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「そういえば煉獄、お前嫁を娶ったらしいな」早朝より緊急で開かれた柱合会議も終わり、久しぶりに顔を合わせた面々で話に花を咲かせていると唐突に宇随がこちらを見やった。そういえば親方様には婚姻の報告に伺ったが、皆にはまだ報告できていなかったように思う。良い機会だ。この場を借りて報告させてもらうことにしよう。
「うむ!実は先日妻を迎え入れた。名は名前という。名前も鬼殺隊の隊士であるのでまた皆と任務を同行することもあると思うが、その時はよろしく頼む」
「煉獄さんったら水くさいじゃありませんか。そういうおめでたい事はすぐに報告して下さい」
「すまぬ、胡蝶!すっかり機会を逃してしまってだな!」
先日、甘露寺には名前にパンケーキの作り方を教えてやってほしいと頼んだ際にすでに報告は済ましておいたのだが、ほかの柱達へ報告することをすっかり忘れていた。よもやよもやだ。
宇随の奥方とも今度是非会わせてやってくれないかという俺の提案に彼も快諾してくれたことを嬉しく思う。きっと名前も喜んでくれるに違いない。
「名前さんと仰いましたか。もしかしてその方は先日殉職された光の呼吸を使われていた隊士の妹さんですか」
「よもや!胡蝶は名前の兄を知っているのか!」
「彼のことを知らない方の方が少ないと思いますよ。なにせ、彼は柱候補でしたから」
「光の呼吸を使ってやがった野郎かァ。あいつは逸材だったからなァ」
そう名前の兄上は柱への就任を控えていた目前の殉職であった。ここにいる皆が名前の兄上に期待し、共に柱合会議で顔を合わせることを楽しみにしていたのだ。これほどまでに悔やまれた死が近年あっただろうか。最愛の兄を亡くした名前の心情は想像を絶するものであっただろう。それでも気丈に振舞い、決して涙を見せようとしない彼女の強い意志が込められた瞳が俺は好きだった。
名前は己が女子であることを悔い、卑下しているが決してそのように思う必要はないと思う。彼女は強い。恐らく、彼女自身が気付いていないだけで、その実力は兄上に迫るほどのものだろう。その強さは実力だけではない。精神も、意思も、覚悟も、彼女はずっと強かった。
「私は一度だけ名前さんと任務が一緒だったことがあるんですけど、とても強いお方ですよね!」
「俺もあるぜ。兄貴と同じく光の呼吸を使っていたが、あれはまだまだ化けるぜ」
甘露寺や宇随達の言葉を名前に聞かせてやりたい。君の実力は誰もが認めているのだから胸を張って生きていけばいい、と。
昨日の早朝に緊急の任務に向かった彼女からの便りはまだ届かない。任務が終了次第、鎹鴉を飛ばすようにと言いつけたのだが、一向に鎹鴉が帰ってくる気配がないのだ。
苦戦しているのだろうか。危ない目にあってはいないだろうか。妙な胸騒ぎがする。まさか彼女の身に何かあったのではないかという漠然とした不安が脳内を支配する。
それを振り払うかのように雲一つない空を見上げると俺の鎹鴉である要が何かを見つけたのか途端に落ち着きを無くし始めた。要の視線を追うかのようにそちらに目を凝らしてみると遠くの方から一匹の鎹鴉が血相を抱えて飛んできた。その見覚えのある鎹鴉にどきりと心臓が大きく高鳴った。
「負傷!負傷!煉獄 名前、負傷!」
「負傷だと!?それで彼女の容態は!?」
「出血多量ニツキ、容体ハ深刻!意識不明!間モナク蝶屋敷ヘ到着予定!」
鎹鴉の瞳には涙が溢れていた。動揺を隠せない俺とは裏腹に胡蝶はすぐに受け入れ態勢を整えるべくこの場を離れた。鎹鴉の緊迫した様子から、とてもじゃないが神崎達の手に負える状態ではないと判断したのだろう。
