あの状況ならば仕方がないと承太郎は理解している。そして花京院の精神状態を思い出せば、なにも言わない千里も悪い。いくらあの女が敵であろうとも一見するだけではわからず、さらにジョセフの腕にできた虫刺されがスタンド攻撃であるなど思いもしない。千里の行為が承太郎たちに改めて敵に対する警戒心を植え付ける結果になろうとも、下手をしたら一般人に当たっていた可能性を考えるとやはり千里に非はある。口で言えば簡単なことを彼女はいつもややこしくする。結果論に過ぎずとも、千里が一言言えばいくらでも手はあった。承太郎には無駄に精神をすり減らす花京院が哀れに思えた。承太郎自身も似たようなものであるが。
いつから女が敵だと気付いていたのかと問いかけたところで千里が回答をするわけでもない。ジョセフが腕に寄生したスタンドを倒したとほぼ同時に千里が女を狙撃したのだと、ジョセフの話や状況から判断するのが精一杯であった。おかげでポルナレフは失恋したのだが、美人の皮を被った醜女のことをいつまでも思い続けるわけもなく、危うく騙されるところだったと安堵の息を漏らしていた。確かにポルナレフが女とキスをする前にジョセフが敵スタンドを倒したことは僥倖であっただろう。キスをしてから正体を知ってしまえば卒倒どころではすまされない。
いつまた敵に襲われるかわからないとなれば個室は危険だ。ゆえに自然と相部屋になるのは当然の流れである。幸か不幸か、いや花京院にとっては不幸なのだろう。もしかしたら一番の不幸なのは承太郎なのかもしれない。未成年は我慢をしろとジョセフに三人部屋をあてがわれたのである。それは若い者同士もっと仲良くなるようにという気遣いではあるのだが、今の彼らには大きなお世話以外の何物でもない。しかしわかっていてやるのだからジョセフも大概に人が悪い。
仲良く三つ並んだベッドが憂鬱に見えてしまうのは仕方のないことである。罪悪感や気まずさから、千里と距離を置きたい花京院は当然のように一番奥のベッドを取った。その隣を承太郎が陣取れば、残る一番手前のベッドが千里のものとなるのだが、元より千里にベッドで眠るという選択をする気はない。もちろん花京院がいるからという殊勝な理由ではないのは確かである。それにやりたいことがあった。夕食を済ませ、部屋の場所だけ確認した千里は、数少ない手荷物を置いて部屋を出ようとする。街の明かりがあろうとも外は夜だ。当然、承太郎が見咎める。
「おい。どこに行く気だ」
千里は振り返ってちらりと承太郎に目を向けた。ついで花京院を見た後、彼らに背を向ける。再度承太郎が咎めるも、それを無視して部屋を出て行ってしまった。勝手にしろと承太郎は言いたかったが、そういうわけにもいかない。花京院に一声かけて千里を追いかけた。
千里に追いついたのはホテルのエントランスである。承太郎はその小さな肩を捕まえて、ようやく千里を立ち止まらせる。なぜ咎められているのかわかっているのかいないのか、茫洋とした瞳を向ける千里に承太郎は勝手な行動をするなと叱った。
「いつまた敵に襲われるともわからねえ。個人行動は慎め」
「……なら、ついてくればいい」
軽く体をひねることで簡単に承太郎の手から離れた千里が再び歩き出す。逃げられないように掴んでいたはずだと承太郎は驚くも、ここで千里を見送るわけにはいかなかった。甘さにも似た優しさが、千里を見捨てることを咎めたのである。なんとなく千里に危うさを覚え、さらになにかあってからでは遅いのだと根底にある優しさが仇となり、結局承太郎は千里についていくという選択肢を取らざるを得なかった。なんとなく力ずくでは千里を部屋に戻すことはできないと思った。
ベナレスの街中を流れるガンジス川沿いに千里は歩く。ボランティアか気まぐれか、途中で拾った空き缶を持っている。そのころにはすでに諦めを覚えていた承太郎は千里の隣で煙草をふかしていた。生ぬるい空気の中、月明かりが妙に眩しい。月が出ていなければ周囲は文字通り暗闇だったことだろう。
