朱鷺によせる哀歌

 言わなければいいものを咳き込んでごまかしつつも正直に答えてしまうあたり、それがポルナレフを憎めない所以でもあるのだろう。舌の消毒をしたいからなにかないかと言い出されればなにがあったかと聞いてしまうのは仕方のないことで、どうしてそんなところをと聞き返したジョセフにポルナレフは馬鹿正直に答えてしまったのである。ジョセフ・ジョースターという男の性格を考えればこれはからかうチャンスだと思うだろうことは想像に難くない。結果、何度も聞き返すことでポルナレフの羞恥心を煽った。それに気付かない花京院が「今なんかベンキ……とか聞こえましたが……」とジョセフに問いかけてしまったために、彼の目論見がポルナレフにばれてしまったが。それでもおそらくこのネタでジョセフはしばらくポルナレフをからかうことだろう。
 そんなやり取りを背後に聞きながら、承太郎と千里は玄関から外を眺める。ホテルの外に広がっていたはずの町並みはどこにもなく、荒廃した墓場と白骨化した死体が転がっているばかりだ。

「みんな、外に出てみろ」

 承太郎が皆を呼ぶ。そして承太郎と千里が見た光景と同じものを眺めて言葉を失った。霧のスタンドで荒野の墓場を街に仕立て上げるほどのエンヤ婆の執念とスタンドパワーに今一度感嘆せずにはいられなかった。だがそのエンヤ婆も気絶されて捕えている。このまま放置していけば再びしつこく復讐してくるに違いなかったが、ジョセフと承太郎はすでに連れて行くと結論を出していた。うまくいけばこれから襲ってくるだろう敵の数やDIOの情報を引き出すことができる。エンヤ婆が口を割らずともジョセフのハーミットパープルが活躍する。戦闘では目立った活躍はできないが、相手の考えを念写してテレビに映し出す能力は非常に厄介だ。
 不意に視界の端にふよふよとなにかが浮いていることに気が付き千里が咄嗟にその場から飛び退いた。同時に発現させたオートマチックピストルでそれを狙う。見えたのは木の葉のような、なんとも形容しがたい形のものであった。この荒れ地に決して存在しない形であり、さらにはエンヤ婆やホル・ホースと相次いでスタンド使いが現れていることから結論を出すことは容易い。このタイミングで味方が現れることなど決してないからだ。

「千里!?」

 誰かが呼ぶ声を耳にしながらそれに向かって引き金を引いた。だが標的はふわりと風に流されるように弾丸を避ける。即座に銃口の向ける方向を修正し、第二撃目を射出しようとしたところで標的が消えていることに気が付いた。どこに消えたかと鋭く周囲に視線を飛ばす彼女の様子に一行は新たな敵が現れたのかと警戒する。彼女の行動は常に現実に即しているため、なにがあったのかと問いかける必要もなかった。だがその行動を嘲笑うかのように背後でエンジン音がし、振り返ったポルナレフが声を上げた。

「ホル・ホースッ! あの野郎ッ、我々のジープをッ!」

 エンヤ婆の攻撃を受けて倒れていたはずのホル・ホースがいつの間にか自分たちのジープに乗っていたのだ。しかもすでにアクセルは踏み込まれ、車は発進してしまっている。千里が振り返って銃を向けたときには既に遅く、彼女は狙撃を諦めた。ライフルにでも持ち替えて狙えば当たるかもしれないが、タイヤを狙撃してパンクしたところで車がどこかにぶつかって大破し、使い物にならなくなったら意味がない。ホル・ホースを狙撃しても同様だ。助手席に誰かが座っているようだったが、よくは見えない。さっさとエンヤ婆を殺さないとDIOの恐ろしさを改めて知ることになる、と言い残して奪われたジープは砂埃を上げてあっという間に小さくなってしまった。
 千里がぎり、と奥歯を噛み締める。ジープを奪うために利用されたのだと気が付いた。敵と判断すれば咄嗟に発砲する性格を利用されたのだとも。千里が発砲すれば全員の意識はそちらへ向かう。そうやって隙を作り、ジープを奪ったのだ。無意識に首筋のそこに触れる。彼女にとってこの上ない屈辱であった。

「野郎ーッ! 戻ってきやがれェーッ!」

 ポルナレフが叫んだところですでに声は届かない。彼らは荒野のど真ん中で移動手段を失ってしまった。どうすることもできない。ただ次の街か村か、人のいるところまで歩くしかなかった。運が良ければ通りがかった車に乗せてもらうこともできる。幸い手荷物は奪われていなかったために地図もある。ここで立ち止まっていても仕方がないと、一行は歩き出した。気を失っているエンヤ婆はポルナレフが背負うことになった。彼にしてみれば散々である。

