或る白濁の月光花

本日も無事に仕事を終えた名前は現在隠れ家として使用しているホテルへの帰路についていた。その足取りは見るからに重く、浮かべている表情も明らかに疲労の色が滲んでいた。
連日続いていた仕事の依頼も今日でようやくひと段落だ。明日からのバカンスでこの溜まりに溜まった疲れを思う存分癒すことにしよう。まずはしばらくお預け中であったエステだ。早速明日予約の問い合わせをしてみよう。

バカンスの計画を立てながらウキウキとした気分でルームキーを取り出す。ピピッという機械音で解錠されたことを確認すると彼女はするりと部屋へ入った。

が、視界に飛び込んできた光景に再び部屋からの退出を余儀なくされた。おかしい。ここは確かに数日前から彼女が宿泊している部屋のはずである。疲れのせいで部屋を間違えたのだろうかと一瞬不安に襲われるが、それならばルームキーで解錠できるはずがない。ということはこの部屋は彼女が滞在している部屋に間違いないということだ。

なぜ、クロコダイルがこの部屋にいるというのか。

名前は大きな溜め息を吐きながら再度部屋へと入った。

「レディの部屋に無断で入るなんて無粋な男になったものね、クロコダイル」

「血の匂いをプンプンさせてやがる奴がレディだと?笑わせるんじゃねえ」

五つ星のホテルに相応しい上質な革が使用されたソファに俺様顔で腰を下ろしているクロコダイルは葉巻の煙を吐き出しながら喉を鳴らして笑った。繊細な彫刻がなされているグラスに浮かべられている氷の様子から彼が1時間以上前からこの部屋にいたことがわかる。恐らくグラスの中身はウイスキーだろう。

「この部屋、禁煙なんだけど?」

「俺が知ったこっちゃねえな。そんな部屋を選んだお前が悪い」

「私は貴方と違って禁煙者ですもの」

名前は煙たい煙たいとわざとらしく煙を払う仕草をしてやったが、クロコダイルは全く動じる様子はなそうである。

アポイントも取らずに突然押しかけてきたクロコダイルがソファを占領しているせいで座る場所もない。名前は唇を尖らせて不服であることをアピールするも、この行為が無駄でしかないということをすぐに理解するとキングサイズのベッドへと腰を下ろした。手袋を外して、ブーツを脱ぎ、ジャケットも脱ぎ捨てる。身につけているものはチューブトップとショートパンツだけのだらしない格好ではあるが、疲労には逆らえずそのままベッドへ倒れ込む。

「随分とお疲れのようじゃねえか」

「10連勤。ようやく今日が最終日だったの」

「それはまた商売繁盛なようで羨ましい限りだ」

仕事内容を知りながら平然とそのような発言をするクロコダイルに名前はヒラヒラと手を振って答えた。

そういえば今日殺したターゲットもクロコダイルと同じようにたくさんの指輪をつけていたなぁとぼんやり思い出す。売れば高く買い取ってもらえそうな代物ではあったが、命だけではなく指輪まで奪ってしまうのは気が引けたので結局そのままにして帰ってきてしまった。やはり惜しいことをしたなと今更ながらに後悔の念が押し寄せる。

ゴロンゴロンとふかふかなベッドの上を転がる。早くシャワーを浴びなければという気持ちともう少しこの柔らかさを堪能していたいという気持ちが心の中で拮抗する。泥のように重くなっていく体が余計に彼女をベッドから離さない。もういっそのことこのまま少し寝てしまおうかと薄ら瞼を閉じた。
現実と夢の境目は何故こんなにも心地よいのだろうか。生きている上でこうして眠りにつく直前がもしかしたら一番幸福かもしれない。

なんともいえない心地よさに身を委ねていた名前であったが、その心地よさはあの男によって強制的に遮断されてしまった。
ギシリ。
ベッドが軋む音と先程よりも体がベッドへ沈む感覚に名前はカッと目を見開いた。

「状況がよく飲み込めないわ。いえ、厳密に言うと飲み込みたくないわ」

「クハッ!相変わらず物分かりが悪い女だな」

名前の上で意地悪く笑うクロコダイルはその黄金の鉤爪で彼女の首筋を撫でた。普通の女ならば気絶してしまいそうなほどの恐怖を覚える行為なのだが、名前はその行為に怯えるどころか心底嫌そうな表情を浮かべた。

「私これからシャワーを浴びるの」

「必要ねえ」

「何か勘違いされているようだから敢えて言わせてもらうけど、貴方がこれからしようと企んでいる行為のためにシャワーを浴びるんじゃないわ。仕事で疲れた私のためよ」

完全に馬乗りになられてしまった名前が淡々とクロコダイルへそう伝えるも彼は全く聞き耳を持とうとはしない。むしろ首筋を撫でていた鉤爪をチューブトップへと引っ掛け、今にも引きずり下ろそうとしている勢いである。

「本当に貴方にしてもドフラミンゴにしても、もう少しレディを大切にする心を持ってほしいわ」

「あんなクソ鳥と一緒にするんじゃねえ」

「こんなに似た者同士なのにどうして仲が悪いのかしらね。疑問だわ」

「次にあいつの名前を口にしたら殺す」

そう言ってクロコダイルはまるで噛み付くように名前に口付けた。厭らしい水音が部屋に響く。激しく絡みつく舌に時折名前の口から小さな声が漏れる。

やがて離された二人の唇を銀の糸が繋ぐ。それがプツリと千切れた時、名前は最高に蕩けた表情で告げた。

「貴方に殺されるのはセックスよりも気持ちいいかもしれないわね」


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