chapter2


バス停でようやく恐山君は重い口を開いた。
「……先生は、自分の大切な人が重い鬱だったらどうします?」
患者じゃなくて、家族とか、そんな距離の人が、もしも、と。
「……いるの?」
彼は無言で、頷いて肯定を見せた。
恐山君はそういうものの見方を毛嫌いしていたはずだ。その彼がこういう言い方をするくらいだ、よっぽどせっぱ詰まっているのだろう。
「先生なら、どうするかなって」
……一応、わたしの顔は思い出してくれたのか。
「一度、ここへ連れて来たら?」
「あいつ、病院が嫌いで」
「手遅れになってからじゃ遅いよ?」
そう被せて言ったときに。

恐山君は目を見開いて。

ああ。

わたしはまたやってしまった。素直な、忠告のつもりだったのに。
でも恐山君は、その恐慌を自分一人でどうにか抑えきった。
「そうですね」
とわたしに、笑いさえした。
その笑顔にわたしは、恐山君の思いの深さを垣間見た気がした。

「そもそもどこから、病院に連れて行ったらいいんですか」
「基準はないけど……君も大丈夫?」
少しだけど、前に診察室で会ったときより顔が痩せたような気がする。
着膨れして、すこし幼げに見えるからか、尚更気になってしまう。
「俺は大丈夫ですよ」
って言うけれども、
「たとえば、“一緒に死のう”って軟監禁されたら連れてくるべきですか?」
そんな話を持ちかけられたら、心配せずにはいられない。
「されたの?」
「いや、まさか。……もののたとえですよ」
わたしが顔色を変えたから、変に慌てもせず、引っ込めた……という気がしないでもない。
もしも本当に治す方法があって、渋っているだけなら教えてくださいと恐山君は言った。わたしはそれに対して、画一的な治療は、やはりないのだと答えるしか出来なかった。
「ないなら一体何のための病院なんですか」
ため息を吐く恐山君に、何も言い返せないまま、青いバスが到着し、二人で乗り込んだ。

恐山君が足を止めなかったので、一緒に一番奥の座席まで行き、降りる地点がわたしより遠いと言う恐山君が窓際に詰めた。
かすかに揺れる車内でわたしは恐山君に
「どれくらい?」
と訊いた。
丁度、恐山君に聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
「え、」
「その人との付き合いは」
聞き返した恐山君は、ぷっつりと黙り、そして答えた。
「……十二年」
恐山君が目を閉じて答えた声の素直さに、何故かわたしは泣きそうになった。
十二年と言ったら、恐山君の年であれば約人生の半分だ。
「苦しみ過ぎだよ」
諫めるように笑いかけると、恐山君はつんと答えた。
「別に? 苦しいことばっかりだった訳でも、ありませんよ」
……ははは、きっつ。
安価な同情ならば要らないという、痛烈な批判のようなその言葉に、わたしは苦笑してしまった。全く彼らしいと。



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