溢れる涙が流れないように上を向くと、黄瀬は突然ガバッと立ち上がった。
「あー…何かスズっちと話してると、涙腺緩みまくりなんスけど…!」
「ししっ。緩めちゃえばいいじゃん!」
「嫌っスよ〜泣き虫だと思われるじゃないっスか。」
そう言って水道場の蛇口を捻り水を出した黄瀬は、自分の顔を濡らすのが涙か水か分からなくなるように、頭からその水を浴びた。
そんな彼をニコニコと見つめながら、スズは声をかける。
「そういえばさ、涼太。」
「んー?」
「そんなに頭濡らしちゃって、何か拭くもの持ってきたの?」
「あ。」
「持ってこなかったの!?」
「いや、持ってきたんスけど…ちょっと離れたとこに置いてきちゃったっス。」
蛇口を捻って水を止めた黄瀬は、目を瞑ったまま、ある方向を指さした。
彼の示す方を見れば、先程座っていた石段のもう少し奥の方に、1枚のタオルが無造作に置いてあった。
「じゃあ私持ってくるよ!」
「! うん、ありがとっス!」
「はいはーい!」
スズと普通に会話していることが嬉しいのか、黄瀬は笑顔で彼女の好意に甘えた。
しかし数分待っても、スズが帰ってこない。
離れてると言っても、そんな10mも20mも離れてるわけではない。歩いて数歩程度の場所だ。
"そこへ行って帰ってくるのに、こんなに時間はかからないはず。"
そう不思議に思った黄瀬は、片目を開けながら彼女の名前を呼ぶ。
「スズっち〜?…って、あれ。」
「オマエの双子座は今日の運勢最悪だったのだが…まさか負けるとは思わなかったのだよ。」
「…見にきてたんスか。」
「まあ…どちらが勝っても不快な試合だったが。サルでもできるダンクの応酬。運命に選ばれるはずもない。」
スズの向こうに立っていたのは、黒子と同様、かつてのチームメイトである緑間真太郎だった。
緑色の髪に、インテリっぽい硬い雰囲気、そして左手の指先に巻いた包帯。
そのすべてが驚きの対象となり、スズはボー然と彼を見つめていたのだ。
黄瀬は濡れた手を軽くユニフォームで拭きながら彼女の傍に駆け寄り、安心させるように頭にその手を置いた。
「涼太。」
「ボーっとして大丈夫っスか?」
「あ、うん!えーと…涼太の友達?」
「! そっか。スズっちは顔と名前一致してないんスよね。」
「え?」
「この人は"キセキの世代"のNO.1シューター、緑間真太郎っスよ!」
「…えっ!?」
不意に告げられた衝撃的な事実に、スズはまた目の前の緑男を凝視する。
隣にいる黄瀬をはじめ普段自分の周りにいる人達と違い、冷静でクールな印象が強い緑間に、スズといえどすっかり委縮してしまっている様子。
その証拠に、黄瀬が隣に来た瞬間から、スズは彼の数歩後ろに立ち位置を変えている。
彼女の自分を頼ってくれてるような態度に嬉しくなりながら、黄瀬は緑間に声をかけた。
「ちょっと、緑間っち〜あんまスズっちのこと睨まないでくんないっスか?」
「別に睨んでなどないのだよ。というか、誰なのだよ彼女は?」
「この子は誠凛バスケ部マネージャーのスズっちっス!」
「は、初めまして!木下スズです。」
「緑間だ。…にしても、新しい彼女が対戦相手のマネージャーとはな。」
「なっ…!ち、違うっスよ!!スズっちは友達っス!」
赤い顔で否定する黄瀬に呆れたような表情を向ける緑間は、1つ大きな溜息をついた。
彼のそんな態度を見て黄瀬も落ち着きを取り戻し、スズを背中に庇うように立ちながら会話を続ける。
「そういえば…帝光以来っスね。久しぶりス。…指のテーピングも相変わらずっスね。」
「あれって、昔からなの?」
「そうっスよ。変でしょ?…つか別にダンクでもなんでもいーじゃないスか、入れば。」
「だからオマエはダメなのだよ。近くからは入れて当然。シュートはより遠くから決めてこそ価値があるのだ。
"人事を尽くして天命を待つ"という言葉を習わなかったか?
