雨のち晴れ


「伏黒おはよー!」

朝、事務室へ入ると釘崎が後ろから背中をバンと叩いて、俺を追い越して事務室へ入っていった。
昨夜はそれなりに寄っていたはずなのによく眠れなかった。なまえの告白とキス、それと虎杖の挑発。昨日は色んなことがありすぎた。ようやくデスクに辿り着き、パソコンを立ち上げた。メールチェックを始めると、すぐに伊地知さんが入ってきた。
いつも通り挨拶を交わして、昨日の報告書を作成するためタブレット端末を取り出す。画面を開く前に視線を感じ顔を上げると、伊地知さんがじっとこちらを見つめていた。
この人のこういう目は苦手だ。「寝不足ですか?」と問われ「はい」と肯定の言葉を口にすれば、すぐさま「コーヒー淹れてきましょうかね」と立ち上がる。長年五条先生の補助監督をしてきただけあって、何か言わなくても先回りしてくれる人だ。でも今の俺はそんな気遣いすら煩わしいほど疲れ切っている。

伊地知さんを待っている間、なまえの姿を探して部屋の中をぐるりと見まわす。見つけたなまえの隣には虎杖が立っていて、二人は楽しそうに談笑していた。……何の話をしているんだろう。声をかけようかと思った瞬間、なまえの手が伸びてきて虎杖の首筋に触れた。まるで恋人にするみたいに触れている手を見て胸の奥がざわつく。触るなら俺の方が絶対にいいだろうと思うのに、それを指摘する勇気はない。何も言えないくせになまえのその姿を見たら、心がそわそわして落ち着かなくて、二人の元へ歩み寄りなまえの手を掴んでその場から連れ出してしまった。

「ね、痛いって!伏黒くん!」
「あ、悪い」


廊下の端までなまえを連れ出したところで、ようやく我に返った。自分は何をやっているんだろう。何がしたかったんだろう。
あぁ、これは嫉妬だ。そう気づいてしまえば、気持ちがストンと落ち着いた。見たくなかったんだ。なまえに触れられるのも笑いかけられるのも全部俺が良かった。自分以外の誰かに向ける笑顔なんて見たくない。俺のものじゃないから尚更気に食わないのだ。
自分の感情に名前が付いた途端、今までずっと押さえつけてきた欲望が一気に溢れ出しそうになる。もっと触れたい。抱きしめたい。キスしたい。これは恋だ。俺はなまえを好きなんだ。


「なまえ、昨日言ったこと覚えてるか?」
「え?」
「昨日、…俺を好きって言ったことだよ」
「忘れるわけないでしょ?まだ返事も聞いてないんだから」
「……そうだな」

なまえに好きだと言われてから、昨日から頭の中はそのことでいっぱいだった。まさかなまえが自分を好きでいてくれたなんて夢にも思わなかった。そして、その相手が自分で良いのかとも思った。俺は呪術師としてまだまだ未熟だし、強くもない。それでもなまえの隣に居るのは自分がいいと、そう望んでしまった。だからもう迷うことはない。今ここではっきりと伝えよう。
真っ直ぐに見据え、「返事、今してもいいか?」と告げると、なまえは少し不安そうな表情を浮かべたけれど逃げずに受け止めようとしてくれているようだ。それが嬉しくて、思わず口元が緩む。緊張しているせいなのか喉が渇いた気がする。唾を飲み込んで乾きを潤してからゆっくりと唇を開いた。


「……俺も同じ気持ちだ」

そう告げると、なまえは目を丸くさせて驚いたような顔をした後、みるみると頬を赤く染めていった。きっと自分も同じくらい赤いに違いない。恥ずかしくて目を合わせることもできない。「……本当?」と信じられないとでも言うように呟かれた言葉に小さく首を縦に振るだけで精一杯だった。すると突然腕を引っ張られて、そのまま抱き寄せられた。「もう逃がしませんよ」そう言ってか細い腕で俺を抱きしめるなまえ。背中へ回された手が震えていることに気づいて、愛おしさが込み上げてくる。昨日とは逆の立場になったなと思いながら、なまえをぎゅっと抱きしめ返した。


「逃げても追いかけてくるんだろ?」
「追いかけますよ。どこまでも」

そう答えるなまえの声が耳のすぐ側で聞こえ、心臓が跳ね上がる。顔を上げればすぐ目の前にあるなまえの顔。吸い込まれるようにしてゆっくり近づき、そっと触れるだけのキスをした。柔らかくて温かい。たったそれだけのことなのに、幸せだと感じる。

雨降って地固まる。人生はいつも雨のち晴れだ。きっと、これからも、ずっと。



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4話の虎杖くんは野薔薇ちゃんに「伏黒煽って来い」って言われての行動でした。