泣くから


いつも隙のない君が、隙だらけだった。
そんなことにもわたしは気付かなかった。
だからこんなことになったのか。

君一人ならきっと、目を付けられることもなくて、平和だったのかな――

わたしは押さえつけられて、へなへなと座ったままで、数人がかりでボコボコにされる君を見ていることしかできなかった。
「も、もう――」
止めろと叫びたいのに、まともに声が出ない。
現実感が追い付かなくて、涙も出ない。
目に焼き付くのは君の赤。

殴られて口の中を切ったのか、君は血反吐を吐いた。

だというのに、君は苦しげに息をし、まだ目を上げる。
気絶することも出来ない――わたしがここに、いるから。

頑張るね〜彼氏、と楽しげな野次が飛ぶ。
容赦のない殴打の音は、まるで拷問のように、わたしの耳まで届いた。

止めて止めて、もうそれ以上は止めて。

わたしは絡んできた連中のことなんかちっとも見ていなくて、ただあいつの姿だけを見つめて夢遊病者のようにぶつぶつ呟いていた。

止めて止めて、もうそれ以上は止めて。
じゃないと君が死んでしまう――

あれ? 怖くて、おかしくなっちゃったかな〜?
ぐいっと髪の毛を掴まれ、顔を上げさせられる。
ブチブチと髪の毛が幾らか抜ける音がした。
しかし、男にさほど興味のないわたしの目の焦点は男に合っていず。
それがまた火に油だった。
彼氏のことしか見えないって? じゃあ彼氏の目の前でヤられてみる?
その言葉に君は暴れかかったけど、数人に押しつぶされ為す術がない。

いいんだ、これで。
連中の興味がわたしに向けられれば。
その間君は解放される。

だから、だから、

触られても、なんてことはなかった。

全然感じないし、現実感はどこかに行ったきりで、身体をまさぐられても、冷たいも熱いも、生きた感覚は何もなかった。
怖がらないし、声も上げないし、何こいつ、と言われてから気が付いた。

そうだ声くらい出さなきゃ――
そう思った矢先、

「アハハハハ!!!」

突然笑い声が響いた。ともすれば怒声のような声量だった。
そして信じられないことに、その声の主は恐山だった。

「その女、俺が抱いてもマグロだよ? かわいげも面白味もちっともなくて、あんた等の相手なんか、まともに務まるはずがない!!」

ケタケタと、まるで別人のように笑い出した恐山を、わたしは呆然と見ていた。
その内容よりも、いきなり気が触れたみたいな笑い方に、ぞっとした。
呑まれたのはきっと、わたしだけじゃない。

だから、

「――俺にしときません?」

恐山がそう言ったとき、潮が引いたように誰も黙った。
一瞬の沈黙の後、爆笑に包まれた。

遅れて意味を理解したとき、わたしはうすら寒くなった。
「い、や」
わたしは首を振って拒否したが、小さな言葉は笑い声にかき消されてしまって誰にも届かない。
興味半分で男が恐山の頭を掴み上げる。
痛みからか恐山が顔をしかめた。目に入る血に片目を眇めている恐山を見て、よく見りゃきれいな顔をしてる云々――
「俺は、どうなってもいい。だから、そいつは」

わたしは首を振り続けて、

そっちの女を抱くよりずっと面白そうだ、と中の一人が言ったのを耳にした途端、

「恐山っ!」
と声が出た、叫んだ。
何を言ってるんだ、そんな怪我で回されでもしたら。

――止めてくれ本当に殺されてしまうかもしれないのに。

だけどわたしが幾らもがいても、恐山の側に行くことを、わたしを押さえている男は許してくれなかった。
場の空気は恐山の提案を飲む方向で、出来上がってしまっていた。

いるもんだ、世の中には時々、生きたまま羽をもぐのが、大好きな人間が。

押さえつけられたとき、恐山と目が合った。

「矢内」
さっきの怒声とは真逆の声で。
いつも、耳元で囁いてくれる、優しいあの声で。

「大好き」
そう言って、恐山は微笑んだ。
その顔は、男たちが言うように、ほんとうにきれいで――



視界が、恐山の笑顔が、真っ黒に塗りたくられていく。
嫌だ嫌だ嫌だ――――!!







もう一度恐山と叫んだとき、
ぱちと目が覚めた。





***

『ハイ、近所迷惑』
「っ、は、い」
『ちょっと落ち着きましょうか……』
泣きながら電話をかけたら、真夜中にも関わらず恐山は電話に出てくれた。浮気はしてないらしい。良かった。
電話した事情を話したら、軽く叱られたけど、わたしはそんな恐山の声にさえ、困ったことに涙が止まらない。
『――寝る前に怖いDVDとか見たんじゃないの?』
「暴力的なのは、怖いから見ない……。……恐山は分かってないぞ、わたしから言わせればスプラッターは、暴力とは訳が違うんだ……」
『あーもうそんなの知らんわ』
恐山は本当に興味がなさそうだった。
とりあえず、泣き止みなさい、ねぇ? っと諫める声が優しくて、わたしは更に泣いてしまう。
『だー!』
泣き尽くしてしまうまで、この涙は止まりそうもなかった。
碌に会話もないまま、わたしの嗚咽を聞きながら、恐山は電話を切らずにいてくれた。
『落ち着いた?』
「……少し」
『上等』
ふっとため息が聞こえた。
「……恐山怒ってる?」
『怒、ってはない』
恐山は、勿体付けた言い方をした後、
『……でも矢内、俺は、さ、そこまで殊勝な人間じゃないよ』
と、言ってきた。
「……そうか?」
『案外矢内のこと、置いて逃げるかもしれないぜ?』
「それはない、と思う」
『……どうだか』
「恐山」
『ん?』
「いつもありがとう」
『……意味が分かんねぇよ』



泣くから



……やるかも、なんて言えないよな。

『最近暗くなるのが早くなったから仕事帰りとか気を付けろよ?』
「君もな」
『ないないないない、絶対ないから』







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