漆
新婚旅行を兼ねた任務も無事に終わり、日常が戻りつつあった。杏寿郎さんとの約束である恋柱様とは任務の都合で中々お会いすることができずにいるが、都合さえ合えば是非とのお返事を頂けたそうなので一安心である。早朝に任務から帰還された杏寿郎さんは現在自室にて休養を取っておられる。彼が起きてこられるのは恐らく昼過ぎになるだろう。千寿郎さんは買い出しに行ってくださっているのでそれまでに屋敷の掃除を終わらせなければ。予定よりも手間取ってしまい、少々焦り気味で門前の掃き掃除をしていると遠くからよく知った鎹鴉が私の方へ向かって飛んできた。いつものように右腕を差し出してやると行儀よくその腕に降り立つ。
「応援要請!応援要請!至急南東ヘ向カエ!」
「至急?一体何があったの」
「既二現地ニテ隊士ガ複数死亡!鬼ノ詳細ガ不明ノ為、気ヲ付ケテ向カエ!」
複数人の死亡者が出ている上に応援要請ということはそこにいる鬼はある程度の力を持った鬼に違いない。詳細こそ不明とのことだが、柱ではなく私に指令がくるということは十二鬼月ではないということか。階級を上げる速さは兄と比べると雲泥の差であったが、鍛錬の成果もあり現在の私の階級は乙。今日のような柱が向かうほどではない場合に応援要請がかかることも少なくはなかった。
「すぐに支度をして向かうわ」
お休み中の杏寿郎さんを起こしてしまうのは申し訳ないが、任務に向かうことは報告しなければならない。鎹鴉に外で待機するように伝え、急ぎ杏寿郎さんの元へと向かう。
「お休み中失礼致します。応援要請により、これより任務へ向かいます」
部屋には入室せずに外から伝えると杏寿郎さんが動く気配を感じた。そして間もなく、障子が開けられ、杏寿郎さんが姿を見せた。
「緊急か?まさか君一人で向かうのか」
「私以外にも応援は駆けつけるはずですが、現地ではすでに隊士が複数やられているようです。すぐに私も現地へ向かいます」
「俺も共に行こう!」
「いいえ。杏寿郎さんは今朝帰ってこられたばかりです。心配なさらず、屋敷でお休みになってください」
「しかし!」
すぐに隊服に着替えようとする杏寿郎さんを止めると彼は納得がいかないという表情で眉を顰める。しかしこれは私の任務だ。杏寿郎さんを巻き込むわけにはいかない。
「どうか名前を信じてくださいませ。必ず、必ず貴方の元へ帰ってきます」
私の命は杏寿郎さんの妻となると決めたあの日から貴方のものです。
そう告げると杏寿郎さんはハッとした表情を浮かべ、唇を固く結んだ。鬼殺隊の隊士を続けることを許した手前、これ以上私を止めることはできないと理解したのだろう。
「必ずだぞ!必ず、ここへ帰ってくるんだ!」
彼の言葉に大きく頷いて見せると私は急いで現地へ向かった。
鎹鴉に先導を受けてたどり着いたのはとうに日が沈み、辺りが夜の闇と静寂に包まれた頃であった。ただでさえ光が届かなさそうな山奥に門を構える廃寺からはおどろおどろしい気配が立ち込めている。そのあまりの邪気に息苦しささえ感じるほどだ。
途中で合流した隊士達と共に草木の影からジッと廃寺の中の様子を窺うもそこからは物音の一つも聞こえない。しかし、ここにはかなりの力を持った鬼がいる。そう誰もが確信していた。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。突入か待機か。いよいよその決断が迫られた時であった。
耳を塞ぎたくなるような断末魔が辺りに響き渡った。その場に待機していた全員が断末魔が聞こえた方へ目を向けると想像を絶する凄惨な光景が目に飛び込んできた。神話でしか聞いたことがない八岐大蛇のような風貌をした鬼が隊士の四肢を引きちぎっていたのである。断末魔を上げる隊士の様子を見て一つの胴体から伸びた八つの頭が引き千切られた四肢から噴き出した血を浴びようと奪い合い、間もなく一つの頭がばくりと隊士を頭から喰らう。それだけでない。なんとその大蛇を崇めるかのように複数の破戒僧と思われる人物達が周りを囲んでいたのだ。
