"あに…え…兄上…!!もう…おやめくだされ…!!"

"…大丈夫だよ…文月…私は、大丈夫だから…"


過去の忌まわしい記憶が脳裏に蘇る。

文月はハッと目を開けると、自分の額にうっすらと浮かぶ汗を拭った。


「フン…夢見の悪い」


自嘲気味にそう呟いた彼は、ふと疑問を抱く。

昨晩はなかば強引にスズと一緒に寝た。にも関わらず悪夢を見た。

今までこんなことはなかったのに…と顔を横に向けた文月は、その答えを知る。


「スズ…?」


繋いでいた手はいつの間にか離れ、彼女が寝ていた場所はもぬけの殻であった。

ゆっくりと体を起こし、部屋を見渡す。

スズの着物や普段身につけている小物、彼女からいつも香る優しい匂い。

それらはあるのに、肝心の本人がいなかった。


「起きる時は声をかけろ…馬鹿者」

「あ、文月!おはよう!」

「スズ…」


俯きそうになるのを引き留めたのは、元気よく障子を開けて入って来たスズであった。

自分の浮かない表情を敏感に察知し傍に寄って来た彼女の肩に、文月はそっと頭を預ける。

優しく頭を撫でられれば、彼は大きく息を吐くのだった。


「大丈夫?悪い夢でも見た?」

「…見た」

「そっか…じゃあ少しこのままでいようか」

「! あぁ」


自分が望むことを、言わなくても与えてくれるスズという存在に、文月は冷えていた心が戻るのを感じる。

それからしばらくの間、スズは何も言わず、彼の頭や背中に触れ続けた。

その愛情溢れる行動は、夢見の悪さを忘れさせるのに十分であった。


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迎えた正午前。

文月の着付けを手伝っていたスズは、最後に刀を手渡す。


「うん、似合ってる!」

「当然であろう」

「何か正装の文月って久しぶりに見たかも」

「どちらが好みだ?」

「えっ!うーん……昨日の夜みたいな甘えん坊の文月かな!」

「! 選択肢にないものを選ぶな」

「ふふっ。だって可愛かったから」

「…なら今日の夜は、そうじゃない俺を見せてやろうか?」


妖艶に微笑んだ文月は、そう言ってスズの顎をクイッと持ち上げる。

一気に立場が逆転しワタワタし始める彼女を面白がりながら、文月は身支度の最終チェックを終えた。

彼の表情が緩んでいたのは、この瞬間までだった。

部屋を出る頃には、生まれ持っての気品と風格を纏った城主・花山文月の姿がそこにあった。

そんな彼の後ろについて大広間へ到着したスズは、一張羅に身を包んだ嵐丸に笑みを漏らす。


「お前ら、準備はできたのか?」

「「「!」」」

「行くぞ。ついてこい」

「主、朝廷に行くんじゃないんですか?この先は奥の間だけど…」


外へは行かず、ただひたすら城の奥へと進む文月に、他の者達は訳も分からずついて行った。

そしてある部屋の前で足を止めた城主は、スパンっと勢いよく障子を開け放つ。

中には朝廷へ通じる召喚陣が、畳いっぱいに描かれていた。


「主、夜な夜な奥の間に引きこもってると思ったらこんなの描いてたんですね」

「…スズ」

「ん?」

「なんかあいつ…いつもより…静かじゃないか…?」

「…行く場所が場所だしね。私もそうだけど…あんまりいい思い出がないところだから…」


本人には聞かれないよう、小声で言葉を交わすスズと嵐丸。

彼女の笑顔は、いつもとは違いどこか悲しげだった。


「先にお前達に言っておくことがある。童、お前が余に協力する限り、余はお前の命を守る…そう言ったな。

 だが朝廷の連中がお前をどのように判断し、また何をしてくるかもわからぬ。

 そして白露。お前や…余の力は恐らく制限される。これから行くところはそういう場所だ」

「お、おい!そんなのどうしろって言うんだよっ!」

「……そうさな。まあせいぜい…気を緩めんことだな」

「皆…気をつけて」


スズの言葉に各自が頷きを返すと、陣の中に入った3人は一瞬で姿を消した。







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