はた迷惑な微罪

「やっぱり今の時代、女の子だって強くなきゃいけないと思うの! 千里だってそう思うでしょ?」
「……」
「そうに決まってるわ! だからあたしは一人で世界を見て回るのよ。こんなこと、ブラジャーをするような年になったら恥ずかしくてできないもの」

 千里から返答がなくとも家出少女は気にする風も見せず、一方的な会話を繰り広げる。そのくらいに図太くなくては、ブラジャーもまだしていない少女が一人で密航なんてできないだろう。爆発して沈んでしまった帆船――一行がダークブルームーンと対峙した船である――で物陰からずっと一行の動向を窺っていた千里の目にも家出少女が腕白な少女に映っていた。怖いもの知らずの年頃はなにかと無茶をするものである。そのような性格であったため、女性にしては強い千里に惹かれて懐いたのも当然のことであるといえよう。家出少女にとって千里は尊敬できる人物であったのかもしれない。
 未だ正体の掴めない怪しい船で少女を守るだけの役目はそこまで難しいものではない。千里は船の縁に背中を預けて腕を組み、千里の隣で縁に腰掛けてしゃべる家出少女の話に耳を傾けていた。万が一のためにと千里は左手にプラネット・スマッシャーズを発現させているが、家出少女の目にスタンドの銃は映らない。先の花京院と千里の攻防もよく見ていなかったらしく、ただの肉弾戦と勘違いしているようであった。一行が少女になにを吹き込んだのか千里は知らない。
 何気なく千里は自身の首を撫でる。それまで気付かなかったが、不自然なくぼみができていた。心当たりはある。DIOの爪が突き刺さった部位だ。指で触ってわかるほどの深い傷になっているということは、気付かぬうちに抉られていたのだろう。しばらく放っておけば肉が盛り上がってくるだろうが、跡は残るに違いない。男の爪によって残った傷は、虫刺されだと言うには無理がある。下手に気にされるというのも面倒であると千里は判断し、陸についたらマフラーかストールか、とにかく首に巻ける類のものを購おうとぼんやり考える。タートルネックでもよかったが、マフラーならば硝煙避けのマスク代わりにもなるからだ。一緒に火傷防止の手袋も買っておくべきだろうか。

「ね、ねえ……ちょっといい?」

 家出少女に声をかけられ、千里は意識を戻し、少女に視線を向ける。先ほどから家出少女は妙にそわそわをしながら周囲を見回していた。甲板にいる承太郎たちから目を離さずに家出少女は声を潜めて千里に耳打つ。

「さっき……あんたが気絶してる間にシャワールームを見つけたの。でもドアじゃなくてカーテンしかないし、それに近くに無線室があって……ほら、あたし、海に落ちたでしょ?だから……」
「……ああ、わかった」

 見張りをしてほしいのだと察して頷く。男しかいない中でこのような話をできるのは同性の千里しかいないのだから仕方のないことだ。蓮っ葉な少女だとは思っていたが意外にも年相応の部分もあるようで、恥じらいくらいは持ち合わせているらしい。勝手な行動は慎むべきだがそれを説いて納得するような少女ではないと千里は理解している。見張りを拒否したところで家出少女は勝手にシャワーを浴びに行ってしまうだろう。ゆえに千里は家出少女の申し出を承諾したのである。放置すれば面倒事になるだろうくらいは察知できた。
 少女と共に船内に入ると千里がジョセフに告げた際、理由を問おうとしたジョセフを遮りポルナレフが口を開く。

「なんだあ? 二人揃って便所かあ?」
「下品だポルナレフ。女性に失礼ですよ」

 ポルナレフを花京院が諌める。家出少女はデリカシーがないと怒ったが、千里はちらりと視線を向けただけだった。機械類には触るな、気を付けるようにとジョセフの忠告に頷く。そして一行の視線を背中に感じながら千里は家出少女とともにシャワールームへ向かった。
 シャワールームの近くには確かに無線室があり、そこから廊下を覗けばシャワールームが見えてしまう。無線室では船員たちが救難信号でも発信しているようであった。そのような場所にあるにもかかわらず、シャワールームの仕切りがカーテンしかないのだから女の子である少女にしてみれば不安ばかりだろう。海水に濡れて肌に張り付く服も、べとべとになった肌も、潮風できしんだ髪も女の子としては気になって当然のことだ。千里ならば海水に濡れようが髪がきしもうが気にしないが、それは彼女が自身の身なりに無頓着だからである。
 心もとないカーテンで仕切られたシャワールームの外で千里は壁に寄りかかる。左手には変わらずプラネット・スマッシャーズを発現させていた。救難信号でも発信しているらしい無線室から聞こえる船員の声がシャワーの音にかき消される。船内に響く無機質な機械音に混ざる水音が千里の鼓膜を振動させていた。

