やけっぱちの伊達男

 インドにいる間は千里のそばに必ず一人はいること、という決まりができたのはそれからすぐのことであった。あまりにも度の過ぎる痴漢行為にフランス人のポルナレフは酷いショックを受けたようであり、またジョセフも思わず「Oh, God」と呟いたほどである。インドをよく知るアヴドゥルも想定外すぎたようで、何度も千里に謝罪していた。しかしやはり彼女がそれについて特別な感情や感想を抱くことはなかった。
 千里が一人にならないようにするのは彼女が再度痴漢の被害に遭わないようにするためだが、承太郎と花京院の思惑はまた別にあった。なぜなら彼ら二人は千里が一般人にスタンドの銃を向け発砲しようとした瞬間を見てしまっていたからである。それは彼らの正義感や倫理観を揺るがすのに充分すぎる光景だったのだ。つまり痴漢とはいえ、無力である一般人を千里が躊躇いなく殺そうとしたことを危惧したのである。またいつ彼女が人を殺そうとするかわからない。自分たちとは違った価値観を持つ少女を放っておくのは危険だと判断したのだ。
 早速千里の新たな服が購われ、それに着替えた彼女がレストランのトイレから出てきたのは、ちょうどチャイがテーブルに運ばれてきたときであった。入れ替わるようにポルナレフがトイレに行くと席を立つ。千里が花京院とポルナレフの席の間に腰を下ろしたところを見計らうように話が再開される。チャイから香るシナモンの匂いにどうしても飲む気になれなかった千里は腕を組み、皆の話を聞きながら何気なく壁に立てかけてある姿見に目を向けた。飾りなのだろうそれは縁に彫刻が施されている。彼女の席から鏡を見ると店内の様子がよく見え、また窓の外の通りを人々が行き交う様も見ることができた。千里の姿は鏡の右端に映っている。
 通りを行き交う人々の中で一人の男が立ち止まった。肌の色から男がインド人でないことは鏡越しに見ても明らかだ。旅人なのだろう、西部劇を彷彿とさせるような男を千里が何気なしに見ていると彼女の視線に気が付いたように男は店の窓へと体を向けた。そして鏡越しながらも千里と目が合う。男はにやりと意味深な笑みを浮かべたかと思うと、右手を彼女に向けた。刹那、その手に銃が現れる。それがスタンドなのだと気付いた千里は即座に立ち上がり、振り返りざまにプラネット・スマッシャーズを発現させた。突然千里が立ち上がったことに皆が驚きの声を上げたが、千里はお構いなしに窓越しに男へプラネット・スマッシャーズを向ける。しかし男は笑みを深くしただけで銃を消し、一同の視線が千里から移る前に立ち去ってしまった。それはまるで自身の存在を千里に認識させるだけが目的だったようにも思われた。千里と同じタイプのスタンドを使用する男の姿は強く千里の網膜に焼き付けられる。

「どうした千里! 敵のスタンド使いが現れたのか!?」
「はい。……すでに姿を消しましたが」

 千里の一言にジョセフが椅子を蹴って立ち上がり、店内を見回したがそれらしき姿を見つけることはできない。ジョセフの言葉に色めき立った一同を一瞥し、千里は発現させたままであったプラネット・スマッシャーズを消した。敵意や殺意といった類を一切感じさせなかった男の目的は不明だが、やはり自身の姿をあえて見せたと解釈するのが妥当だろう。ならばすぐにまた姿を見せることはないと、立ち上がった一同とは対照的に千里は椅子に腰を下ろした。
 敵のスタンド使いについてジョセフが千里から詳しく話を聞こうとした矢先、トイレに行っていたポルナレフがものすごい形相で店を飛び出していく。千里が敵のスタンド使いを目撃したこともあり、ポルナレフも敵に遭遇したのかと皆がポルナレフを追いかけて店を出ていったが、千里は一人無表情にそれを眺めているばかりだった。そこからでも皆の様子を見ることはできる。声までは聞こえなかったが、やはりポルナレフも敵と遭遇したようであった。それが自身の見た敵と同一であるか千里はわからなかったが、姿を見せるだけ見せて去ったあたりからそれが敵の挑発なのだろうと見当をつけていた。それは今までの経験からはじき出した答えである。
 千里を店内に残したまま承太郎たちは一人で敵を追うと立ち去るポルナレフを黙って見送っていた。ポルナレフの行動は短慮であったが、妹の仇が近くにいるために激昂していると思えば仕方のないことでもあった。アヴドゥルは一人ポルナレフに対して失望していた。一方でポルナレフを止めることができなかったことを悔いている風でもあった。それもまた仕方のないことである。
 インドからの移動手段として車を借りることになり、花京院がその手配をしている最中、一行は日陰の中で石段に座って車が来るのを待っていた。やはりアヴドゥルだけが浮かない顔をしている。そしてかなり長い時間逡巡をしたのち、やはりポルナレフが心配であると立ち上がった。ポルナレフには腰抜けと侮辱されはしたが、アヴドゥルの義侠心はその程度では揺るがない。ポルナレフが一行に加わってからまだ日は浅かったが、それでも仲間と呼ぶには充分な信用と信頼を置いていた。ゆえに一人飛び出していったポルナレフに失望したのである。アヴドゥルがポルナレフを仲間と認識していた証拠であろう。
 今にも飛び出さんとしていたアヴドゥルをジョセフが止める。なんだかんだ言いつつも、ジョセフもまたアヴドゥルと同じだったのである。その意思は承太郎と花京院も共通であった。彼らはポルナレフを置いて行くなどと最初から考えていなかったのである。ただ気が高ぶっているポルナレフを宥めることは無理だと判断していたために、アヴドゥルとは違いポルナレフを止めなかったのだ。
 花京院の運転で一行を乗せたトラックがカルカッタの街中を走る。ジョセフが助手席に座り、残り三人は荷台に腰を下ろしていた。日差しが強く、また乾燥した気候のせいでひっきりなしに砂埃が舞っているためか、千里はマフラー代わりにしているストールで頭部をすっぽりと覆い、目だけを出していた。しかし一方で暑かったのか痴漢に破られたことに辟易したのか、タイツを履くことをやめていた。日焼けと縁のなさそうな白い足が妙に周囲から浮いている。
 ポルナレフのことだから敵と遭遇すれば派手な騒ぎを起こすだろうから見つけ出すのは容易ではなくとも不可能ではないだろうと皆は思っていたのだが、それ以上に賑やかな街と酷い渋滞に捕まり、トラックは思うように動けなかった。クラクションが甲高い音で騒がしく四方から響いている。しかし渋滞が解消されるどころか、目の前の車すら動く気配を見せない。こんなところでのんびりしている暇はない、ポルナレフが敵にやられてしまうかもしれないと、苛々を募らせる一行を千里はぼんやりと眺めていた。正直なところを言えばポルナレフを探すことに興味がなかったのである。旅の同行者ではあったが、千里の第一の目的はDIOである。ポルナレフはDIOではなく、DIOの部下であるJ・ガイルだ。目的の不一致により、ここで袂を分かつことになってもなんら問題はないと考えていた。