まず最善の努力。そこから初めて運命に選ばれる資格を得るのだよ。」
そう言いながら緑間は、スズが取りに行こうとしていたタオルを黄瀬へと放った。
そして手にカエルの置物を持ちながら続けるのだ。
「オレは人事を尽くしている。そしておは朝占いのラッキーアイテムは必ず身につけている。だからオレのシュートは落ちん!!」
「(毎回思うんスけど…最後のイミが分からん!!これが"キセキの世代"NO.1シューター…)」
「涼太…緑間さんって本当に"キセキの世代"なの?」
「ぶふっ!いや、確かに変わってるっスけど、間違いなく"キセキの世代"の1人っス。実力はハンパないスよ。」
「そう…なんだ。」
まだいまいち信じ切れないスズを面白そうに眺めながら、黄瀬はNO.1シューターへ問いかける。
黒子と話をしなくていいのか、と。
「必要ない。B型のオレとA型の黒子は相性が最悪なのだよ。」
「(確かにテツとは合わなそう…あ、大我とも合わないかもな〜)」
「アイツのスタイルは認めているし、むしろ尊敬すらしている。だが誠凛などと無名の新設校に行ったのは頂けない。
学校選びも尽くせる人事なのに、あんな学校で勝とうとしているのが、運命は自ら切り拓くとでも言いたげで気に食わん。」
「("あんな学校"で悪かったわね!!)」
「ただ…地区予選であたるので気まぐれで来てみたが、正直話にならないな。」
「テメー!渋滞で捕まったら1人で先行きやがって…!なんか超ハズかしかっただろがー!!」
「(今度は誰?しかもあの乗り物は何!?自転車なのか、リアカーなのかどっちかにしてよ!)」
「まあ今日は試合を見にきただけだ。…だが先に謝っておくよ。
秀徳高校が誠凛に負けるという運命はありえない。残念だが、リベンジは諦めた方がいい。」
「…」
「(言いたい放題、言ってくれちゃって…!待ってなさいよ、キセキグリーン!!)」
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あれから緑間とその相棒が帰っていくのを見送り、いよいよスズも海常を後にする時間になった。
"校門まで送る"と言う黄瀬の申し出を、"疲れてるんだからいい"と、彼女は必死に説得している。
「うー…やっぱ送るっス!」
「ダメです。自分で思ってるよりも体疲れてるんだから、柔軟とかやってクールダウンしなきゃ。」
「…オレが……もっとスズっちと一緒にいたいんスよ。」
「!」
「だから、送らせて欲しいっス。」
ただでさえ黄瀬の顔に弱いのに、真剣な表情で、しかも何とも胸キュンな言葉を言われては…
"お願いします"と、頭を下げるしかないスズなのだった。
その後、楽しそうに話しながら門までの道を進む2人。
特に黄瀬のスズに向ける表情は、彼の気持ちを代弁するかのような全開の笑顔である。
しかし楽しい時間はあっという間に過ぎるもので…
「送ってくれてありがとっ!お陰で最後まで楽しかったよ。」
「どういたしまして。オレも超楽しかったっス!…次はいつ会えるっスかね?」
「んー何かすぐ会えそうな気がするけど…でもこればっかりは分かんないよね〜」
「……あ、番号!か、LINE教えて欲しいっス!!」
「そういえば交換してなかったね!いいよ、いいよ〜!」
「…よしっ。登録完了っス!」
「…んっ。こっちもバッチリです!」
「じゃあまた。連絡するっスね!」
「うん!」
ぶんぶん手を振りながら去っていくスズを、見えなくなるまで見送っていた黄瀬。
ニヤニヤしながらスマホを眺めるその姿は、スズの言うように、至って普通の高校生だった。
「おい、黄瀬!!いつまでサボってんだ!?」
「あ、笠松先輩。スイマセンっス!」
「ったく、スマホ見ながらニヤニヤしやがって…気持ち悪ぃな!」
「だってスズっちの番号とLINEゲットしたんスもん!」
「"スズっち"?あぁ、誠凛のマネージャーか。」
「そうっス!って、何で笠松先輩、スズっちの下の名前知ってんスか!?もしかして先輩も狙って…」
「バッ、違ぇよ!!向こうの奴らがそう呼んでるのを聞いただけだ!」
「怪しいっスね〜」
「う、うるせー!!」
そんなやり取りがなされているとは知らず、スズはリコから聞いた選手達の夕飯場所である店に向かっていた。
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