霧雨が冷たく降り注ぐ


なまえが立ち去って呆然と立ち尽くしていると、ポケットの中のスマホが震えていた。
ディスプレイを確認すると、そこには虎杖の名前が表示されていて、タイミング悪いなと思いながらも通話ボタンを押した。

「あ、伏黒、ひまー?」
「暇じゃねぇよ」
「え?」
「で、なんだよ」
「んー飯でもどうかなと思って」
「別にいいけど」
「マジで?いつもの店に居るから来てよ」
「わかった」

いつもなら断っていただろう誘いも、相手が虎杖でその能天気な声に少し心が安らいだから、今日は行くことにした。邪魔になるだけだったな、と傘を持ち直して歩き出す。

***

指定された店に着くとすでに虎杖が居て、カウンター席に座っていた。店内には他にもそれなりの客が居たが、虎杖の元気で大きな俺を呼ぶ声は嫌という程耳に届いて、すぐにその姿を見つけることができた。
手を挙げて名前を呼びながら近づくと、虎杖の隣に座るよう促される。適当に注文を済ませて酒が届くまで他愛もない話をしているうちに、いつの間にか話はなまえのことになっていた。


「昨日の今日だからみんなに断られちゃってさぁ、伏黒が来てくれて嬉しい」
「そうか?」
「うん、それに伏黒に聞きたいこともあったし」
「俺に?お前が?」
「そそ、なまえのこと!」


口の端を上げて笑う顔を見て、思わず眉間にシワを寄せた。やっぱり来るんじゃなかった。こいつのこういうところが昔から苦手だ。何をどう話したらいいのか思い悩んでいると、ちょうどジョッキのビールが届いた。頼んだのはグラスビールだったはずなのに、と店員の顔を見ると、申し訳なさそうな顔をしていた。どうやら間違われたらしい。「もうこれでいいです」と言ってジョッキに口をつけると、虎杖も先に注文していた枝豆を頬張り始めた。とりあえず乾杯をして喉を潤してから、まず最初に思ったことは、なんでこいつは俺なんかに相談しようと思ってしまったのかということだ。確かに、一番気心の知れている相手ではあるのだが……いや、だからこそなのか。

「昨日、伏黒、なまえと一緒に居なかった?」
「……どうだったかな」
「一緒に帰ってる所見たんだけど」
「だったら最初からそう言えよ」
「逆、伏黒こそなまえと付き合ってんならちゃんと言えよって話」
「付き合ってねぇよ」

嘘は言ってない。告白はされたし、キスもした。けれど、返事はしてないし、付き合っても居ない。ただそれだけだ。虎杖は驚いたように目を見開いてこちらを見たあと、「え?付き合ってないん?」と続けた。そんなことわざわざ言わなくてもわかるだろうと睨みつけると、ごめんと言いながら笑い返してきた。この男は本当に変わらなくて安心する。きっとそれは、お互い様だと思う。

「なまえ、伏黒に告るって言ってたからてっきりそういう関係なったんだと思ってたわ」
「まぁ、告白はされたけど」
「けど、なに?断ったん?もったいね〜」
「も、もったいないって何だよ」

虎杖の言葉に動揺して、言葉遣いが悪くなる。それが恥ずかしくて、誤魔化すために手に持っていたジョッキに残ったビールを飲み干すと、すかさず追加が来た。それをまた一気に煽ると、虎杖が感心するように呟いた。空になったジョッキをテーブルに置いて、もう一本頼むことにする。ついでにつまみになりそうなものをいくつか注文すると、虎杖が身を乗り出して話しかけてきた。
飲み始めてから結構経つと思うが、虎杖はまだ一杯目のビールしか飲んでいなかった。ペース遅いなと思ったのと同時に、自分のほうが早いことに気がついて、少しだけ反省した。
虎杖は、あの後、なまえとはどういう知り合いなのかとか、どこで知り合ったのかなど根掘り葉掘り聞いてきた。別に隠すことでもないので、正直に答えていくと、途中何度か質問を繰り返しながら、最終的には納得したようだった。


「伏黒がなまえと付き合わないなら、俺がなまえ狙っていい?」

納得したはずの虎杖の口から出たのは想像に反した言葉だった。さっきの話を聞いて、なぜその結論に辿り着くんだ。理解できない思考回路に首を傾げながら、「好きにしろ」と返事を返し届いたばかりのだし巻き卵を口に放り込む。甘辛い味は、いつも通り美味しいのに。どうしてだろう。こんなにモヤッとするのは初めてだった。