舞踏への勧誘

 突然のことに皆は馬車から飛び降りた。花京院とポルナレフに挟まれて座っていた千里が一歩出遅れ、カッターシャツを血飛沫に汚される。咄嗟に伸ばされた花京院の手が彼女の腕をつかみ、エンヤ婆から引き離す。顔面から触手を伸ばし、それに引っ張られるようにしてエンヤ婆が馬車から転がり落ちた。穴という穴から飛び出すように無数に生える触手が顔面を引き裂いていく。その凄惨な姿に一行は思わず目をそむけた。エンヤ婆の悲鳴と相まって、直視できるものではない。
 うねうねと縦横無尽に暴れる触手に引きちぎられるエンヤ婆の顔を千里がただ無表情にじっと眺めていることに気付いた花京院は腕を伸ばし、彼女の視界を遮った。なんとなく彼女にそれを見せるべきではないと思ったのである。白かったカッターシャツはエンヤ婆の血液によって赤い斑で汚れている。見てはいけない。花京院が苦しげに呟く。それでも千里はされるがままに深緑色を眺めているばかりだ。抵抗するわけでもない。

「DIO様は決して何者にも心を許していないということだ。口を封じさせて……いただきます。――そしてそこの五人……お命ちょうだいいたします」

 それまでケバブ売りに扮していた男が酷く落ち着いた口調で言い放つ。触手に顔面を引き裂かれていくエンヤ婆の姿を冷たく一瞥し、それから冷ややかな笑みを浮かべて鋼入りのダンを名乗った。そして触手がDIOの肉の芽であることを暴露し、さらにはそれをエンヤ婆に植え付けたのが自分であると簡単に白状した。確かにシルバーチャリオッツが触手を切り裂けば、太陽の下でそれは灰になる。
 肉の芽を植え付けることがDIOの指図なのか独断なのかまでは明らかにしなかったが、人質になるような役立たずに用はないと言っているようでもあった。異常なほどにエンヤ婆はDIOに忠誠を誓っていたが、あっさり切り捨てられたのである。顔面を血で真っ赤に濡らしたエンヤ婆の体が小刻みに震える。肉の芽によるダメージと、DIOに裏切られたと知った絶望からくるものなのだろう。

「ばあさんッ! DIOのスタンドの正体を教えてくれッ!」

 エンヤ婆が瀕死の重傷であることは誰の目から見ても明らかだ。ジョセフが駆け寄り、虫の息の彼女に問いかける。せっかくの情報源が目の前で失われてはたまらない。わざわざ殺さず連れてきた意味がなくなってしまう。ようやくDIOの情報を得られそうなところまで到達できたのだから、ここでなにも聞き出せないままエンヤ婆に死なれるわけにはいかない。

「言うんだッ! DIOという男に期待し信頼を寄せたのだろうが、これでヤツがあんたの考えていたような男ではないということがわかっただろうッ! わしはDIOを倒さねばならんッ! 頼む! 言ってくれッ!」

 ジョセフの場合、正確には彼と承太郎の場合だがジョースター家の因縁だけではない、ジョセフの娘であり承太郎の母であるホリィの命がかかっている。日本からわざわざエジプトを目指すことになったきっかけも、ホリィが自身のスタンドに取り殺されそうになっているからだ。

「教えるんだァーッ! DIOのスタンドの性質を教えるんだァーッ!」
「D……IO……様……は、このわしを信頼してくれている。言えるか」

 ジョセフの懇願もむなしく、エンヤ婆は自身がDIOに裏切られたのだということを否定した。自身の体に植え付けられた肉の芽に体を引き裂かれようとも、見捨てられたのだとは思わなかった。拒絶しなければ今まで大事に作り上げてきたすべてのものが崩壊し、無意味なものとなることを恐れたからだ。それには彼女の息子も含まれている。J・ガイルが殺されてからはDIOしか心の支えがいなかった。ゆえに否定されたことを否定しなければならなかった。

「うくっくっくっくっく……」

 一連のことが茶番に見えたのだろう、それまで眺めるだけに徹していたダンが喉を鳴らして笑い声をこぼす。いつの間に近くの店の一席で優雅にティーカップを傾けていた。

「悲しいな……くくっ。どこまでも悲しすぎるバアさんだ」

 しかし言葉とは裏腹に嘲笑を浮かべるダンの態度が一行の感情を逆撫でするのはあまりにも容易い。エンヤ婆からダンへと向き直った一行の表情は険しく、まさに一触即発の雰囲気だが、それでもダンにとっては滑稽なことこの上ないらしい。くつくつと嘲りの笑みを漏らす。

「おれはエンヤ婆に対しては妹との因縁もあって複雑な気分だが、てめーは殺す」
「五対一だが躊躇しない。覚悟してもらおう」
「立ちな」

 エンヤ婆が敵とはいえ、彼女を躊躇なく惨殺したダンの行為は見逃せるものではない。そして死者を愚弄するような言動は看過できるものではなかった。

「おお怖い怖い……きみたちも少しは千里を見習っちゃあどうだ?」

 しかしダンの態度は変わらない。激昂する一同を一瞥し、彼は視線を向ける先を変える。そこには花京院に庇われながらも相変わらず表情筋を寸分たりとも動かしていない千里がいた。いつもならば敵が現れた瞬間にスタンドを発現させているだろうに、そのときの彼女の手の中は空っぽである。左手もホルスターに添えられていない。憤る仲間たちとは裏腹に、一人静かにダンを見据えている。茫洋とした鈍色に感情はない。

「情報は得られなかったが敵が一人減った……その程度にしか考えていない。だろう、クオレマ? おまえのその冷徹で合理的なところをDIO様は評価されていたぞ」

 表情筋がほんの、ほんのわずかに動いたが、花京院の腕に遮られてそれに気が付いたものはいない。彼女にとってエンヤ婆などどうでもよかった。敵が仲間割れを起こそうが知ったことではないのである。DIOの情報が得られなかったことを悔いても仕方がなく、むしろダンがエンヤ婆を助け、二人して襲いかかってくる事態を免れたことが幸いであったと考えるべきである。
 それよりも彼女にとって、気に食わないのはダンの口だ。いらぬことをぺらぺらと節度なく喋る。不必要なことを周囲に知らしめようとする態度が気に食わない。
 
「ああ、今は千里だったか。いや、元々が千里だったのかな」

 ゆったりとした動作でダンがカップをソーサーに置いた瞬間、花京院の腕の合間からプラネット・スマッシャーズがカップを撃ち砕いた。早撃ちは得意ではない。だがスタンドを発現させて発砲することには慣れている。一番間近にいた花京院が驚き、千里の顔を覗き込んだ。彼女の、いつもは茫洋としている瞳が鋭く燃え上がっている。その理由を察したのは承太郎だけである。だが彼にわかるのは表面的なものにしか過ぎない。
 これ以上この腹の立つ男を視界に入れているのも忌々しいと、承太郎はダンを鋭く睥睨する。敵とわかっているのだから手加減する必要も相手のペースに合わせる必要もない。

「おいタコ! カッコつけて余裕こいたふりすんじゃねえ。てめーがかかってこなくてもやるぜ」
「どうぞ。だがきみたちはこの「鋼入りのダン」に指一本触ることはできない」
「おらあッ!」

 間髪入れず、スタープラチナの拳がダンを殴り飛ばす。血を吹き出しながら近くの店に突っ込んだダンと合わせるように、彼らの背後でジョセフが後方へ吹っ飛んだ。