三歩進んで四歩下がる


3回目は映画を見に行くことにした。
なまえが映画が好きかどうかは知らねぇけど、いつも本を読んでいるイメージがあったし、映画館なら会話がなくてもただ側に居ることが適うからだった。

待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前。定番だし、人が多いし、見つけられるか不安もあった。けど、さすが3回目ともなればすぐになまえを見つけることが出来た。前々から思ってたけど、あいつの周りだけ空気が違って見えるような気がする。六眼で見なくてもきっと、多分、違って見えると思う。俺には確認しようがないけど。傑が居たら、きっと同じことを言ったはずだ。


「よう」
「こんにちは」
「行くか」


待ち合わせは今でもやっぱり少しくすぐったい。声を掛けて、歩き出す。俺から手を差し出さないと、なまえは俺の少し後ろを歩く。それは好きじゃない。だから、「ほら」と手を差し出して隣を歩かせた。ふふ、といたずらっ子みたいに笑ったなまえは、俺の差し出した手を受け入れて、隣を歩く。渋谷の雑踏の中でも、俺は多分幸せな部類の人間に入るだろう。

道玄坂を歩いてユーロスペースを目指す。なまえと見る映画は趣味に走りたかった。恋人同士が見るようなメジャーな映画じゃなくて、PGがつくようなマイナーな映画。これはデートじゃないから。


「あの、映画館ってこっちであってますか?」
「はぁ?」


地図なんて見なくても俺が間違えるわけない。この道は何度も通った。傑と、時々硝子と。傑が居なくなってから来るのは初めてだったけど、それでも間違えることはない。なまえの足取りが少し重くなった。「間違ってねぇから」と告げると、「性的な接触は禁止ですよ」となまえらしくない声の大きさで返事が返ってくる。そして、俺はそこでようやく気付いた。周りにホテルが並んでいることを。


「マジでそういうんじゃねぇから」
「…信じます」
「今まで怖い思いしたことあんの?」
「一度だけ」
「そっか。俺は別にそっちは困ってねーから」


顔も見れずそう告げると、返事の代わりになまえはぎゅっと俺の手を強く握り返した。信じてくれたのか?それとも仕事だからか?その意図は分からない。けど、なまえは俺に寄り添ってくれている。今はそれだけでよかった。




映画館に着いて、チケットを買って席に着く。マイナー映画だけあって、席の埋まり具合はまばらだった。俺たちの周りに人は居なかった。なまえの隣に誰かが座ってたら嫌だったからわざわざ通路脇の席取らなくても良かったかもしれない。ニコニコしながらなまえが「映画の前知識全然ないから楽しみ」と口にした。返事を返そうとしたところで、劇場内が暗転して何も言えなかった。映画は失敗だったかもしれない。




映画が終わって、席を立って二人劇場から出る。「トイレ行ってくるわ」と言ってなまえから離れた。離れたのは束の間の時間だった。それにも関わらず、映画館のロビーに戻ればなまえの姿がない。チッと自然と舌打ちが出た。キョロキョロと辺りを見回してなまえを探す。そういえば、こんな風に人を探すのは初めてかもしれない。そう思ったところで、傑と一緒に天内を探したことを思い出した。あの時は、女子高の中を探し回った。だから、やっぱり初めてじゃねぇな。

思い出に思考を奪われていると、ふいにトントンと肩を叩かれた。振り返ればなまえが居て、ホッとした。それと同時に、俺はなまえに名前を呼ばれたことがあったか?と不思議な気持ちに襲われた。


「呼べよ、名前」
「誰の?」
「俺以外に誰がいんだよ」
「なんだっけ名前」
「忘れたのかよ」
「嘘、知ってるよ。悟」


ふいになまえの口から発した自分の名前に、鼻の奥がツンとした。硝子は俺のことを「五条」と呼ぶし、七海や後輩たちは「五条さん」と呼ぶから。久しぶりだ、こうやって名前を呼ばれるのは。

油断したらつい本音が漏れてしまいそうだった。本当は、一緒に飯でも食ってから今日は別れようと思っていたけど、諦めた。渋谷駅までなまえと二人、何も喋らずに歩いて、駅についたところで別れた。

一体、何がしたいんだ、俺は。