「やだやだやだやだ! あたしも承太郎と旅がしたいッ!」
「だめだといっとろーがッ! おれたちは遊びで旅してるわけじゃあねえぜ!」
「あたしだって遊びで家出したわけじゃねーよッ!」
「こんのォー……生意気なクソガキだぜッ!」
ポルナレフと家出少女のバックミラー越しに行われる言い合いは鎮静するどころか加熱の一途を辿っている。少女がおとなしく従うはずがないのだ少し考えればすぐにわかるようなことだ。
峠の茶屋で追っ手の車を大破させてから彼らを追いかける者の姿はなく、無事国境を越えることができた。ところがパキスタンに入った途端に少女は自身が香港に送り返されることを思い出し、承太郎の腕にしがみついていやだいやだと駄々を捏ねる。四人も押し込められた非常に狭い後部座席で承太郎は非情に鬱陶しそうな表情を浮かべていた。事実、少女は非常にやかましく、鬱陶しいと思われても仕方ないのだが。
「千里だって女の子なのに。なんで千里がよくてあたしがだめなの!」
千里を指差す少女の主張はあまりにも幼稚であった。しかしそれを理解するにはまずスタンドの存在を理解するところから始めねばならない。それは非常に困難なことである。見えなければ説明のしようがないからだ。一行の旅の理由やスタンドを知らない少女とは住む世界が違うとも言えた。家を飛び出し一人で旅をするだけの無謀と言うべき度胸はあれど、命のやり取りをしているわけではない。いつ殺す殺されるの次元の世界に一般人を巻き込むわけにはいかなかった。すでに巻き込んではいるが、まだ引き返せる。
同性のお前がなんとかしろ。そんな視線を承太郎から受け取る。千里はちろりと横目に少女を見た。そして目を細める。ゆっくりと目を閉じ、なにかを考えるようにわずかに俯き、そして口を開く。苦いものでも飲み下したような声色だった。
「帰れ。家族は大切にしろ」
目を閉じたまま呟かれたその一言に違和感を覚えた者はいた。目を見張る者もいた。だがそれを口にする者はいない。まるで自分自身に言い聞かせているような千里の横顔は酷く無表情だと隣に座るジョセフは思った。彼女が両親を嫌っているどころか無関心を貫くほどに嫌悪していることは皆が知っている。ゆえにその口から飛び出た言葉に疑問を抱かずにはいられなかった。そこには複雑な事情が絡み合っているのかもしれないし、彼女の心境も関係しているのかもしれない。なにも語らない千里を理解することは容易いことではなかった。その後だんまりを決め込んだ彼女はなにを尋ねても答えない。
それでも納得はできない、一緒に行きたいと家出少女は駄々を続ける。いい加減うんざりした一行がそれを聞き流すようになってしばらくして、たくさんの建物が見えてくる。大きな街だ。これまで小さな村や町はいくつか経由してきたが、ようやく空港のあるような栄えた街である。峠の茶屋を越えてから最初の町でジョセフはSPW財団と連絡を取っていた。旅に必要な物資と少女の航空券を頼んでいたのである。それを受け取るためにもその街で宿泊することとなっていた。ホテルもすでにSPW財団が手配している。
もう完全に香港へ送り返されるのだと雰囲気から気が付いた家出少女は慌てて今日じゃなくて明日帰るから、と懇願するようにジョセフを見上げた。明日大人しく帰るから最後くらい一緒に泊まってもいいでしょ。それが本心なのか口から出任せを言っているのか判断はできなかったが、どちらにしろ少女が乗る飛行機の便は明日である。今夜宿泊する予定のホテルに泊まる人数に少女はすでに含まれていた。
千里と少女が同室になるのはすでに決められているようなものである。夕食をすませて数日ぶりのホテルへチェックインし、当たり前のようにツインルームに先に入った少女はベッドへダイブした。それまで古ぼけた安宿や車中泊ばかりだったため、久しぶりの柔らかいマットレスに喜んでいるのである。次いで入った千里は自身の荷物とSPW財団から渡されたトランクをベッドの脇に置いた。そしてマフラーをそのままにジャケットを脱ぎ、丁寧にハンガーにかける。トランクには着替えや雑貨など旅に必要なものが入っているのだとこれまでの経験から知っていた。いくら身なりに無頓着とはいえ、着替えのある環境下で埃まみれの薄汚れた服を着続けるほど無神経ではない。千里としてはあまり荷物を増やしたくなかったため、いつもトランクの中から最低限必要なものを選別して手荷物を入れ替えて荷物を増やさないようにしていた。物見遊山の旅ではないのだから必要なものはその場で買い揃え、不必要になれば捨てる方が効率がよかった。そのため、千里の荷物はいつも一揃えの着替えとわずかな雑貨のみだった。
「そういえば花京院さんと喧嘩でもしたの? なんか花京院さん、あんたに対してちょっとよそよそしい感じだったけど」
