皇帝の花嫁

「クールに見えてなかなかアツい弾幕を張るじゃあねえか」

 サブマシンガンの弾が切れ、スモークグレネードの白煙が薄れた頃だった。ホル・ホースが煙の中から現れる。切羽詰まった様子はなく目立った外傷もないが、それなりに掠めているはずだ。しかし千里はホル・ホースの殺害を目的とはしていないため、ホル・ホースが無傷であろうが関心を抱くことはない。一番の任務である花京院とポルナレフの撤退の援護は達成しているのである。千里は両手からサブマシンガンを落とし、瞬時に左手にアサルトライフルを発現させた。それを右手で支えながら銃口を敵に向ける。千里の手慣れた様子にホル・ホースは小さく口笛を吹く。

「同じタイプのスタンド使いが相手だと、不思議と親近感を覚えちまうもんだ。が」

 ゆらりとホル・ホースが銃口を向けようとも千里は決して反応しない。ただ無表情に微動だにすることもなくプラネット・スマッシャーズの銃口をホル・ホースに狙いを定めているばかりだ。その様子にホル・ホースは内心舌を巻く。まだティーンの少女のくせに悪くない動きをすると思ったのである。しかしいくら千里の動きがよかろうと、未成年の少女に負ける気など露ほどもなかった。トリッキーなスタンドならまだしも千里のスタンドはただの銃器を発現させるだけである。銃弾も愚直にまっすぐ飛ぶ程度ならば現実で充分に起こりうるレベルの戦闘だ。エンペラーもプラネット・スマッシャーズとは似たようなスタンドではあるが、千里のスタンドと違う点は銃弾の軌道を思い通りにできることである。撃ちっぱなしである千里のスタンドとの決定的な違いだ。千里がどの程度強いのかホル・ホースは知らないが、体格差と経験値から互角にはならないだろうと予想をつける。むしろ自由自在に動き回る銃弾を扱うホル・ホースの方が有利だと言えよう。

「――さて。お前さんのスタンドと、おれのスタンド。……どっちが強いか試してみようや」

 ホル・ホースが最後まで言い終わらないうちに千里は動き出す。アサルトライフルを構えたままホル・ホースに接近し、フルオートに切り替えたアサルトライフルの引き金を引く。ホル・ホースは咄嗟に横に飛んでそれを避け、皇帝を間近にいる千里に向けて発砲した。千里は体をひねって銃弾を避けるも、スタンドの弾は軌道を変えて千里を狙う。しかし体を捻った間も引き金を引き続けていたために全方向へアサルトライフルの弾が飛んだ。さすがに弾幕すべてを避けるだけの精密な操作のできないホル・ホースの銃弾は、千里の放った弾幕の中の一発に弾かれる。だが千里がホル・ホースに背を向けた瞬間、ホル・ホースは間髪入れずに二発目を発砲し、それは千里を追い越して飛んで行きながらも急カーブを描いて軌道を変えた。正面から襲い来る銃弾を千里はアサルトライフルを投げ捨てて、弾の軌道の下に潜り込むように前方に飛び込んで避ける。そして右手を地に付け前転しながら左手にマグナムを発現させ、そのまま足の間から銃口をホル・ホースに向けて数発発砲した。ホル・ホースは素早く横に跳躍してそれを避ける。前転から起き上がった勢いを殺さぬまま軸足をバネに千里は体を半回転させ、真正面にホル・ホースを見据えながらさらに引き金を引く。それを先ほど千里が避けたホル・ホースの弾丸が打ち落とす。追撃するようにホル・ホースが発砲したために、千里の周囲を飛び回る銃弾が増えた。視界の端でそれの軌道を確認しながら千里は新たなオートを発現させてホル・ホースに急接近し、その懐に飛び込みながら右肘を鳩尾に打ち込んだ。接近戦に持ち込めば、ホル・ホースの銃弾は千里を狙いにくくなる。当たる瞬間に千里が避ければホル・ホース自身に直撃してしまうし、自身に当たらないように直前で弾を消しては千里に当たらない。そのため、ホル・ホースは発砲する瞬間しか千里を狙えない。どれだけ周囲に弾丸を侍らそうとも、自身に当てずに千里だけを狙うのは難しかった。
 千里はそのまま銃口をホル・ホースの喉元に押し付けようとした。刹那、左足に焼けるような痛覚を得てバランスを崩す。しかし勢いを殺すことはない。千里はバランスを崩して倒れながら体勢を変え、血の噴き出る左足でホル・ホースの足をなぎ払う。鳩尾にダメージを受けながらもホル・ホースは跳躍することでそれを避け、着地と同時に千里の横っ面を蹴り飛ばした。千里は両腕を交差させることでそれを受け止め、受けた衝撃に逆らわぬまま一度大きくバックステップを踏んで距離を取る。そして再度アサルトライフルを発現させた。間髪入れずに引き金を引く。

