どこまでも馬鹿な男

「承太郎の「白金の星」のパワーがなかったらおれたち……グシャグシャだったぜ」

 頭を抑え、ポルナレフが呻く。舌こそ噛まなかったが頭を強くハンドルにぶつけていたため、無事であったとは言い難い。それに承太郎の反応が一瞬でも遅ければ死んでいたかもしれないのである。仮に素早いシルバーチャリオッツやハイエロファントグリーンを発現させていたところであの大型トラックとの正面衝突を避けられるほどの力はない。承太郎の咄嗟の機転が幸いしたのである。九死に一生を得たと思えば、さぞかし肝が冷えたことだろう。

「どう思う? 今の車の野郎『追っ手のスタンド使い』だと思うか? それともただの精神のねじ曲がった悪質な難癖野郎だと思うか?」

 感情より現状の把握を選択した承太郎が皆に問いかける。即座にポルナレフが敵だと言い張った。間違いなく自分たちを殺そうとしていたと主張する。しかしスタンドらしい攻撃はなかったと花京院が冷静に分析する。本当にあの車の運転手が敵なのか確かめようにも、すでに彼らを危険な目に遭わせたあの車はどこにもない。埃まみれの窓のせいで運転していた男の顔も見ていなかった。
 幸いなことにエンジンは壊れていなかったようで移動の足を失うことはなかったが、それでもいつまたあの車が現れるかわからない上、敵の姿がない以上、用心深くパキスタンとの国境を目指すしかない。再びあの車がなにかを仕掛けてきたときは敵だろうが異常者だろうがブチのめそうと、ジョセフが言う。とにかくこんなところに留まっているわけにもいかない。車が無事なのだから先を目指すのが当然の行動である。
 そういえば、とジョセフは左隣を見る。件の車に気を取られていたが、千里がなにも反応を示さないことが少し気になったのである。彼女がものを言わないのは今に始まったことではない。しかしジョセフの記憶が正しければ、スタープラチナがトラックを殴りつけた際に千里は勢いよく助手席の後ろに頭をぶつけていたはずである。さらにその後ランクルが空中で一回転し、着地した衝撃でも体をぶつけていたのを横目に見ていたのだ。

「千里、大丈夫か。かなり強く体を打ち付けていたようじゃが……」

 のろのろと起き上がりながらもポーカーフェイスを貫く程度の様子を見せる千里に大丈夫であるようだとジョセフは内心安堵の息を漏らす。ただし額は真っ赤になっていた。もしかしたら体のどこかに青あざを作っているかもしれない。しかし痛みに呻くことなど決してないとわかっているため、打撲をしていようとも口にすることはないだろう。それは今までの彼女の言動から十二分に理解していた。
 それからしばらく何事もなくランクルはパキスタンへ向かってひた走る。そして一行は警戒したまま街道の茶屋へと到着した。あの車は姿を見せるどころかその気配すら感じさせず気がかりであったが、ゆっくり進めばあの車と遭わずにすむだろうと、茶屋で休憩を取ることとなる。
 狭い車の中で長時間同じ姿勢を続けていたためか、凝り固まった体を解すように車を降りた一行は腕を回したり伸びをしている中、一番最後に車から降りた千里は肩をすくめた。それまで狭い車内に六人が詰め込まれていたために暖かかったのだが、車外に出た途端肌寒さを覚えたのである。最後尾を歩きながら首元までしっかりとジャケットのボタンを留め、いつもより多めにマフラーを巻く千里の様子に花京院が気付いた。

「もしかして寒いのかい?」

 花京院は肌寒さを感じてこそいたが、千里のようにきっちりと上着を着込まなければならないほどだとは思っていない。男と女では体感温度が三度から五度違うという。どこかで得た知識を花京院は思い出し、そして返答を期待しないながらも千里に尋ねたのである。千里はマフラーにしっかりと顔を埋め、花京院を見上げる。そしてゆっくりと瞬いた。まさか反応があるとは思っていなかった花京院は驚く。そして彼女は自身に対してなにも感情を抱いていないのだと気が付いた。まるであのベナレスでの朝のことが夢であったようだ。いつも悩んでいるのは花京院ばかりである。

「なにか温かいものを飲めば暖まるだろう。チャイは……あまり好きではなかったね」

 インドで決してチャイを飲もうとしなかった千里の姿を思い出しながらも、どうしてそんなところを見ていてかつ覚えていたのだろうとぼんやり考える。確かその時、千里は甘いものを好まないんじゃあないかと思ったのだと思い出す。女の子なら皆甘いものが好きなものだと思い込んでいたため、新しい発見をした気分になったのである。花京院の知るどの女の子とも違う千里は先に見える茶屋に目を向けた。そしてちらりとどこかを見つめる。

「やっ、やつだッ! あの車がいるぞッ!」

 最初に気付いたのは千里でも、最初に周知させたのはジョセフであった。そしてポルナレフが指を差す。木陰によく見知った車が駐車しているのだ。忘れるはずもない、散々な目に遭った一行の中でその車を知らない者などいない。ジョセフたちと同じように休憩を取るためにいるのか、もしくは待ち受けていたのか。どちらにしろ好機である。次に見かけたらぶちのめすと決めていたために、車内に誰もいないとわかった途端一行は色めき立つ。間違いなくどこからかこちらを見ているはずだと承太郎が周囲を見回すのだが、あいにくそれらしい影はなかった。しかし近くの茶屋に男が三人座っている。