緋色のリボンタイを抜き取る千里をベッドの上から眺めていた少女がぽつりと言った。子供だからよく見ていると言うべきか、やはり子供でも女であるからと言うべきか。意外と彼女はよく見ている。だがその理由も原因も興味なく、関わる気もない千里はなにも言わない。さっさとシャワーを浴びようと、ベッドに腰掛けて土ぼこりでわずかに汚れた黒のタイツを脱ぐ。ベッドの下に揃えられているローファーも汚れており、鈍い光を失っていた。靴底も随分とすり減っている。
「千里と花京院さん、悪くないと思うんだけどなァ……」
あ、もちろん承太郎はだめよ! なにがだめかは言わなかったが当然千里の関心を引くことはなかった。花京院の様子を思い出そうとも思わない。少女はなおも千里と花京院がどうこう言い続けるが、当然千里の耳に入ってもするりと反対側の耳から出ていく。マフラーを取ってリボンタイと共にベッドに投げ捨て、千里はベッド下の自身の荷物から下着を、トランクから新品のカッターシャツとプリーツスカートをそれぞれ出して裸足のままバスルームのドアを開けた。腰のホルスターだけはそのままである。
バスルームに入っていく千里の後ろ姿を眺めながらふと少女は考える。花京院はなにかと千里を目で追っているような気がしている彼女としては、千里が無関心であることがあまりにも不満であった。それをイコール恋愛事に結びつけるのはあまりにも幼稚である。年齢故に単純な思考を経て結論を出してしまう少女はどこかませており、自身が承太郎に幼く淡い恋心を抱いていることと同様に、千里も同じものを持っているはずだと思い込んでいた。少女が承太郎なら、千里は花京院。あまりにも強引で単純な発想である。幼さゆえの愚かさとも言えた。
「花京院さん優しいから絶対いいと思うんだけど……」
一度思い込んでしまったら一気に視界が狭まってしまうのも幼さのためであろう。少女の頭の中ではすでに千里と花京院が付き合うことを前提としてしまっている。花京院がもっと押すよう伝えるか、それとも千里が関心を持つよう促すか、バスルームから聞こえる水音を遠くにどうしようかと考え始めた。そしてしばらく考えたのち、そっと部屋を抜け出す。いつぞやに使った手口を再び使おうと思い至ったのである。とりあえず二人きりすればいい。とてもわかりやすい手口だ。そしてそれと引き換えに自身も承太郎と二人きりになれる。それはとても悪くない。
千里がバスルームから出てきたとき、室内には誰もいなかった。少女が部屋を抜け出したことには気付いていたから不思議がることもない。部屋の鍵はテーブルに投げ出されていた。石材の床はひどくひんやりとしていて風呂上がりの体温には心地がいい。短い髪から垂れる雫が落ち、キャミソールの上に羽織ったカッターシャツを濡らした。SPW財団が支給したカッターシャツとスカートのサイズがぴったりなのは、一度ジョセフが気を使って千里に尋ねたからである。別に服のサイズを知られたところで支障はない。ただ下着だけはさすがにとジョセフが言ったため、自身で購入することとなっていた。唯一の女の子らしい扱いと言えよう。しかし彼女自身にその自覚はない。特にこだわりもない彼女は必要となれば適当に買い揃えていた。
体が火照っているために千里はカッターシャツの前を止めることもマフラーもリボンタイもつける気が起きなかった。水分の重さで垂れ下がる前髪を掻き上げ、室内に備え付けれていた鏡を見やる。風呂上がりのだらしない自身の姿が映し出されていた。首筋に生々しく残る四つの傷痕に自然と目を細め、思わず指先を這わせてしまう。キャミソールの下にも残る傷痕はバスルームの中で散々見た。それを思い出せば忌々しい感情がわき上がる。それ以上傷痕を直視したくなくなった千里はプラネット・スマッシャーズを発現させて鏡を撃ち砕いた。一瞬鏡に幾重ものひびが入り、千里の姿が多重にぶれる。音を立てて落ちる破片の甲高く不愉快な音を振り払うように千里が身を翻した途端、勢いよく部屋のドアが開かれた。
「千里! 今の銃声はいった、い……」
銃声に驚いて部屋に飛び込んできたはいいが千里の姿に目を見開いて言葉を失ってしまったのは、家出少女に背中を押されるように部屋を追い出された花京院であった。喧嘩でもしたのかとストレートに少女に尋ねられ、返答に窮した花京院は不運であったのだろう。しめたとばかりに家出少女が花京院の背中をぐいぐいと押し、仲直りするチャンスよと部屋を追い出されたのである。家出少女が鍵を持たずに部屋を出たとなれば当然施錠はされていない。ゆえに花京院が部屋へ飛び込むのも容易であったし、千里の不注意でもあった。少女はよかれと思って出た行動なのだが、まさか部屋で起こっている事態までは予測できなかった。花京院はとことん不幸な男である。
「す、すまない……」
早口で謝罪を呟き慌てて目をそらす花京院の脳裏によぎる峠の茶屋での出来事に思わず顔が熱くなる。それを前に千里はマイペースにカッターシャツのボタンを留めていた。花京院にとって重大なことでも千里からしてみれば些細以下の取るにたらないことである。彼女が緋色のリボンタイをふんわりと結ぶまで花京院は見当はずれな方向へ視線を彷徨わせるばかりだった。