八仙花の色が変わる


なまえと別れて、高専に戻って、携帯を開く。
「今日は楽しかった!ありがとう」となまえからのメールが届いていて、嬉しくてすぐに保護してしまった自分が居た。消せないメールばかりが増えていく。保護したメールを見返して、なまえと会うためには俺から連絡しなければ会えないことを思い出す。そんなことを考えていたら、なまえに返信メールを打つ気になれず、ベッドの上に携帯を放り投げた。

なまえに会いたい。会いたくなって、仕方がない。好きで会いたくて。でも会えなくて、どうしようもない気持ちになるのは初めてだった。

なまえに好きと告げるのは簡単。
なまえも好きと言われてきっと嫌な気はしないだろう。ただ自信がなかった。なまえが俺と会ってくれているのは、仕事だからだ。好きだと告げたらもう会ってはくれない可能性すらある。俺はそれが怖かった。


「あー……やめよ」
このままだと延々と悩み続ける気がする。とりあえず寝ようと思って電気を消すために立ち上がった瞬間、携帯が鳴る音が聞こえてきた。驚いてそちらを見るとディスプレイには知らない番号が表示されていて、一瞬出るか迷ったが通話ボタンを押した。

「もしもし」
「すみません、こんな時間に」
「あーなに?任務?」
「はい、そうです。大丈夫ですか?」
「それって俺じゃないとダメ?」
「すみません」

なまえからだと期待した電話は補助監督からで、俺は電話を切った後、私服から高専の制服へと着替えた。ポケットに携帯を忍ばせて部屋を出た。もう任務の時、俺の隣に立つ人は居ない。

▼▼▼

場所は高専から車で一時間半ほどかかるらしい。
再び携帯を手にして、なまえ宛ての言葉を模索する。「俺も楽しかった」といつも通り送るべきか、「俺のことどう思ってる?」と探りを入れてみるべきか、「なまえが好きだ」とストレートに告げるべきか。考えれば考えるだけ分からなくなってくる。車が有料道路から一般道へ下りたらしい。見える景色がさっきとは変わった。車窓から景色を眺めている間にも、どんどん頭の中に言いたかったことが降り積もっていく。結局、送ったのは「こういう仕事してていいなって思ったりすることねぇの?」という自分らしくないものだった。

すぐに返ってきた返信メールには「仕事だからないかな」と書かれていて、表情が見えない分言葉の真意が分からなかった。


「好みのタイプの奴が来ても?」
「うん。そういうこと気にしたことない」
「俺の第一印象ってどんなだった?」
「正直に?」
「正直に」
「大きいなぁって思ったよ」

自分らしくない周りくどい問いかけをしたせいで、余計に頭の中がぐちゃぐちゃになった。それでもどうにかこうにか文章を作っていく。
自分のことを話さないのは、相手に嫌われたくないからだとか、相手のことを知りたいと思わないからだなんて言ったけれど本当は違う。俺は自分が傷つくのを恐れていて、臆病者なのだ。好きな女の前では自分の良いところしか見せられないような男だ。情けないことに。

ぐちゃぐちゃなままの俺がなまえに次に送ったメールは「金なら払うから、俺の彼女になれよ」というれまた情けなく恥ずかしい内容だった。送ってすぐ後悔したがもう遅い。しばらくすると、着信を知らせる音と共に画面に表示されたのは、やはりなまえの名前だった。無視しても良かった。それでも心のどこかにもしかしたらという浅はかな期待があった俺は電話に出た。


「もしもし」
「あ、悟?ごめんね、今大丈夫?」
「あぁ」
「さっきのメールなんだけど、本気?」
「……嘘じゃない」
「きれいごとに聞こえるかもしれないけど、人の心はお金じゃ買えないと私は思ってるから」
「うん」
「悟の彼女にはなれない。ごめんなさい」
「もう指名しないって言ってもか?」
「うん、私を指名するしないは悟の自由意志だから」
「わかった。悪い、これから用事あるから切る」


それだけ言うと一方的に電話を切った。
どこまで行っても俺となまえは客とレンタル彼女という関係を突き付けられたような気がした。何度会っても、どれだけなまえのことを知ってもそれはきっと変わらない。なまえの深いところに俺は入れて貰えない。出会い方が違っていたら、今と違う結末が待っていたのだろうか。そんなことを考えながら窓の外を見た。山間の集落は、少しずつその形を変え始めていた。