Day.2.5


「今日の授業はここまで」

先生の一言が昼休みを告げる。立ち上がりいつものように硝子と一緒に昼を食べようと振り返る私の肩を誰かがトントン、と叩いた。誰だろうと振り返れば、そこには傑が立っていた。


「ちょっと来てくれない?」
「え、私?」
「そう」
「お昼は?」
「買っておいた」

そう言われて、傑に手を引かれるまま教室を出る。どこ行くの、とか、何か用事あった?だとか、そういう言葉はかけられなかった。連れていかれた先は人がよく通る道のベンチだった。なにも言わず座る傑が、自分のとなりを叩いて座れと促す。

「なになに?内緒話?」
「まぁね」
「ていうかここでお昼食べるの?寒くない?」
「人が多いところじゃないと見せつけられないじゃないか」

そう言って傑は私の肩を抱いた。
そこでようやく傑の意図を理解できた。確かにこんな人目につくところで堂々とイチャついていれば嫌でも人の目に入る。私に「いつも見ている」とメールを送ってくるストーカーなら尚更見ているだろう。それにしてもいくら晴れているとはいえ、1月の寒空の下でいちゃつくのは寒すぎる。

「傑どうしてもここじゃなきゃだめ?」
「ここなら万が一何かあっても対処しやすい」
「まぁ……それはそうだね……」
「なまえ寒いのかい?」
「……うん」
「それなら不本意かもしれないがこうしていていいかい?」

え、と私が戸惑っている間に、無言は肯定と受け取った傑は私の脇に手を差し込んでそのままふわりと私を抱えるとくっついていいよ、と傑の太腿に乗せられた。背中には傑の腕が回される。

「ちょ、傑!恥ずかしいんだけ、ど……ッ!?」
「私も寒いんだ、仕方ないだろう?」
「……傑は慣れてるかもしれないけど、」
「慣れてないよ。ここまでするのはなまえが初めて」

嘘だ、絶対に慣れてるじゃん。
だって、今まさに初めてとは思えない手際の良さだし、何よりこの距離感がおかしい。普通ならありえないような近さで、傑の心臓の音が皮膚を通して伝わってくる。とくんとくん。一定のリズムで鳴る心音は、とても心地よく感じられた。
それからしばらく黙ったままだった。傑は何も話さずただじっとしていた。手持ちぶさたな私は、傑の心音を数えていた。3桁まであと少し。その瞬間、傑が口を開いた。


「なまえ、ずっとこっちを見ている奴がいる」
「え…?」
「振り返らないで」
「うん……」
「多分、補助監督。長めの黒髪、名前はなんだったかなぁ」

傑の声色は至って冷静だった。けど、私は急に怖くなってしまった。普段呪霊と対峙しても怖いなんてほとんど思わないのに。その人の姿を確認してしまったら、ずっとこの人に見られていたのかとか、私をどうするつもりだったのかとか。今まではリアルじゃなかったものが、急に現実的に思えてきて、怖かった。
恐怖からか、ぎゅう、と傑の制服を握ってしまって、それに気づいた傑が「大丈夫?」と問いかけてくる。


「だいじょうぶ」
「なまえ、本当に大丈夫な人間は大丈夫って言わないんだって知ってるかい?」
「え……」

顔を上げた私の目に映るのは真剣な顔をした傑の顔だった。いつのまにこちらを向いていたのか分からないけれど、その目は私を捉えていて離さない。傑の表情は心配というよりは、怒ってるように見えて思わず後ろに逃げようとして、傑にその背中を支えられる。それ以上下がることも出来なくなった私を見て、傑はくしゃりと笑って言った。
そんな顔をされると怒れないじゃないか、と言って頭を撫でてくれる手つきに、緊張して固くなってしまえばまた傑が笑う。笑わないでほしい、と思った。
傑の胸に額を当てたままの私に、彼は優しく告げる。「私が居るから」と。傑は気づいていたのだ、私が震えていることに。だから、何も考えずに私を安心させようとしてくれる彼の行動ひとつひとつが、すごく嬉しいと思う反面申し訳なく思った。

私、こんなにも弱い人だったっけ。傑の言葉を聞いて、少しずつ落ち着いてきた自分が情けないやらくすぐったい気持ちになって俯く。昨日の夜は、どんな顔してるんだろうなんて興味本位に思っていたりしたのに。


「もう行ったようだよ」
「本当?」
「うん、本当」
「よかった……」
「お昼食べられるかい?」
「うん」
「どっちにする?焼きそばパンとサンドイッチ」
「メロンパンは?」
「もちろんあるよ」
「ならメロンパンから食べる」


わかった、と言う声とともに傑の手が私から離れる。それがなんだかもの寂しくて、離れて欲しくなくて。でも自分からは言い出せそうもなくて。傑の服を掴んでいた手に自然と力が入る。傑は私の手を包み込むように握ってくれた。優しくしてほしいのに優しくされたくない。そんな矛盾が心の中で生まれる。甘えたくなるのと同時に自分の醜さを知られてしまうんじゃないかという不安も募ってしまう。傑ならきっと全て受け止めてくれると分かっていても。

だから、私には傑の隣は居心地が良すぎて居心地が悪すぎる。