chapter5


バスは山道を抜けた。
揺れがふっと安定する。
次第に窓の外は町の灯りや街灯、他の車のライトなどで騒がしくなってきた。
恐山君は窓の外を見る余裕もないらしく、どんよりとした目で前の座席を見つめて呟いた。
「そんなことしかできないんですかね」
ため息のように漏らす。
そんなことって……。
わたしは笑おうとして、でもかたく頬がひきつっただけだった。
「十二年間、一人の人を思い続けるなんてなかなか出来るものじゃないよ」
「……そんなきれいなもんじゃないです」
「恋人なんでしょ?」
澄まし顔で答えた恐山君は、わたしのその短い問いににわかに頬を染めた。
「恋人?」
「違うの?」
「あいつは、中学の時の、クラスメイトで、付き合ったことなんか」
言いながら、何を思い出しているのだろう、恐山君はどんどん赤くなって行き、そのうちに一人で拗ねてしまった。
「……そんなのいけませんか?」
すごい人間不信の野生動物みたいな眼を、わたしに向けて来た。声もやさぐれている。
「全然」
とわたしは余裕で首を振る。
おかしい、とは思わない。
日向君とはまた違った眼。
半眼で、いつも何かを油断なく睨んでいるような目。
けど、隠しようもなく、一捌け赤い頬。
きっと彼も、恋をしているのだろう。
わたしは一人で横柄に足を組んだ彼の前に、右手を差し出した。恐山君は何事かとわたしを見た。
「――はい?」
一体何処から出たんだというくらい、疑わしそうな声。
「診察代ですか?」
「ううん」
違う。
ここまで一人の医者として、話していたつもりはなかった。
ただ一人の、隣人として。

「約束。そんな人がいるのなら、絶対にもう馬鹿なことしないって」

指切り、
は、子どもじみていて、流石に出来なかった。
代わりに握手をした。
わたしが強く握ると思いがけず痛かったのか、恐山君は負けじと力強く握り返してきた。
ああ、痛い。
のに、その痛みにちょっとほっとしてしまった。
この負けず嫌いと、力があればきっと大丈夫。
わたしの大丈夫には、いつも根拠がないけれど。

「……なるほど、結構来ますね、」
「利きそうでしょ?」
「いえ、単に気恥ずかしさが」

でも、こんな一見空っぽに見える約束でも、本当に効果があるから馬鹿に出来ないのだ。
そう? と笑って手を離したとき、丁度バスがわたしの降りる停留所に近づいて来た。
降りますと声をかけながら慌てて立ち上がり、
「またいつでも会いにおいで。今日みたいに時間外でもいいから」
振り返ると
「ハハハ、なんかすげぇ語弊のある言い方」
恐山君は苦笑して――暗い車内灯の光の下で、微かにだけど、頷いた。

どういう心境の変化か知らない。
恐山君も。最近、そわそわし出した谷川君も。

バスを降りる。
わたしには、やはり分からない。
それでも誰かに、必要とされなければ生きていけない。

隣の芝生はいつだって青い。






- 30 -

*前n | 戻る |次n#

ページ:

*