「やるな嬢ちゃん。だがちぃとばかしお転婆が過ぎるぜ。女の子は慎ましやかにしてるのが一番だ」

 軽口を叩きながらもホル・ホースは内心冷や汗を掻いていた。なぜなら予想よりも千里が手強く、また、痛みを感じていないのか足を撃ち抜かれても動きが衰えない。現に今も左足から血を吹き出させながらホル・ホースにスタンドを向けている。しかも脂汗一つ掻くどころか表情すら歪ませようとはしないのだ。本当に痛覚があるのか疑いたくなる。戦いの最中アドレナリンが分泌されて痛覚を始めとした諸々の感覚が麻痺することがあるというが、千里の様子からホル・ホースの目にはそこまで戦闘に夢中になっているようには見えなかった。逆に恐ろしく冷静であるように見えた。

「女を撃つのは趣味じゃねえ。だがな、女に殺される趣味もねえんだ」

 じり、とホル・ホースは一歩下がる。平時ナンバーワンよりナンバーツーだと言い放っているのだから、当然の行動と言えた。不利ではないが有利でもない。千里に負けるとは思ってなくとも戦闘が長引くことは容易に想像できた。J・ガイルが戻ってくるまで耐えることも可能だろうが、それより先に千里の仲間が来る可能性もある。元々の人数の差から圧倒的に有利でもないのだから、このまま戦闘を続けるのは下策だと言えた。J・ガイルと合流してから体勢を立て直しても遅くはない。むしろJ・ガイルを追いかけて合流した方が上策だ。ゆえにホル・ホースは逃げを選ぶ。

「アヴドゥル! 千里!」

 不意に聞こえた声にホル・ホースが先に反応する。そして好機だと千里に背を向け、全力疾走で駆け出した。逃がすまいと千里が発砲する。しかしホル・ホースは素早く建物の陰に逃げ込んでしまったために当たることはなかった。千里はアサルトライフルを手放して消し去る。そして現れたジョセフと承太郎を一瞥し、倒れるアヴドゥルの横に膝をついた。駆け寄ってきたジョセフは額から血を流すアヴドゥルの様子に顔色を変える。ぴくりとも動かないアヴドゥルに承太郎も眉間にきつく皺を寄せた。

「一体なにがあったんじゃ!」
 
 最悪の状況を想像するジョセフをよそに、千里の行動は素早かった。首からマフラーを取ったかと思えば手早くそれを犬歯を使って器用に裂いて折り畳み、アヴドゥルの額の傷に押し付けて、残ったマフラーを包帯代わりにきつく巻き付ける。緑色が血を吸ってどす黒い色になろうとも、躊躇はなかった。そこでようやく承太郎はアヴドゥルがまだ生きていることに気が付いた。首筋の動脈に指を押し付け、脈を確認する。それを見てジョセフも最悪の状況ではないことに気が付いたようだった。千里はカッターシャツの襟からリボンタイを抜き取ってホル・ホースに打ち抜かれた自身の左足に巻き付け、発現させたリボルバーの銃身をリボンタイの隙間に差し込んで回して締め付けをきつくする。簡易ながらきっちりと止血ができていることを確認した千里は立ち上がった。アヴドゥルの様子に気を取られていた二人が千里を見る。

「借りは返したと、そう伝えてください」

 ホル・ホースが逃げて行った方角を見つめながら千里は呟く。千里は花京院とポルナレフの援護ではなく、ホル・ホースを追いかける気でいた。敵が目の前に現れたこの状況、情報を得るチャンスである。場合によっては情報を得たその足でエジプトに向かうつもりでもあった。

「その足で追うつもりか」

 承太郎は千里の左足に巻きつくリボンタイを一瞥した。元々ワインレッドだったはずのそれは傷口の部分だけ血液を含んで黒に近い色に変化している。銃弾に撃ち抜かれたのだと承太郎は知らないが、深手であることには気が付いていた。アヴドゥルを病院に連れて行くことが先だとも理解している。
 承太郎は千里の右手首を掴み上げた。強く締め上げる。千里は抵抗するわけでもなく、じっと承太郎を見上げる。相変わらずなにを考えているのかわからない双眸に承太郎は多少のいらつきを覚えた。

「それに、だ。おれたちに言付けるな。てめえで言え」

 千里の灰色の瞳を一度ゆっくり瞼の裏に隠し、自身を睨むエメラルドグリーンを見つめ返した。ハイエロファントグリーンとはまた違う緑色だ。そして承太郎の背後にスタープラチナの姿を認め、千里は視線をそらした。抵抗してまでホル・ホースを追う気はない。そこまで必死になるつもりは毛頭なかった。
 ジョセフが救急車を呼んだらしい、遠くからサイレンの音が徐々に近付きつつある。アヴドゥルはそれに乗って病院へ運ばれるのだが、その付き添いに千里が選ばれた。ついでに手当を受けてこいということである。その代わりではないが、ジョセフと承太郎が花京院とポルナレフを追いかける。病院で待っているようにとジョセフに言われ、千里は立ちつくして二人の背中を見送った。