名前が、やられた。
その事実が重く圧し掛かり、俺はこの場を動けずにいた。愕然とする俺の元へ駆け寄った甘露寺にすぐに蝶屋敷へ向かうよう促され、漸く俺は蝶屋敷へと走った。
蝶屋敷へ辿り着くと屋敷内は緊迫した空気が張り詰めていた。診察室の中から聞こえる胡蝶の焦りを隠せない声色に名前の容態が深刻なものであるということはすぐに理解できた。俺がこの場所に到着するよりも先に診察室の前で祈るように扉の向こうを見つめている隊士達は恐らく彼女と共に任務に就いていたのだろう。彼らは俺の存在に気付くと顔を青くしてその場で深く頭を下げた。
「炎柱様…!申し訳ございません!」
「君達が気に病むことではない。鬼殺隊の隊士である以上、危険とは隣合わせなものだ」
「俺達が弱かったせいです!そのせいで名前さんが一人で鬼を討伐されることに…」
頭を下げた隊士の足元にぽたりぽたりと涙が零れる。小さく震え、一向に頭を上げようとしない彼らに頭を上げるように命じる。
「鬼は討伐できたのか」
「はい。非常に手強い鬼でありましたが、名前さんが見事その首を討ち取られました。しかし鬼の最後の悪あがきというのでしょうか…。胴体だけで動き、名前さんを…」
まさか首を斬った鬼が動き出すとは思いもしなかったのだろう。それでもたった一人で鬼を討伐した名前には敬意を示すべきだ。隊士達の話から察するに名前が討伐した鬼はかなりの力を持った鬼であったに違いない。己の責務を全うした彼女を夫として誇らしく思うも、やはり容体が深刻なだけに素直に彼女の功績を喜んでやることはできそうになかった。
「あとは俺が引き継ごう。君達はもう帰りなさい」
「しかし…!」
「名前は俺の妻だ。あとは俺に任せなさい」
そう告げると彼らは再び頭を深々と下げ、トボトボと肩を落としてこの場を後にした。
一人になり、未だ懸命な治療が続けられるを診察室を見やる。このような事態になっても、何一つしてやれない己の不甲斐なさに怒りがこみ上げる。奥歯を噛みしめ、その怒りを何とか堪える。
どうか、名前をお守りください。母上。
祈るような思いで俺はずっとその場に立ち尽くしていた。
そしてどれほどの時間が過ぎただろうか。目の前の扉がゆっくりと開かれ、中から胡蝶が顔を見せた。
「お待たせしました、煉獄さん。中へどうぞ」
「名前は無事なのだろうか」
「ご安心ください。一命を取り留められ、容体も安定していますよ」
いつもの笑みを浮かべた胡蝶の様子に全身の力が抜けると同時にほっと胸を撫で下ろした。良かった。本当に良かった。
胡蝶に案内され、診察室へ入るとすぐに名前の姿はあった。その身体は包帯で巻かれ、痛々しいものではあったがしっかりと上下する胸に彼女が生きていることを再確認できた。胡蝶に促されるように名前へ近付き、その頬へ手を添える。今でこそ唇に血色が見られないが、直にまた淡い桃色に色付いてくれることだろう。
「今は麻酔で眠られていますが、もう少しすれば目を覚まされると思いますよ」
「ありがとう、胡蝶。なんと礼を言えばいいか」
「ふふ。煉獄さんのそのようなお顔、初めて見ました。私は少し席を外すので、後をお願いしてもよろしいでしょうか。何かあればすぐに呼んでください」
「勿論だ!本当にありがとう、胡蝶!」
胡蝶は優しい笑みを浮かべ部屋を後にした。
名前と二人きりになり俺は長い睫毛を伏せて、眠り続ける彼女の美しい黒髪を撫でた。そして一日も早く、また元気な姿を見せてくれるようにとその髪に唇を寄せた。