Day.6


その時は、唐突に訪れた。
あの朝の一件からまだ一日しか経っていないのに、傑と私の任務の補助監督が例のストーカーの彼になってしまったのだ。
自分一人でなんとか出来る方法を模索したけど、結局いい案は浮かばなかった。最悪のシナリオはいくらでも思い浮かぶのに……。


「こちらが資料になります」
「あぁ、うん」
「なまえさんの分はこちらに」
「ありがとう、ございます」
「人の彼女を馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれるかい?」
「あぁ、すみません。つい癖で」


相変わらずストーカーくんは顔色一つ変えずに私たちに接してくる。が、傑は違った。ストーカーくんに対しての棘のある言葉ばかりを投げかける。隣でそれを聞いているだけでも、一触即発な空気にヒヤヒヤした。
けれど、さすが傑とでも言うべきだろうか。これから任務という時に、事を荒立てることはしなかった。
いつも通りの笑顔を貼り付けて、「運転よろしくね」なんて言っている。人の気も知らないで。かく言う私も、傑があの朝なんであんなにも怒りを露わにしたのかは、未だに分かっていない。聞いたらいけない気もした。

それぞれの思いを乗せて、それでも車は任務地へと突き進んだ。
窓の外の景色は横長から縦長へと変わっていく。今日の任務地は下北沢にある、今は使われていない劇場のようだった。

「それでは帳を降ろします」

そう言ってストーカーくんは手を口元に持っていき印を組み、呪文を唱えた。すると空の上から帳が水を垂らしたように降りてくる。傑と私は、ストーカーくんに背を向けて建物の中へ歩き出した。

と、その時、腕を掴まれ後方へと引っ張られた。
私と傑を帳が隔てる。何があったのかを理解するより早く、ストーカーくんが私を背後から羽交い絞めにし私の耳元で囁いた。「やっと二人きりになれたね」と。ゾワリとした感覚が背中を走る。顔だけ振り返るとそこには、不気味な笑みを浮かべる男が立っていた。明らかにいつもの温厚な彼とは違う。狂気を孕んだ目には私が、私だけが映っていた。


「僕がいるのに、どうして、どうして……」
「なに言って、」
「あんな男のどこがいいんだ」
「少なくとも傑はこんなことしない」
「へぇ、ベタぼれってわけ?」
「そうだよ、だからさっさとその汚い手を離せよ」

傑の声が聞こえた気がした。気のせいかと思ったけれど、目の前の帳がスッと消えて傑の姿が現れたことで確信する。
ストーカーの彼は怯えながら、私の拘束を強めた。痛くて顔を歪めると、それに気づいた彼が慌てて力を緩める。そんな様子にため息が出る。


「なんでだ!呪霊は!?」
「あぁ、あんなの瞬殺だよ」
「お前……一体何をした!」
「別に何もしてないけど?それより、なまえから離れろ」

傑が一歩踏み出すごとにストーカーくんは後退していく。その姿はまるで蛇に睨まれた蛙のように小さく見えた。
それでもストーカーくんは私を捕える腕を緩めなかった。私を開放して逃げてくれればいいのに。そして、もうしないって誓ってくれればそれでいいのに。なんでこんなことをするんだろうか……。
恐怖と混乱が入り混じる頭でぐるぐると考え込んでいると、ストーカーくんの腕を傑が掴んだ。ギリギリ音が鳴りそうなくらいの強さで。
一瞬怯むもすぐに抵抗し始め、傑の腕を振りほどこうとするがビクともしない。力の差を目の当たりにし、ストーカーくんは焦った声を上げる。


「離せ!こっちにはなまえの隠し撮りがたくさんあるんだぞ!!」
「ふ〜ん。で?それだけ?」

傑の手が少し離れたかと思うと、そのまま鳩尾を思い切り殴られたようでストーカーくんは膝を折った。
私は咄嵯の出来事に理解が追い付かず呆然としていたが、気付けば傑の腕の中に包まれていた。力強く、でも優しく。そこでようやく自分が解放されたことに気付く。安堵感からか目頭が熱くなった。けれど、泣いてる場合じゃない。傑はまだこの男を殴ろうとしている。これ以上彼を犯罪者にする訳にはいかない。私は必死で傑を止めた。

「やめて傑、もういい」
「なまえ、自分が受けた仕打ちを忘れたわけじゃないよね?」
「忘れてない。でもこんな奴殴るために傑が手を痛めることない…!」

そこまで言い終えると、傑は呆れたように自分の呪霊を取り出し男を拘束した。禍々しい呪霊が男を取り囲む。傑は男の前にしゃがみ込み、「携帯は?」と問いかける。初めはそれを無視していた男だったが、傑がもう一度同じ質問をするも反応しなかった為、「次は殺す」と言うと男は震えながらポケットから携帯を差し出した。携帯を受け取った傑はそれを地面へ置くと、思いっきり足で踏みつけた。携帯は見る影もなく粉々になった。


「あとは?」
「もうない」
「嘘つくなよ」
「ないものはない」
「ふーん、ならもういい」

そう言って傑が立ち上がると、男は悲鳴を上げ始めた。傑はそれを無視して踵を返すと、「帰るよ」と私に手を伸ばす。差し出された手に恐る恐る触れると、強い力で引き寄せられた。

「帰ろう」
「うん……」

そう言った傑の表情はいつもと変わらないもので、ホッとした。これで終わった。これでいつも通りの生活に戻ることが出来るんだ。
車に乗り込む直前、私は振り返り、ストーカーくんを見下ろし声を掛けた。
「ごめんね、今まで色々とありがとう」と告げる私に、彼は何も言わずただ項垂れているだけだった。