曇りのち晴れ


仕事が終わる頃には、雨は止んでいた。
パソコンの電源を落としたあと、今朝コンビニで買った傘を持って、「お疲れ様でした」と事務室の皆さんに声をかける。すると、「私も一緒に帰ります!」と着替えを済ませたなまえが現れた。不本意ながらも断る理由もなく、「好きにしろ」と言葉を返す。大概はそのぶっきらぼうな態度に呆れるものなのだが、なまえは違っていた。断られないことを了承して貰ったと解釈したらしい。東堂といいなまえといい京都校の人間はこうもポジティブな人間が多いのかと思いながら高専の下り坂を歩く。


「寒いですね」
「そうだな」
「寒いの好きですか?」
「そうだな」
「私のこと嫌いですか?」
「そうだ…何言ってんだよ」
「話聞いてなさそうだなぁと思って」

なまえの言葉にはっと我に帰る。考え事をしていたせいか無意識のうちに返事をしていたようだ。気付くと同時に顔に熱が集まる感覚を覚えて咄嵯に顔を背ける。そんな俺を見て、隣にいた女がくすりと笑った気がした。少し歩いてからようやく口を開く。

「良く分かんねぇよ。なまえのことそんなに知らないからな」
「そっかぁ。それは知りたいって意味で受け止めていいんでしょうか?」
「勝手にしろ」
「あ、でも」
「なんだ?」
「迷惑だったら迷惑って言ってくださいね」
「迷惑では、ねぇよ」

そう言うと、また嬉しそうな表情を浮かべる。その笑顔を見ないように空を見上げると、いつの間にか月が出ていた。満月に近い形の白い光が、辺り一面を照らしている。綺麗だと思った。同時に、この景色を見ている人間が自分以外にいるという事実に胸の奥がちりちりと焼けるような痛みを覚える。こんな感情は初めてだった。しばらく沈黙が続いた後、ふいになまえが立ち止まりこちらを振り返った。


「私、伏黒さんに憧れて東京に来たんですよ」
「俺より虎杖とか釘崎とか良い奴いっぱいいるだろ」
「だから、伏黒さんがいいんですって」

一歩、俺に近づいたなまえは背伸びをして、俺に顔を近づける。そしてそのまま目を閉じて唇を重ねた。柔らかくて温かい感触がする。「勝手にしろって言われたので勝手にしちゃいました」とはにかむなまえ。「そういうことじゃねぇよ」と言って顔を背ける。心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。


「伏黒さんの初めて貰っちゃったかも」
「……馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。いくつだと思ってんだよ」
「照れてます?可愛い」
「うるせぇな」
「好きです、伏黒さん」
「っ……」
「今日はやっぱり一人で帰りますね」

真っ直ぐ見つめられて告げられた言葉に息を飲む。ただすぐに踵を返されて引き留める暇もない。走り出した背中が見えなくなるまで俺は動けなかった。一人取り残された夜の道に立ち尽くす。さっきよりも気温が上がったような感覚がした。