「ちゃんと見張ってくれてる?」
「ああ」

 水音の合間から聞こえた家出少女の声に返事をしながら千里は額に指を這わせた。不自然なくぼみがある。どうも肉の芽を植えつけられた部分が痕になってしまっているようだ。眉間の上、髪の毛の生え際に傷痕など気持ちのいいものではない。肉の芽は根深く植えつけられていたため消えることはないだろう。千里はそのまま手を首筋にまで下ろす。一人の男によって二つも傷痕をつけられたことが気に食わなかった。
 突然背を預けている鉄製の壁がぐにゃりと柔らかくなり、千里の体が沈む。千里がはっとして体勢を立て直そうとしたときにはすでに遅く、千里の体は壁に埋め込まれたような格好になってしまった。脱出しようともがいてみるも、先ほどの柔らかさが嘘のように壁は鉄の硬度に戻ってしまっている。敵のスタンド使いがいる可能性を忘れていたはずではないのに、と千里は内心舌打ちをした。
 現状の打破と甲板にいるジョセフたちへの連絡をどうしようかと考えながら千里はプラネット・スマッシャーズを握り直す。肘から下は自由であったが鉄の壁に発砲したところで無駄であるし、船内は機械の機動音でうるさいためにジョセフたちには聞こえないだろう。まず一般人である家出少女の存在がネックであった。プラネット・スマッシャーズで拘束された片腕を撃ってちぎり、脱出の糸口を探すことも考えたが、その後の言い訳が面倒に思えたのである。
 その時、千里とは向かい側の壁からぬるりと得体の知れないものが姿を現した。それがこの船で飼われているらしいと話に聞いていたオランウータンだと千里が気づくための時間はさほど必要なく、またその獣がスタンド使いなのだと同時に理解し、人間に近い知能を持った獣がスタンド使いであろうが驚くことはなかった。しかし厄介な能力だと千里は考える。この船自体がスタンドであるとしたら相当面倒な敵であると思ったからだ。
 オランウータン――名はフォーエバーであるが、もちろん千里が知るはずもない――は壁に埋まる千里を見て、にやりと獣らしからぬ嫌らしく気持ちの悪い笑みを浮かべた。するすると千里に近付き、毛むくじゃらの指を伸ばす。千里はその瞬間に左手に握ったままであったプラネット・スマッシャーズをフォーエバーに向けたが近くのパイプがまるで蛇のように千里の左手に絡みつき、壁に縫い付けてしまった。右手も同時に拘束される。千里が銃を撃てなくなったことにフォーエバーは生臭い息を吐き散らしながらケタケタと笑った。そして伸ばしかけていた指で千里の胸を弾力を確かめるように何度かつつき、お気に召したのか獣の癖に下卑た目で舐め回すように千里を眺める。シャワー音に気付いたのかフォーエバーは目を細め、鼻の穴を膨らませて視線を千里からシャワールームへと向けた。目的など手に取るようにわかる。それからフォーエバーは千里を通り越し、のっそりとした動きで無線室へと入っていった。
 わずかな思考を経て、千里は右手にスタングレネードを発現させる。別名、閃光発音筒。対テロに使用される非致死性兵器である。その強烈な閃光と爆音によって対象を一時的な失明、眩暈、難聴、耳鳴りなどの症状とそれらに伴うパニックや見当識失調を発生させて行動不能に陥らせる。使用時にはゴーグルと耳栓が必要不可欠であるが、今の千里にそんなことを悠長に言っている暇はなかった。閃光は目を強く瞑れば緩和されるだろうが、両腕を拘束されているために爆音から耳を守る術がない。さらに爆発時に発生する熱によって火傷するおそれもあった。ストレングスと共に千里も行動不能に陥ることが予測できたが、それほどの爆音ならばジョセフたちにまで届く可能性がある。そのあとは彼らに任せてしまえばいいのだ。
 千里は無線室の気配をうかがいながら、シャワー音に掻き消されない程度の声量で家出少女に呼びかける。

「おい」
「なあに? もうちょっとだから」

 家出少女はシャワールームの外でなにが起こっているのかを知らない。だが身の安全が保障されているわけでもない。あらゆることに興味のない千里ではあったが、ジョセフから家出少女を任された以上、その任務は忠実に遂行しようと考えていた。少女のお守りを断らなかったことに深い意味はない。それよりも家出少女一人守れずしてDIOに勝てるとは思っていない。DIOを倒すためにこんなところで苦戦するわけにはいかなかった。

「シャワーを最大にしてタオルと服で耳と目を強く塞げ。いいと言うまでそのままでいろ」
「え、なんなの? どうしたっていうのよ」
「黙って従え」

 シャワーカーテン越しながらも千里の雰囲気からようやくなにかが起こっていると気付いたらしい少女は慌ててカーテン開けようとしたが、千里の静かな一喝により大人しく従うことにしたようだ。水音が大きくなる。スタングレネードから発生する音や光がその程度で防げるはずなどないが、少女は非スタンド使いだ。そもそもスタンドから発生する音や光を感知することはできないが衝撃波くらいは感付くかもしれない。千里が少女に促した行動は念のための防衛策程度のものだ。
 大きくなったシャワー音を合図に千里はかろうじて自由の残る右手をひねり、近くの突起にスタングレネードの安全ピンをひっかける。そしてレバーが跳ね上がらないように注意しながら強く握ってスタングレネードを引っ張った。小さな音と共に安全ピンが抜ける。あとは手放せばバネの力によってレバーが上がり、勝手に爆発する。その間、数秒もない。
 何度か脳内でシミュレーションを繰り返したのち、千里は右手首をひねってスタングレネードを投げた。正確には投げたというより転がしたと言った方が正しい。壁に張り付けられた状態から真横にあるドアから室内を狙うには、かなりの鋭角から投げ込まなければならない。それでもスタングレネード千里の狙い通りの軌道を描く。だが船の揺れがそれの邪魔をした。スタングレネードが転がる向きとは逆方向に船が傾いたのである。当然スタングレネードは失速する。瞬間、千里は強く目をつむったが、真っ白な閃光がまぶたの裏を焼き、ジェット機よりも大きな爆音が耳をつんざいた。近距離でそれを受けた千里は当然前後不覚に陥り、そして気を失った。