Day.4


1月31日。
任務を終えて高専に戻る途中、雪が降り出した。移動用の車の窓にくっついてすぐ溶ける、そんな雪だった。積もることもなさそうなその東京に降る雪はアスファルトに吸い込まれ地面を濡らした。このまま高専に戻っていいですか?と問いかける補助監督に「はい」と告げると、手元の携帯がメールの受信を告げた。
メールの相手は傑だった。
添付された画像を受信して開けば、ネタでしかつけないであろうハートが半分ずつに分かれたペアのキーホルダーの写メだった。すぐにもう1通メールが届いて「買った」とメッセージが打ち込まれていた。

「いらないっての」

独り言のように笑いながら呟いてしまった。口元に手を当てて隠しながら送信ボタンを押せば、「お土産だよ」なんて言葉と一緒に、今度は写真ではなく文字で文章が届いた。


「悟とペアでつけるの?」
「まさか」
「もしかして私とじゃないよね?」
「正解。なまえ以外に私の彼女はいないよ」
「だとしても絶対ヤダ」

素早いレスポンスでメールがテンポよく続いた。
くだらないやりとりだなと思う反面、こんなにもくだらないことで笑ってしまえることが少し嬉しかった。
あぁ、これが傑の言っていた『楽しいの共有』かぁ。そう思うと胸の奥の方がじんわり温かくなって、でもなんだかもどかしくて、気恥ずかしかった。


▽▽▽

寮に戻って、制服を脱ぎ、任務先の廃墟で被った埃を落とすためにシャワーを浴びた。
髪を乾かして部屋に戻ると、ベッドの凭れ掛かるようにして傑が寝ていた。勝手に入ってきたの?あとで一言言ってやらなきゃと思って、ベッドの上に置きっぱなしだった携帯を手に取って傑の隣に座り、届いていたメールを確認する。硝子から、それに傑からのもの。最後に見知らぬアドレスからが1件。嫌な予感がしながらもそのメールを開く。添付画像があるだけの、本文がないメール。


「なに…これ……」

画像を開いて愕然とした。その写メに映っていたのは、私の部屋だった。写メの撮影時間を確認すれば、私が部屋に備え付けのバスルームでシャワーを浴びている時間だった。居たんだ、ここに。私の部屋に。いつの間に。背筋が凍るような恐怖を覚えた。どうして、どうやって撮ったの。怖い。どうしよう。どうしたらいいんだろう。


「気色悪いな」
「ひゃあ!」

突然近くから声をかけられて変な悲鳴が出る。
いつの間にか起きていたらしい傑が画面を覗き込んでいた。傑はそのまま携帯の電源ボタンを押して画面を消すと、私から携帯を取り上げてベッドの上に放り投げた。私は呆気に取られてそれを見ていることしかできなかった。さっきまですごくすごく楽しい気分だったのに、どうして。どうして。

「なまえ」
「……はい」
「お土産」

ポケットから取り出したキーホルダーを傑が手渡す。手渡されたそれは私の手のひらの上でちゃりんと金属音を立てた。写メで見ていたはずのキーホルダーは、実際目にしてみると更に異様さを際立たせていた。キーチェーンを指先でいじくるとチャリチャリと軽い音が響く。傑が私のものと対になっているキーホルダーを指先で摘まんで、「こうしてみると私たちラブラブだな」と笑顔を見せた。らしくないキーホルダーに、らしくない言葉に思わず吹き出してしまう。


「もう!笑わせないでよ」
「笑わせようとしてるんだよ」

私がケラケラ笑うと傑もつられて笑う。傑の隣は居心地がいい。それは私だけじゃなく、悟も硝子もきっと同じように感じていると思う。それは他ならぬ傑だからで、この安心感は他の誰かから得られるものじゃない。彼氏役を傑に頼んで本当に良かった。心からそう思えた瞬間だった。


「ていうか、これどこにつけるの?」
「携帯のストラップ一択」
「絶対悟に茶化されるやつじゃん」
「まぁ、バカにはされるだろうね」
「そしたら独り身のやっかみかって言い返してやろーっと」

軽口を叩いているうちに緊張していた空気が解れて、笑いがこみ上げてくる。
楽しかった。すごく楽しくて、嬉しくて、幸せだった。このままずっとこうやって笑い合っていたいと思った。
ただ、根本的解決はなにもしていない。むしろ問題は山積みだ。


「……傑」
「なんだい?」
「ぎゅってしてくれる?」
「いいよ、おいで」

腕を広げて待ってくれている傑の腕の中に飛び込むと、そのまま抱き締められた。肩口に額を押し付けて甘えるように擦りつけば、傑の大きな手が後頭部に添えられる。人の体温って安心するものなんだなぁ。こんなことがなかったら当分、ううん、ずっと知らないままだったかもしれない。背中に手を回して服を掴むと、優しく頭を撫でてくれた。

「傑、あのね」
「うん」
「傑はメールの送り主の顔知ってるんだよね」
「うん」
「教えて」

私の言葉を聞いて、傑が静かに口を開く。聞き逃さないように身を捩って顔を上げた先にいた傑の瞳を見つめると、優しい色をしていたけれど、同時に心配しているように見えた。そんな顔をさせたくなかったのになぁと思いながら目を合わせると、彼は小さく溜め息を吐いて目を逸らした。
やっぱり迷惑をかけて申し訳ないと謝罪すると、そうじゃないよと言って頬を包み込んでくれた。傑の手のひらは少しひんやりしていて気持ちがよかった。

「一人では絶対に対峙しないと約束できる?」と問われ、傑の目を見て「うん」と答える。傑はそれを確認してから、再び真っ直ぐに私と向き合った。
彼の口から出てきた名前を頭の中で繰り返す。知っている人だった。呪術界隈では珍しく、常識がある人だと思っていた。いつも私のことを心配してくれて、優しくて。だから、私もその人を頼りにしていた。まさか、だ。まさかあの人が…。

固まったまま動かない私に傑が「大丈夫?」と声を掛けてくれる。つい昨日のことを思い出す。「大丈夫」には「大丈夫」って答えちゃいけないんだっけ。だったらどう答えたらいいんだろう。
再び固まる私に、「答えないでいいよ。その顔見れば分かる」と傑は言った。傑だって分かっていたはずなのに、それでも敢えて聞いてきたんだろうか。だとしたら相当気を使わせてしまったみたいだ。
ごめんと言うより早く唇を奪われた。言葉は吐き出されることなく呑み込まれる。何度か角度を変えて軽く触れるキスを繰り返すとゆっくりと離れていく。私は無意識のうちに、傑のシャツを握りしめていた。

そういえば、さっき降っていた雪はどうなっただろう。
積もったのだろうか、それとももう止んだのだろうか。目を瞑ったままの私には、確認することはできないけれど。