そのあまりの凄惨な光景はその場にいた隊士でさえも嘔吐してしまうほどであった。幾度となく凄惨な現場を経験してきた私でさえも、目の前の光景には目を覆いたくなるほどだ。これが元々は人間であった者の行いとは決して信じられない。日輪刀を握っていた手が怒りで震え始める。
そして八岐大蛇が破戒僧達に差し出された次なる人間を再び喰らおうとした瞬間に私は飛び出した。
「光の呼吸壱の型、明鏡止水」
閃光が夜の闇に走ると同時に破戒僧達の集まっていた足元にぼとりと大蛇の頭が一つ地面に転がり落ちた。恐怖でガタガタと震える少女を庇うようにその場に降り立つと鋭い眼光で大蛇と破戒僧達を睨みつけた。
「正直に答えなさい。一体お前達は罪のない人たちをどれほど殺めたのか」
切り落とした頭がまるで日の光に当たったかのように灰になっていく。胴体に繋がる頸が頭を再生しようとうねうねと宙を舞うが一向に頭が再生される気配はない。苦しみ悶える大蛇の様子に破戒僧達は目を見開き、到底神仏の道を究めてきたとは思えない鬼のような形相を浮かべていた。
「貴様!大蛇様に何ということを!」
「再生できないでしょうね。私の使う光の呼吸は斬ったものを全て浄化してしまうもの」
光の呼吸で斬られた鬼は二度と再生することはできない。これが上弦の鬼となればまた話は変わってくるのかもしれないが、今まで葬ってきた鬼の中で再生できたものは一匹たりとも存在しないのだ。刃に滴る汚らわしい大蛇の血を薙ぎ払う。
恐らく、残りの七つすべての頸を斬らなければ大蛇を倒すことはできないだろう。
私に続いてその場に降り立った隊士達に騒ぎを聞いて集まり始めた雑魚鬼と武器を手にする破戒僧達の始末、そして人質達の救出を命じる。この場にいる隊士達の階級は私よりも下、つまりこの場で指揮を取らなければならないのは私なのだ。
「大蛇は私が狩ります。他は貴方たちにお任せ致します」
強く地面を蹴り、高く舞い上がると大蛇を目掛けて刀を振るい、一つ、また一つと大蛇の頸を切り落としていく。それぞれの頭が意思を持っているのかその動きは非常に厄介なもので、苦戦を強いられる。毒を吐く頭、炎を吐く頭、氷を吐く頭。一つの頭だけを気にして戦っているだけではすぐにやられてしまう。これでは階級が低い隊士達では到底歯が立たなかったことだろう。避け切れなかった攻撃が頬を掠るも動揺している暇はない。すぐに体勢を立て直して、次の一手に備えなければいけない。一体これほどまで力をつけるために何人の人間を喰ってきたのだろうか。破戒僧達に崇められ、生贄として捧げられた人間をまるで虫けらのように扱い、絶望を与えてから喰い散らかしてきたに違いない。
ひどく吐き気がする。大蛇にも、人間であるはずの破戒僧達にも。
ようやく最後の頸を切り落とし、ふわりと地面に降り立つ。頬についた大蛇の返り血が心底気持ちが悪く、乱雑にその血を拭った。あちらのほうも丁度雑魚鬼の殲滅も終わり、破戒僧達も捕らえられたようだ。この破戒僧達の処分は親方様が直々に下されることになるだろう。
どれほどの時間、大蛇と戦ってきただろうか。気が付くと空はじんわりと明るくなってきており、間もなく太陽が昇りそうであった。
杏寿郎さんもさぞ心配なさっていることだろう。彼の元へ嫁いでからこのような緊急任務は初めてのことだった。これから帰っても屋敷に着くのは恐らく昼を過ぎてしまうだろう。
一刻も早く彼の元へ帰りたい。
その思いから隠に破戒僧のことを伝えようと大蛇に背を向けた瞬間であった。その場にいた隊士が大きな声を上げ、私に危険を知らせた頃にはもう遅かった。
燃えるような痛みが背中を襲う。
急いで体勢を立て直し、振り返るとそこには胴体だけで気味悪く動く大蛇の姿があった。鋭い爪で引き裂かれた傷は思った以上に深く、瞬く間にその場に血だまりを作っていく。激しく噴き出す血に隊士や隠から悲鳴が上がるが、私は素早く日輪刀を抜くと再び大蛇を切り捨てた。
そして今度こそ目の前で大蛇が灰になっていく様子を見届け、私はその場で意識を手放した。
最後に思い浮かんだのは杏寿郎さんの顔だった。