参
煉獄様へ嫁ぐその日。紅差しの儀を終え、ゆっくりと瞼を上げるとそこにはとても優しい笑みを浮かべた母がいた。母は瞳に涙を溜め、何度も何度も綺麗だと褒めてくれた。鬼殺隊である娘の花嫁姿を見ることなどきっとどこかで諦めていたのだろう。
開け放たれた障子の向こう側を見やる。まだ秋には早いだろうに今日は随分と空が高い。どこまでも広がる真っ青な空に兄を想うと不思議と心が穏やかになった。
母との最後の時間を甘受しているとそこへ父がようやく姿を見せた。白無垢姿の私を瞳に映しても父は何ひとつ表情を変えることはない。仕方のないことだ。こみ上げてくる想いをぐっと胸の奥にしまい込むと、そのまま頭を垂れる。
「父上、母上。今日までありがとうございました。名前は煉獄杏寿郎様の元へ参ります」
* * *
煉獄様の元へ嫁ぎ、早五日。煉獄様の住まわれているお屋敷は私が想像していたよりもずっと広く、それはもう立派なものだった。初めこそあまりの広さと部屋数に屋敷の中で迷子になってしまうこともしばしば。慣れない環境にどこか息苦しさを感じながらも、なんとか妻としての務めを果たそうと日々奮闘していた。
「姉上。おはようございます」
「おはようございます、千寿郎さん。今日はとても良い天気ですね」
炊事場で朝餉の準備をしているとそこへ千寿郎さんがやってきた。まだ随分と早い時間であるはずなのに本当に彼は早起きである。
千寿郎さんは煉獄様の弟君だ。煉獄様と瓜二つの容姿であり、初めて会ったときは思わず見比べてしまったくらいだ。彼は私が煉獄様の元へ嫁いだその日からとても良くしてくれて、戸惑ってばかりの私の手助けをしてくれた。しかしその一方で父上の槇寿郎様は私だけではなく、煉獄様や千寿郎さんのことも邪険に扱われているようだった。父に拒絶されて肩を落とす千寿郎さんの後ろ姿がどうしても自分に重なってしまい、その姿を見かける度に胸が痛んだ。聞いた話では、槇寿郎様は元炎柱であられたようで、奥方であった瑠火様が亡くなられて以来様子が変わってしまわれたそうだ。
「もう少しゆっくりお休みなさって良かったのに」
「いえ!もうすぐ兄上が任務より帰ってこられると聞いて急いで支度して参りました!」
「先ほど私の鎹鴉が報告に来ましたので直に帰ってこられるはずですよ」
祝言の夜、私と煉獄様は床を共にすることはなかった。緊急招集がかけられたからだ。申し訳なさそうに任務に向かう彼を見送った私は密かにほっと胸を撫で下ろした。夫婦になるということは当然彼ともそのような関係を持つということだ。なにより妻になった以上、煉獄様との子を成さなければならない。頭では理解していたはずだが、実際にそのような状況を前にすると逃げ腰になってしまっている自分がいた。いつかは覚悟を決めなくてはいけない。しかし、その覚悟をまだ私は持ち合わせていなかった。
夫となった煉獄様がもうすぐ任務から帰ってくる。包丁を握る手に力が入ったことを悟られないように、切り終えたさつま芋を味噌汁の中へと落とした。
「さつま芋の味噌汁は兄上の好物なのでとてもお喜びになられると思います!」
「千寿郎さんに教えて頂いたので早速今日の日に合わせて作ってみました。千寿郎さんの作る味噌汁より、味は落ちてしまうと思いますが」
そう言えば千寿郎さんは慌てたように首を大きく左右に振ってそれを否定した。煉獄様が仰った通り、本当に可愛らしい弟君だ。その様子にくすくすと笑みを零すと千寿郎さんはまた一段と眉を垂れさせた。
膳に料理を盛り付け、ひと段落とばかりに小さく息を吐くと洗い物をしてくれていた千寿郎さんがその手を止めた。
「姉上は光の呼吸を使われるのでしたよね。日輪刀は何色なのでしょうか」
「私の日輪刀は少し特殊なのですよ」
「特殊…?」
「ええ。鞘に納めているとき、または呼吸を使っていない時は白色、呼吸を使うとその刃は薄水色に変わるのです」
光の呼吸は炎の呼吸や水の呼吸とは少し変わった呼吸である。扱えるのは一族の血を引いていることが絶対条件。さらにそれに加え、呼吸を使った際に刃の色が変わらなければ正統な継承者とならないのだ。幸い、私も兄のように刃の色が変わったので光の呼吸を継承することができた。初めて日輪刀を父の前で抜刀した際のことは今でもはっきりと覚えている。睨みつけるような厳しい視線の中、どうか刃の色が変わりますようにと祈りながら抜刀したものだ。
「すごいです!姉上は選ばれしお方なのですね!」
「まさか。私はたまたまですよ。私より兄のほうが正統な継承者でした」
任務から帰ってくる煉獄様のために湯を沸かしていることを思い出した私は少しこの場を離れると千寿郎さんに告げようと彼を見やる。すると彼はぽつりと呟いた。
「私の日輪刀は色が変わりませんでした」
ひどく悲しそうな声だった。今にも零れ落ちそうな涙を浮かべてそう呟いた千寿郎さんの手は微かに震えていた。思わず駆け寄ってその手をとる。耐えきれずに千寿郎さんの瞳から零れた涙がぽたりぽたりと私の手を伝う。
「本当は私が兄の継子にならなければいけませんでした。だけど私は…」
幼い頃からの重圧。きっと彼はそれに応えられるよう努力し、ずっと耐えてきたのだろう。炎柱である兄の後を追って、厳しい鍛錬にも耐えてきたのだろう。血を吐くような鍛錬をどれだけ積んでも、千寿郎さんの日輪刀の色が変わることはなかった。それがどれほどまでに辛いことであっただろうか。
目の前の千寿郎さんがまるで幼い頃の私を見ているようで胸が締め付けられた。
「日輪刀の色が変わらずとも、千寿郎さんが後ろめたさを感じることはありません。千寿郎さんは千寿郎さんにしかないものをたくさん持っておられるのですから」
「私にしかないものなんて…」
「たくさんありますよ。例えば、こうして私が不自由なく煉獄家で生活できているのも全て千寿郎さんのおかげです。貴方の優しさと思いやりがあったから、私はこうしてここで暮らしていくことができているのです」
貴方のおかげで私は救われているのです。
そう言うと千寿郎さんはぽろぽろと大粒の涙を流して、その場に座り込んだ。私は千寿郎さんに続いて、その場に座るとそっと彼の肩を抱いた。
少しでも、その背負っていた重荷が軽くなるようにと。