまに支えられながら立ち上がられると項垂れる私の前へ膝をつき、その優しい手を私の震える手に重ねられた。
「すぐに返事をする必要はないよ。杏寿郎にも相談して、ゆっくりと考えてくれるといい」
杏寿郎さんはどのように仰るだろうか。杏寿郎さんの優しい顔を思い出し、私は一刻も早く彼の元へ帰りたくて仕方がなかった。