銃を返せ。千里が発した言葉に花京院ははっとした。思わず学ランのポケットを触れそうになったが、ぐっとこらえる。そこに彼女の求めるものが入っているからだ。それを悟られないよう細心の注意を払いながら花京院は思考を巡らせた。最初はそれを返す目的もあった。しかし素直に渡せばは間違いなく彼女は一行から離脱する。そして一人でエジプトに向かうだろうこともわかりきっていた。ゆえに渡すわけにはいかないと花京院は思った。そもそも彼女は助け合いを求めて一行に加わったわけではない。そんな性格だったらもっと違っていたことだろう。
「それはできない。渡したらきみは一人でDIOを倒そうとするだろう」
「二度も言わせるな」
切りつけるように即答した酷く低いアルトボイスが花京院の鼓膜に突き刺さる。ああ、怒っているな。そう思うのは容易だ。鋭い瞳がわずかに伏せられたのち彼を射抜く。ぴりぴりとした空気が花京院の肌を刺激した。気を抜いたら一瞬で喰われそうだと思った。
「きみ一人じゃあ危険だ。この先どんな敵が襲ってくるかわからないし、今のきみは左目が」
最後まで言葉を続ける余裕はおろか、ハイエロファントグリーンを出す暇などまったくなかった。予備動作なしに千里は自身のベッドから隣のベッドに飛び移り、座っていた花京院を押し倒す。彼の腹の上に跨って動かないよう両足で彼の両腕を踏みつけ、そしてショットガンの先端を口の中に押し込んだ。千里の全身が軋んで痛みを発する。まだ無理をしていいコンディションではないからだ。
ぎらぎらと燃えたぎる灰色の隻眼。花京院の奥歯に銃口が押し付けられる感覚がした。人はスタンドに触れられないが、スタンドは人に触れられる。ならばこの感覚は矛盾したものではないだろうかと、心のどこかで考えるだけの余裕はあった。
だがその余裕が伝わってしまったのだろう。千里の眼光がさらに鋭くなる。気に食わないと、なにもかもが気に食わないと言わんばかりだ。平時であればこのシチュエーションに花京院も戸惑いやら恥じらいやら感じたことだろうが、あいにく邪なことなど一切考えさせないだけの気迫と緊張感が混ざり合う。
「勝手なことを。自分自身すら守れない弱者が他人の心配か?」
プラネット・スマッシャーズをさらに押し込んで千里が吐き捨てる。指は引き金に添えられたままである。一歩間違えれば花京院の頭は柘榴のように弾け飛ぶわけだが、それでも彼の中には一つの確信があった。彼女は撃たない。根拠のない理由がわずかながら余裕を生み出す。
「そうさ。ぼくはきみが心配なんだ」
その声は千里の鼓膜を振動させたのではなく、彼女の脳裏に直接響いていた。花京院は口内にショットガンを押し込まれているために喋ることはできないが、いつの間にか千里の背後に発現していたハイエロファントグリーンの触脚が彼女の腕に絡み付き、プラネット・スマッシャーズに触れていた。半透明の緑色の蔦を目にし、彼がスタンドを介して自身に話しているのだと彼女は気付く。優しい拘束はすぐに振りほどくことができるだろう。それに指先まで押さえつけられているわけではない。そのまま引き金を引くことも可能だ。
今すぐにでも撃ち殺すことができるとわかっているだろうに、花京院は千里が撃たないと確信している。それが千里には気にくわない。またこんなにも神経を逆撫でされ、感情が抑えきれない自身を嫌悪する。狙撃に必要なのは集中力はもちろんのこと、平常心と忍耐力も忘れてはならないと教わっているにも関わらず、精神状態を一定に保つことができていない。
それが彼らに影響を受けた結果なのだと彼女は理解している。こんなにも生温い湯船につかり続けるようなことなど今までになかったからだ。多少の緊張感はあれど、どこか気の抜けた感があることは否めない。それに染まるきっかけがどこかと問われれば、船上で出会ったあの少女に行き着くことだろう。似た年頃だったのだ、と言えば言い訳にしかならない。その程度のことでほだされてしまうのは自身がまだまだ軟弱だからだと千里は思っている。だからこの程度のことで憤ってしまうのだと。彼らといては弱くなる一方だ、そう思えて仕方がない。
しかし目の前の男はことあるごとに千里と関わろうとする。それが決していい影響になりえないことは彼女自身よく理解していた。現に銃を口に突っ込まれているくせに花京院はじっと千里を見つめている。千里を知りたい、理解したいと言った奇特な男だ。一行の中で唯一の純粋な日本人らしい。忌々しい感情が彼女の中にわき起こる。日本で暮らしていたときのことなど思い出したくもない。
「――もういい」
嘆息し、千里はショットガンを消した。途端、花京院の口は自由を得る。すでに千里の瞳はいつものなにを考えているかわからないそれに戻っていた。不毛な言い合いは無駄だと判断したのだろう。あれほど感情を露にしていたはずなのに今はひっそりと鳴りを潜めてしまっていることに内心驚きながら、花京院は千里を見上げる。茫洋とした目は彼を見ていない。
千里の手が学ランのポケットの中に押しこまれた。さも当然のようにS&W M19を抜き取る。そこにあるのだと気付いていたのか。隠しても無駄だったのだと花京院はぼんやり思った。
花京院の両肩を押さえつけていた足がどけられ、腹の上が軽くなった。千里が花京院の上から退いたのである。すでに彼女の意識の範疇から花京院は外されてしまっていた。
「千里」
花京院の呼びかけなどもちろん無視だ。軋む体の痛みを享受しながら彼女は自身のベッドに倒れこんだ。溜まっていた疲れが一気に襲ってきたのである。それに他人を相手にしていることも馬鹿馬鹿しくなった。彼らが大甘のお人好しだと思い出し、主張すればするだけ面倒だとも思った。そして考えるのをやめて寝てしまおうと結論に至る。考えれば考えるだけ時間の浪費にしかならないからだ。
毛布もかけずにこちらに背を向けて横になる千里の背中を見ながら、夕食は食べないのだろうと花京院はぼんやり思う。スカートの内側が見えそうで見えない。黒タイツに透ける包帯の白が痛々しい。服装に無頓着な千里だから、カッターシャツもプリーツスカートも皺がついてしまうことだろう。疲れているだろうに無理をさせてしまったかな。いつも言い合いのようになってしまうことに花京院は少しだけ反省する。彼女は強情だからあまり周囲の諌言を聞き入れてくれない。それだけ自身を確立していると言うこともできるが、同時に頑固であるとも言えた。花京院はいつも千里の機嫌を損ねてばかりである。
「入るぞ」
ノックもそこそこに入ってきた承太郎は先に室内にいた二人の様子を見て、わずかに眉をしかめた。なにかがすでに起こり、終わったことを察したのである。それは結果、千里が放棄したか諦めたかで幕を閉じたのだとも。
「彼女、夕食はいらないそうだ」
「……花京院」
「なんだい?」
やれやれだぜ、と内心呟く。酷い顔をしているとは言えなかった。罪悪感を抱くのが馬鹿らしくなってしまうような、そんな気がした。今度はなにを言ったんだ。さすがにそんなことは聞けないが、だいたいそんなものだと察することはできる。
背後でどんな会話が交わされていようともやはり千里は微動だにしない。花京院だろうが承太郎だろうが彼女の意識の範疇外、存在を気にする価値もないただの旅の同行者である。