「おやじッ! 一つ聞くッ! あそこに止まっている古ぼけた車のドライバーはどいつだ!?」

 ジョセフに問われるも、茶屋の主人はいつから止まっているのか気が付かなかったと首を横に振る。見れば見るほど男たちが怪しく見えてくるが、素直に運転手が名乗り出ることなどなく、一行はさらに憤る。件の車の運転手が誰か、そして追っ手なのか確認しないことには安心して国境を越えることはできない。ジョセフの中でこの状況下での選択肢はすでに決まっていた。

「この場合、やることは一つしかないな? 承太郎……?」
「ああ一つしかない……無関係のものはとばっちりだが、全員ブチのめすッ!」

 もっとも単純でわかりやすいが、あまりにも理不尽で無茶苦茶であることに花京院は驚き皆を止めようと静止の声をかける。しかしそれが彼らの耳に届くはずもない。千里にも止めるよう要請しようと振り返った花京院の目に飛び込んだのはプラネット・スマッシャーズを握る千里の姿だった。思わず目を見張る。件の車の前から一歩も動いていなかった千里が銃口を車に向けた。
 場違いな銃声が響き、承太郎は振り上げた拳を止めて振り返る。千里は発現させたマグナムで一つのタイヤに二発ずつ、計八発を撃ち込みパンクさせる。さらに運転席側の窓を撃って壊し、手を突っ込んで鍵を開けたかと思えば座席横にあるレバーを引いてバンパーを開ける。そして車の前方に回ってバンパーを完全に開け、丁寧につっかえ棒で固定して離れた。数メートルの距離を置いて車と向き合い、ショットガンを発現させる。
 それから千里がしたことは至極簡単であった。バンパー内を散弾銃で撃ちまくったのである。当然車は爆発する。その爆風にわずかに目を細めた。熱風と火の粉が全身を焦がす。臭気が漂う。千里は熱気で皮膚が引きつるのを感じた。

「手榴弾をよこせ」

 確かにどこにいるかわからない運転手を探すより、目の前にある車を壊してしまう方が合理的だ。千里の行為に感心した承太郎の要求に、言われるがままに千里は手榴弾を発現させる。そして手渡す。ごうごうと赤い炎を立ち上らせる車を承太郎は見据える。運転手はこの様子をどこかから見ていることだろう。出てこないのは勝ち目がないと悟っているからか。ならば派手に車を壊してやればいい。先ほどの鬱憤を晴らすには丁度よかった。敵かわからない相手を殴るよりよっぽど楽である。

「空き缶でできるなら簡単だろ」

 ベナレスでの夜のことを思い出しながら、スタープラチナが燃え盛る車に向かって手榴弾を投げた。車内に入った瞬間、千里が即座に発現させたライフルで狙い撃つ。当然手榴弾は爆発を起こし、完全に炎に飲み込まれた車からは激しく黒煙が上がった。飛んでくる金属のかけらをスタープラチナが叩き落とす。突然車が爆発したことに周囲が騒然としているにも関わらず、彼らは酷く冷静であった。学ランやスカートの裾が熱風ではためく。空き缶が手榴弾に変わっただけでなにもかわらない。

「練習の賜物だな」

 承太郎を一瞥した鈍色の瞳が周囲を見回す。車を破壊したところで安心はできなかった。わずかでも不審な動きをする者がいれば、即座に撃ち抜く準備はできていた。ゆっくりと睥睨するように周囲を見回し、ライフルからマグナムに持ち替える。彼女の目はいつも敵を追っている。

「車を奪われるかもしれん。急いで戻るぞ」

 ジョセフの一声にはっとしたポルナレフが走り出す。ジョセフと家出少女がそれに続き、周囲を警戒しながら承太郎が皆を追いかける。残る花京院はじりじりと後退りながらも周囲を警戒する千里の横顔を見て、その頬に赤い筋ができていることに気が付いた。車が爆発した際に金属の破片が飛んだのか、火花にやられたのか。怪我をしているじゃあないか。そう言おうとした瞬間、千里が振り返る。そして僅かに目を細めて一気に花京院に近寄り、彼の腕を掴んで引っ張った。花京院が驚くのも意に介さずによろめいた彼の体に密着し、その陰から銃口を花京院の背後へと向けて引き金を引いた。二発の銃声が響く。直後、野太い悲鳴が上がったが、その正体を確かめる前に千里はプラネット・スマッシャーズを投げ捨て、ランクルに向かって歩き出した。そこまでがすべて予定調和だとでも言うように。
 千里が間近で発砲したことに花京院は驚かなかった。それよりも彼女が自分の体に触れたことの方が衝撃的であったのである。さらに一瞬ながらも互いの体が密着したことが彼の思考を停止させた。千里にその気がまったくないことは理解しているが男子高校生である花京院にとって気にならないがはずがなく、偶然であろうとなんであろうと千里を意識せざるを得ない一瞬であったことには間違いない。皮肉にも彼女が女であることを強く意識してしまった一瞬でもあった。