「ジープに乗っていたのはホル・ホース一人ではないように見えましたが……」
「うむ。背丈からしてまだ子供のようじゃったな」

 ジープの助手席に座っていた人物に皆はしっかりと気が付いていた。だが誰もその顔を見ていないし、そんな敵が潜んでいたことにも気が付いていなかった。ホテルに入る前に千里が感じた二つの視線の正体がそこでようやくわかった気がした。一つはホル・ホースだと気付いていたがもう一つの、敵意がありながらも熱っぽい視線を千里に向けていた犯人が件の子供なのだろう。子供に敵意を向けられるようなことをした覚えはない。だが確かにそれは彼女に向けられていた。

「そういえば千里が感じていた視線って……」

 花京院の言葉に一行の意識が一人に集中する。その矛先、一番うしろを歩いていた彼女はわずかに頷いた。隣を行くポルナレフが大袈裟に溜め息を吐いてみせる。

「子供までDIOの手先かよ。シンガポールのあのガキといい、最近のガキはマセてんなあ、おい」
「また肉の芽、だろうか」
「子供にまで植え付けるとはDIOの野郎、骨の髄まで腐ってやがるぜ」

 そこまでして彼らを殺したいのか、DIOのやり方には見境がない。どれほどスタンド使いの部下を揃えているのかもわからず、一般人も安易に信じることも難しくなりそうだ。ゆえにエンヤ婆は大事な情報源となる。早くテレビのあるところへ行きたい。
 途中でタンガと呼ばれる乗合馬車を手に入れ、ジョセフが手綱を握って予定通りカラチへ向かう。ジョセフの隣には承太郎が、後部座席に千里を挟むようにして花京院とポルナレフが座り、そのうしろに一行の荷物とともに縛られたままのエンヤ婆が乗せられている。スタープラチナにスタンドを抑え込まれて呼吸ができなかったことが結構なダメージになっていたのか、なかなか目を覚ます気配を見せない。攻略法があると言えども霧のスタンドなど厄介なことこの上ないため、彼らとしては好都合であったが。
 カラチに到達するころには気候も変化し、肌寒さはなくなっていた。砂漠気候に属するが、海が近いためか降雨量は多く、湿度は高めである。荒涼とした景色から活気溢れる街並みへと舞台は移る。生きている人間のいる街はやはり明るい。生きた人のいる雑踏を前にして、やはりあの霧の街は明らかに異常だったのだと再確認させられた。少し考えれば気付けたことかもしれなかった。すでに遅いが。
 ケバブを食べようと言い出したジョセフが意気揚々と馬車を降りて値段交渉を始める。軽く腹ごしらえという意味では悪くはないかもしれないが、なんとも悠長なことだと承太郎は思う。だがそれが祖父のいいところでもある。値段交渉も楽しそうに行っており、あれはあれで放っておけばいいかと結論に至る。承太郎とジョセフを比較した場合、どう考えても承太郎の方が落ち着きがあった。ジョセフはまるで子供がそのまま大人になってしまったようだ。
 人数分のケバブを望み通りの値段で買えて満足したジョセフは馬車の方へと振り返り、気が付いた。それまで意識を失っていたはずのエンヤ婆が花京院の後ろからジョセフを見ているのである。承太郎たちは未だそれに気が付いていない。エンヤ婆の視線はジョセフのさらにうしろに向けられている。その表情に浮かんでいるものは敵意ではなく、驚きのようだ。だがそこまで考えが至る前に彼は声を上げた。現状を周知させることを優先させたのである。

「おいッ! みんな、そのバアさん目を醒しておるぞ!」

 全員の視線がその一点に向けられる。そしてエンヤ婆が小刻みに震え、大量の冷や汗を流していることに気付く。息子を殺された恨みを業火のごとく燃え上がらせ、追いかけてきたあの執念深さからはまったく想像できないほどになにかを恐れ、怯えていた。

「わしは! なにも喋っておらぬぞッ! な……なぜ、おまえがわしの前にくる。このエンヤが、DIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っていたのかッ!」

 誰に対してそれを言っているのか、誰も理解できなかった。千里だけがすでにエンヤ婆の視線の先を追っている。鉄色の双眸は敵を見定めていた。他の者たちの視線もその行き先を追いかける。そこには一人の男しかいなかった。先ほどジョセフがケバブを購った店の男だ。男はおもむろに頭から白いゴトラとそれを押さえるアガルを落とし、ゆっくりと見せつけるようにサングラスを外す。男が素顔をさらした瞬間、エンヤ婆の目から、鼻から、口から無数の触手が飛び出した。