「花京院のことは許してやれよ。むしろてめえが謝るべきだがな」
下に見えるつむじを眺めながら承太郎が言う。同室になってしまったのは運が悪かったとしか言いようがない。もっとジョセフに文句を言えばよかったと承太郎は思う。不必要なお節介を前に花京院が反抗できるはずがなかったのだ。もちろん千里などどこ吹く風である。やれやれだぜ。呟かずにはいられない。
「千里」
これが同級生の女なら、なぁにと甘ったるい声で返事をすることだろう。だが千里の声は違った。煩わしくないかわりになにもない。イエスもノーも好きも嫌いも なにもなかった。一体なにと戦っているのか承太郎には皆目検討もつかなかったが、千里が見ているのは常にDIOである。なぜそこまで執拗になるのかわからない。DIOの餌だったことが原因なのかもしれない。
「どうしてDIOの元にいた。大人しく捕まるタマでもねえだろ」
その質問をするのは初めてではなかった。だが千里が答えたこともなかった。親と確執があるようだとアヴドゥルから聞いている。千里と出会うまで、千里がどこでなにをしていたのか承太郎は知らない。さらに言えば名前以外なにも知らなかった。年齢も国籍もなにもかもだ。もしかしたらジョセフがSPW財団に調査を依頼しているかもしれないが、まだその結果は届いていない。人の親としてジョセフも千里を気にしていることに承太郎は気付いていた。
ガンジス川の河川敷に出た。千里が歩みを止める。それにならって承太郎も足を止めた。ガンジス川の流れる音を近くに聞きながら千里は空き缶を近くの岩の上に置く。そしてそこから数メートル離れた。岩の直線上に立ち、そこでようやく承太郎を意識の中に入れた。
「どいていろ」
千里の左手が腰に回る様子に合点がいった承太郎は千里の言葉に黙って従う。昼間買ったばかりのコンバットマグナムを抜いた千里は、承太郎が自身の隣にきたことを横目に移し、意識を承太郎から空き缶に向ける。夜ではあるが月明かりで充分に見える。足を肩幅開き、握り具合を確かめるように両手でグリップを握って、左手の親指で鉄槌を引く。そして時間をかけて照準をあわせ、呼吸を整える。承太郎のくわえる煙草の灰が落ちた。
静かな夜の空気を一発の銃声が打ち破っていく。同時に響く金属と金属がぶつかる音。水面に広がる波紋のように、わずかに余韻を残して音が消え、再び川の音が戻った。千里はゆっくりと銃を下ろす。そして息を吐き出した。
「まあまあ、だな」
新たな煙草をくわえながら承太郎が呟いた。当てられないはずがないと思っていたのだから当然の結果である。むしろあの程度当ててもらわなければ困るというものだ。
「夜は部屋を抜け出すと聞いていたが、まさか射撃の練習か?」
ヒップホスルターに銃をしまう千里がまさかそのような殊勝なことをしていると承太郎には思えなかったが、少なくとも今日は練習であろう。昼間ではなく夜に、しかも人気のない場所で行う千里に承太郎は思わず感心する。千里は所構わず銃を構えるばかりの女ではなかったのだ。
「練習をしなければ上達はしない」
至極真っ当な返答に承太郎は内心驚いた。若干ではあるが千里を見直すきっかけにはなった。案外真面目な性格なのかもしれない。そして同時にわずかな興味が芽生えた。承太郎は撃たれて転がった空き缶拾う。そしてスタープラチナの手が承太郎の手と重なった。
「ならこれは当てられるか?」
言い終わるや否や、承太郎は空き缶を思いっきり空高く投げた。スタープラチナの力が加わり、上空高く空き缶が飛んでいく。千里は迷うことなくライフルを発現させた。真上に向かって構えれば月の光が眩しく邪魔をする。わずかに目を細め、しかし狙いを定めることに時間はかからなかった。銃弾が空き缶を弾く。真っ直ぐ落ちてこなかった空き缶は承太郎の数メートル先で地面にぶつかった。にやりと承太郎が笑みを浮かべる。
「上等だ」
承太郎とは対照的に千里は眉一つ動かさない。しかし、承太郎が再度拾って自身に向けて投げた空き缶を弾丸で弾き飛ばした。