「このままでは埒があかんな……」

 あまりにも車が動かないことに痺れを切らしたジョセフは呟いて車を降りる。

「そんなに遠くへは行っとらん。手分けして探そう」

 ジョセフの言葉に承太郎とアヴドゥルは荷台から飛び降りた。そしてジョセフと承太郎、そしてアヴドゥルの二手に分かれてポルナレフを探すことになるが、千里は花京院と共に行動するようジョセフに言われ、それを荷台から眺めるばかりである。花京院もここで車を投げ出すわけにはいかず、運転席から離れることはできない。仕方のないこととはいえ、花京院は小さく舌打ちする。花京院とてポルナレフが心配であり、できることならば今すぐ車を捨ててポルナレフを探しに行きたかった。しかし今は我慢するしかない。
 花京院は千里の様子をバックミラーから盗み見た。灰色の瞳しか見えないが、やはり茫洋としており、どこかを見つめている。ポルナレフを探しに皆が行動しているにも関わらず、千里は相変わらずだんまりを決め込み動こうとすらしない。ポルナレフがどうなってもいいのか。そんな様子なら運転を代わってくれないかと花京院は叫びたかった。

「千里。きみはポルナレフが心配じゃないのか」

 怒りを抑え込み、努めて静かに言ったつもりだったのだがわずかに声が震えてしまう。いくらクラクションがうるさい街中とはいえ、運転席の窓は開けられているために花京院の声は千里の耳に届く。静かな怒気を感じ取ったのか千里は運転席と荷台を隔てる窓越しにちらりと花京院に目を向けたが、すぐに街中へ向けられてしまった。それがまた花京院の怒りを煽る。

「千里ッ!」
「……そこの道だ」

 花京院の怒気などまったく気にすることなく、千里は左に見える横道を指差した。ポルナレフを探すことに対して興味がないとはいえ一応は旅の同行者であり、千里自ら一行に加わったこともあって、最低限の協力はすべきだと理解している。店で見た男の姿を横道の奥に見たため、その道を花京院に指し示したのだ。ポルナレフが追っている男とは違うとはいえ、姿を見せるだけだったあのガンマン風の男が一人で行動をしているとは思えなかったのである。同じ店でポルナレフと千里がそれぞれ違う敵のスタンド使いを見たことからも、二人で行動している可能性があった。そのため、男を追いかければ自然とポルナレフに辿り着けると考えたのである。
 相変わらずの千里の態度に花京院は声を荒げようとしたが、そのとき都合良く前の車が動きだしたため、運転に集中せざるを得なくなる。そしてこの渋滞から抜け出すためにも癪ではあったが千里の指差した横道に入ることを選択した。横道を抜けた辺りで千里が荷台から飛び降りる。それに驚いた花京院はすぐさまトラックを道の脇に停めて千里を追いかけた。目指す場所を把握しているのか、千里の足は酷く速い。
 そして千里を追いかけて建物の角を曲がった花京院が見たものは、水たまりの中でアヴドゥルの背に刃を突き立てる敵の姿だった。そして銃弾がアヴドゥルの眉間をぶち抜いていく。