9口目で辿り着く


サメ
美味しいもん

映画?

――なまえの好きなもの

エレベーター
しつこい男
無駄な時間

――なまえの嫌いなもの

なまえとの約束の場所に向かう間、なまえのことを考えていた。俺が知ってるのはなまえのほんの一部で、もっと知りたいと思うのにわざわざ「何が好き?」だなんて聞くのは野暮ったい気がして聞けなかった。きっと俺が知ってるなまえのことなんて、他の誰もが知ってることで、俺はなまえにとって特別でもなんでもないってことと繋がっているような気がした。


「悟?」

目的地であるお台場に着いてボーっとしていたら、なまえが俺の顔を覗き込んで不思議そうにした。「今日はどこ行くの?」となまえが俺に笑いかける。なんでもないと告げて歩き出す。今日は海沿いを歩いて飯食って、観覧車に乗る。普通の恋人同士みたいなことして、普通の恋人同士とは違う形でさよならするんだろうな。

駅を出て信号を渡ってすぐ、目に入ってきた海になまえは目をキラキラさせて走り出した。砂浜の上に辿り着くと、両手を拡げて「海ーー!」と俺に手を振ってくる。なまえの喜んでる姿が素直に嬉しい。冬なのにって考えたけど、水族館や魚が好きなら絶対海は好きだと思った。連れてきてよかった。夏にはたくさんいるであろう人もまばらにしかいない。波打ち際まで走っていくなまえを追いかけた。


「悟も海好きなの?」
「なまえが好きかと思ったから」
「ありがとう」

夕陽が吸い込まれていく海を背景に振り返ったなまえを見て、あぁキスしたいなって思った。そんなことしたらもう二度と会えなくなるかもしれないのに。冷たい風が俺となまえの間を容赦なく吹き抜けていく。「寒いな」って俺が言ったら、なまえは「そうだね」と答える。手を繋ぐとか、抱きしめ合うとか、そういう恋人らしいことはできない。だって俺にはその権利がない。

「マジさみぃ」
「冬だしね」
「次は夏に来ようぜ」
「夏の海は苦手なの。日焼けして痛くなっちゃう」


少し離れたところにあるベンチに座って二人で海を見た。未来の話をするなまえはどこか寂し気に見えた。
俺ンジ色に染まっていた空が少しずつ暗くなっていく。なまえの横顔を見ながら、この景色を忘れないようにしようと思った。

それからしばらく沈黙が続いた後、なまえが「そろそろ行こうか」と言って立ち上がった。あと少し、あと少し、一秒でも一分でもなまえと一緒に居たい。だけどそれは叶わない願いだから、「そうだな」と返事をした。海の見えるレストランで食事をとってから観覧車に乗った。二人きりで乗るのは初めてだった。窓の外に広がる夜景を見るふりをして隣にいるなまえを見つめていた。ずっと一緒にいたかった。

観覧車が地上に着いた時、俺たちはただの他人に戻った。任務中みたいに、他の呪術師に接するように、いつも通りに振る舞った。そして別れ際に、なまえは言った。「またね」と笑った。俺はそれに答えられなかった。なまえは気付いてたんだろうな。俺がまだ何か言いたそうなことに。それでも何も言わずに背を向けた。じゃあなとも言えなかった。


▼▼▼

なまえと別れて高専へ一人戻った。落葉樹は葉緑体が減って紅葉し、栄養が幹に移ると風に乗って落葉するというメカニズムらしい。つまり、俺の足元にある落ち葉は落葉樹にとって不要になったゴミということになる。風に吹かれてヒラリと落ちた葉っぱを靴で踏み潰した。枯れ葉の乾いた音が聞こえてくる。それを見ていたらなんだか無性に虚しくなって涙が出た。こんなに好きになるつもりはなかった。どうせ報われない恋だとわかってるのに、なんでまだ期待してしまうんだろう。なまえが俺のことを少しでも想ってくれてるんじゃないかって。そんなわけないのにな。馬鹿だな俺。
そんな感傷」に浸りながら高い木を眺めていたら、後ろから重たいもので背中を殴られた。もちろん無下限を切ってないので痛みはない。振り向くと、硝子が立っていた。どうやら殴られたのはビールが大量に入ったコンビニ袋だったらしい。

「なにすんだよ」
「別に痛くはないだろう?」
「そういう問題じゃねぇし」
「辛気臭い顔してたから元気づけようとしただけじゃないか。なんなら一緒に飲むか?」
「飲めねぇの知ってんだろ」
「だったらその顔やめろ。どうせ夏油のこと考えてたんだろ」
「ちげぇし」
「じゃあアレか。この前の女のことか」

図星を突かれたせいで言葉に詰まった。それを見て硝子は呆れたような顔をした。俺が黙っていると、硝子は煙草を取り出して火をつけた。煙を大きく吸い込んで吐き出す。白い息が冬の空気に溶けていった。その白が空気に溶けた頃、硝子が再び口を開いた。

「良く喋るくせに五条は言葉が足りないんだよ」
「……」
「欲しいなら欲しい。一緒に居て欲しいならそう伝えればいいだけだろ」

そう言って硝子は携帯灰皿の中に吸殻を入れた。それからポケットの中に灰皿を戻して、「持って」と俺にコンビニ袋を押し付けてくる硝子。仕方なく受け取って一緒に寮に向かって歩き出した。確かに俺は人より頭がいいけど、人の感情に関しては察する能力が低いと思う。だから、なまえの気持ちなんてわからない。なまえが何を考えているのか知りたかった。だけど、俺に教えてくれない以上は俺にはもうどうすることもできない。だから、俺にできることは一つしかないと思った。それは簡単なことじゃないけれど、それが一番確実で手っ取り早い方法だから。