Chapter2


もうすっかり、夕焼けも終わりそうな道を駅まで戻り、公衆電話を借りる。公衆電話を使うのは久しぶりすぎて、ちょっと緊張した。
100円玉を入れて、わたしが押したのは、一番掛け慣れた番号。受話器に耳を押し当て、一音一音ぴぽぱと音を確認しながら、番号を押す。
こんな事態になって、恐山に話を聞いて欲しい、あわよくば助けて欲しい、と思ったことは否めない。
ツーコール目で、
『はい、恐山ですが……』
と恐山が電話に出た。聞き慣れた声を聞いただけで幾らかホッとする。
「恐山わたしだ、矢内だ」
実はかくかくしかじかで、少しおかしなことになっていることを話そうとした。
だけど、
『何、あんた巫山戯てんの?』
名乗った途端、恐山の声が冷たくなった。
心の底から不機嫌な、背筋がぞっとして寒くなるような声。
「え、い、いやその」
『――悪戯電話なら切るぜ』
ふっと通話は切れ、後にはツーツーツー……という音が虚しく響くだけ。
二度ほど掛け直したが、恐山はもう出てはくれなかった。
わたしにとっては、今夜帰る場所がないこと以上に、恐山に理由は分からないまま嫌われたことのほうがずっと怖かった。
わたしにはもう一つだけ、暗記している番号がある。
祈るような気持ちでわたしはその番号へ掛けた。
呼び出し音、ののち、
『はい、こちら七瀬』
一切空気を読まない、明るい応対に、これはこれでホッとする。
「七瀬わたしだ、矢内だ」
『……矢内? え、矢内ちゃん?』
何故か驚かれた、声で分かる。
そしてやはりその声はすぐに、疑り深い物へと変わる。
『そもさん、矢内なら答えられるはず。
中学二年の時、恐山にあげたバレンタインチョコのメーカーは?』
「せっぱ、チョコはあげてない。カップ焼きそばだったはずだが」
『……そもさん、中学三年の時、俺とデートで見た映画は?』
「デートじゃない。確かデッドリーデイズで、B級ゾンビ映画だったろう?」
『……』
淀みなく答えると、七瀬は少し黙った。
『……それは確かに矢内しか知らないことだと思うけど、え? 何で今更?』
七瀬は何を言っているのだろうと思うが、七瀬の側でもわたしの言っていることは不可解なのだろう。
本当にさっきから何かがおかしい、わたしと世界で食い違ってしまってでもいるかのように。
『因みに矢内、今何歳?』
「バカ言うな、同い年なんだから二十五に決まっているだろう」
『……』
再びの沈黙。
「恐山にも、掛けてみたんだがすごい怒らせてしまって……」
『ああ……だろうねぇ、あいつは』
結局、噛み合わない会話を伸ばし伸ばし、公衆電話に五百円まで投じたところで、一度会って話そうということになった。
『――とりま俺の部屋でいい?』
「え? 七瀬って県外じゃないのか」
『……なるほど、矢内の中じゃそうなってんのね』
矢内の中じゃ、その言葉がやたら頭の中に残る。
七瀬はつらつらと住所を告げた。タクシーでおいでと言われたが、確かにそこはここから車で十分程度の場所だった。




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