みてくれの馬鹿娘

 がたりと乱暴にドアが開く音がした。咄嗟に花京院はハイエロファントグリーンを、千里はプラネット・スマッシャーズを発現させる。向かい合ったままの体制で二人の意識はドアへと向かう。花京院が部屋に飛び込んできてからドアに鍵をかけていなかった。それを思い出したのは一体どちらか。

「ちょ、ちょっと! なにすんのよ!」
「なにって、オメーのせいだろうが!」

 しかしもつれ込むように転がり込んできた犯人を見て花京院は溜息を吐いた。ハイエロファントグリーンを消す。緊張感からの脱力感。警戒してみればただの野次馬、いわゆる出歯亀である。ポルナレフと家出少女。異色といえば異色の組み合わせだが、それでも違和感はないと言えよう。――このようなことに興味を持つという一点に関してのみだが。
 プラネット・スマッシャーズを消した千里が軽く花京院の体を押しのけて立ち上がった。その瞬間、彼女の肌から香った匂いに花京院は気が付き、それが石鹸の匂いなのだとすぐに思い至った。考えてみれば千里は未だ髪すら乾かしていない。先ほどより乾いてきたとはいえ、相変わらず千里は毛先から雫を落としながら二人に歩み寄る。彼女の威圧感に気付いたのか、途端言い合いをしていた二人は黙りこくった。怒るつもりだろうかと眺める花京院の前で千里は二人を順に一瞥し、そして躊躇いなく少女の脳天に拳を落とした。

「いったーい!」

 そこに込められたものは一体なにか。ごつりと音からして痛々しいその衝撃に少女が悲鳴を上げ、頭を押さえて蹲る。だがそれを無視し、千里がじとりとポルナレフを一瞥すれば、罰の悪そうな顔をしたポルナレフは身振り手振りで慌てて弁解を始めた。花京院が千里の隣に行けばさらに慌てたのか声が裏返る。

「ほら、よ。おまえらが喧嘩したって聞いたから、なッ! や、仲直りしたんならいいんだぜ」
「ポルナレフ、きみって奴は……」
「かっ勘違いするんじゃあねーぜッ! おれだってまさかおまえらが間違ってあんなことやこんなことをするなんて微塵も思ってねーからな!」

 千里の隣から軽蔑の眼差しを向ける花京院を前にしたポルナレフの姿はあまりにも滑稽だ。それが墓穴を掘る結果になっていることにも気が付かず、一種の哀れさを醸し出している。
 相変わらずじとりとポルナレフに冷めた視線を向け続ける千里を隣に見ながら、そんな甘い雰囲気になるのならこんなに苦労はしないと考えている自分に花京院は気付く。一瞬でもなにを馬鹿なことを、と自身の思考を否定した。物見遊山の旅ではないはずだ。
 そんなことよりも、だ。無理矢理思考を切り替える。千里の行動はあまりにも人間臭かった。なにをされようと無視を貫く彼女が家出少女のいたずらを咎めたのである。拳骨を振るったのである。それをどう解釈すべきかなど悩む必要もなく、ただ単に千里は少女を叱りつけた。拳骨という行動に出たのである。当初は人形のようになにも感情を浮かべることのなかった彼女だが、旅を通して徐々になにかを取り戻しているようであった。顔色や声色に感情が含まれていなくても、家出少女に振るった拳が無感情であるはずがない。ストレートな感情表現だ。
 痛みに喚く家出少女や必死に弁解するポルナレフなど目もくれず、千里は家出少女の荷物を掴んで持ってきたかと思うとそのまま廊下へ投げ出した。どさりと音を立ててリュックサックが廊下に転がる。

「ちょっとなにすんのよ!」

 未だ痛むのか頭を押さえたまま少女が気色ばむ。だが千里は彼女を一瞥するだけでくるりと背を向けた。花京院が代わりに口を開く。

「鏡が割れて破片が散らばってしまっていてね。ホテルの従業員も忙しいらしくて片付けがいつになるかわからないから、今夜は違う部屋を使ってくれないか?」

 そういうことにしておこう。花京院は心の中で呟く。千里の行動にそんな意味など微塵も含まれていないことくらいわかっていたが、そう言ってしまった方がややこしくならない。実際鏡は千里が割って粉々になっていたし、これからホテルの従業員を呼ぶと当分寝ることなどできないだろう。
 花京院の気遣いをどう解釈したのか、少女の表情は一瞬にして喜色満面に変わった。

「だったら花京院さん、部屋替わってよ」
「あー……そうかそうか。ションベン臭えガキのくせに承太郎にお熱だもんな」
「うっせーよ!」

 にやにやと笑み浮かべて頭を掻き回すように撫でてくるポルナレフの脛を少女が思いっきり蹴り飛ばした。いってえ! 不意打ちを受けたポルナレフが叫ぶ。少女は転がる自身の荷物を引っ掴んでポルナレフから距離を取ると、舌を出した。そして一目散に逃げ出す。おそらく承太郎のいる部屋に逃げ込む気だろう。

「こんのォー……クソガキが! 待ちやがれッ!」

 わずかに涙を浮かべたポルナレフが少女を追いかける。嵐が過ぎ去ったあとに残されたのは花京院と千里だけだ。千里はすでにベッドに腰掛け、軽く目をつむっていた。なにかを考えている様子だったが、どうやらランドリーバックをフロントに持って行くのは諦めたようだった。
 自身の荷物は部屋にあるが、きっと家出少女がポルナレフから逃げるために籠城してしまっているだろうことを想像して、花京院は当分部屋に戻れそうにないなとドアを閉めながら小さく苦笑した。今夜の寝床はともかくとして、まずは鏡の破片を片付けねばと備え付けの電話からフロントにその旨を伝える。ついでにランドリーバックを持って行ってもらえばいい。煩わしいのは嫌いだろうが片付けしないわけにいかないのだから我慢してもらわなくては、と電話をかけながら花京院は千里を見る。先ほどと変わらず目をつむっている。一体なにを考えているのだろうかと想像しようとしてみたがわかるはずもなく、電話を切る。

「すぐには無理みたいだが、割れた鏡の片付けをしに来てくれるそうだよ」

 言ってみても当然反応はない。彼女は微動だにせず、その灰色の瞳をまぶたの裏に隠したままだ。手持ち無沙汰になった花京院は隣のベッドに腰掛けた。家出少女のベッドだとはわかっていたが、気にするのは煩わしかった。彫刻のような千里の横顔を眺める。酷く疲れているように見えた。
 しばらくしてようやく千里はまぶたを押し上げる。細く息を吐き出し、なにかを落ち着かせるようにそれを何度か繰り返した。そして立ち上がる。髪の毛はほとんど乾いてしまっているようだった。鉄色の双眸が花京院をとらえた。無機質な色彩はなにを考えているのかわからない。長いまつ毛が影を落とす。だがそれも一瞬のことであった。ジャケットやマフラーに目もくれず、また花京院の静止に耳を傾けることもなく部屋を出て行く。結局その夜千里が部屋に戻ってくることはなかった。