ふと、頭上でふわふわとなにかが浮かんでいることに千里は気が付いた。虫でも木の葉でもない。なんとも形容し難いそれは特になにかをするわけでもなく、ただ浮かんでいるだけだ。訝しげにそれを一瞥する千里の右目がわずかに見開かれる。フラッシュバックするように掘り起こされる記憶。見覚えがあった。前回は察知したと同時に失態を演じたそれを忘れるはずがない。そしてそれがスタンドであろうことも察知し、すぐさまそれに向かって彼女は発砲したが、やはりふわりと避けられる。アサルトライフルに切り替えてフルオートで発砲したところで同様の結果である。遠方よりそして聞こえた銃声。やや反応に遅れ、正面から飛んできた弾丸が千里の耳元を掠めていく。しかし彼女の隻眼は確かにそれを捉えていた。研ぎ澄まされた五感がそれを可能にしたのだろう。宙に浮かぶそれのある位置から銃弾は飛んできたのである。しかし銃声は左側方から聞こえた。入射角と反射角が釣り合っていない。とにかく銃弾は間違いなく正確に千里を狙い続けている。そして敵の位置がさらにわからなくなる。
視界の端にちらつく白が邪魔であると眼帯を剥ぎ取り投げ捨て、千里は建物の陰から飛び出した。そしてそれの位置を確認し、常にそれとの間に遮蔽物があるよう意識しながら千里は身を屈めて走り出す。誘導されているとはわかっていた。だがはっきりしたことはある。なんとも名状し難いそれはスタンドであり、それを利用して自身を狙撃しようとしている敵はスタンド使いであると。そしてこのタイミングで出てくる敵のスタンド使いなどDIOの手下以外の何者でもない。子供でもわかることだ。
三発目と四発目の銃弾を掠らせながら敵のスコープの反射する光が見えないかと思案し、千里は別の建物の陰に飛び込んだ。相手がスタンド使いだからといって今更驚くわけでもないが、紛うことなく敵だとわかればあとは簡単だった。殺される前に殺してやればいい。おおよそながらも千里は敵スタンドの性質を理解している。銃弾を反射させて対象に当てる、中継役のスタンド。常時敵からスタンドの位置は見えていないはずなのだが、それでもスタンドに当ててくるとなると、おそらく常に銃弾の軌道上にいるのだろう。だが無駄な発砲数は未熟である証拠でしかない。せっかくのスタンドの能力を生かしきれていない上にスタンドに頼らなければ狙撃できないなど生ぬるいにもほどがある。千里の中で不快感が増す。すでに何発掠めたかわからないが、幸いなことに銃声より実際に受ける弾丸の数は少ない。狙撃手の腕前が半人前なのだと彼女は見当をつけていた。少なくともホル・ホースの方が銃の扱いには長けていた。それかスタンドを十二分に扱えていないかのどちらかだ。特段能力のない千里のスタンドだが、できることは際限がない。敵は執拗に彼女を狙っているようだと気付いている。銃撃戦で負ける気はなかった。
きらりと道を挟んだ近くの建物の屋上でなにかが光った。ほんの一瞬、うっかりすれば気付かない程度の小さな反射光を千里が見落とさなかったのは偶然だった。他の者なら特に気にも留めなかっただろうそれを認識してすぐに周囲を見回す。屋根の上に登れそうな手段を探し、それがないとわかると道を横切って手近なアパートに飛び込んだ。それまで敵スタンドはつかず離れるの距離を保って視界に入るか入らないかの位置を浮かんでいたが、千里が屋内に入った途端その姿を消した。相手の照準の外に出たのだと察し、闖入者に驚き声を上げる住人たちを一切無視して千里はアパートの階段を駆け上がる。今の彼女にとって敵以外の存在はノイズにすらなりえない。意識の範疇に入れる価値すらないのである。
千里が屋上に飛び出した瞬間、敵弾がスタンドに反射して飛んでくるが、彼女はそれを読んでいた。銃弾の軌道上から体をそらしながら、わずかに見えた人影を狙って引き金を引く。当たるどころか届いてもいなかったが反撃をアピールするだけの目的であったため、千里はどこに弾が飛ぼうが気にしない。そのまま走る速度を落とすことなく素早く二丁のサブマシンガンに持ち替え、牽制するように弾幕を張る彼女は建物の縁を蹴って跳躍した。隣の建物の屋上に着地し、そして再び助走をつけてさらに隣の、敵のいる建物へと飛び移った。空中はどうやったって無防備になる。そこを狙われるのは当然であったが、彼女はあえて銃弾の礫に身を晒すことに甘んじた。体をひねりながらできる限り体に受ける弾丸の数を抑えつつ、その数倍もの弾丸を発砲し、敵が潜んでいるだろう物陰に撃ち込む。弾込めの必要のないプラネット・スマッシャーズは便利だ。サブマシンガンであろうと新たに発現させればさせただけ連射が可能となる。そして敵から一切視線をそらさないまま受け身を取りながら着地すれば千里の全身から血が吹き出した。その激痛よりも目の前の敵から意識をそらさない彼女は、ついで手榴弾を投げ込み身を伏せる。爆発から逃れるように飛び出てきた人影に千里はマスケットを発現させて殴りかかった。
振り下ろされたマスケットをスナイパーライフルで受けたのは少年だった。年の頃は千里より少し下くらいだろうか。背も千里より低い。彼が霧の街でホルホースとともにジープで逃げた子供だと彼女は確信する。それ以前に小蠅のようにまとわりつくあのスタンドがすでに同一人物だと示していたが。敵意を孕んだ熱っぽい視線が千里の不快感を増幅させる。白い肌。薄いブロンドに青い瞳、黙っていれば無害なただの子供だが残念なことに彼の手が握っているのはスナイパーライフルである。しかし年下であろうと手加減して殺さないなどという生ぬるい情けを千里は持っていない。いくら年下の子供であろうと殺意を抱き敵意を向けられた瞬間、それは間違いなく倒すべき敵となる。スタンド使い、そしてDIOの手下となれば尚更だ。殺さなければ殺される瞬間に相手の生を考えるなどあってはならないことだ。敵を生かして死ぬほどに千里は自己犠牲精神に旺盛ではない。これから先ずっと命を狙われるなど笑える話にもならないからだ。
スナイパーライフルで千里の攻撃を受け止める少年が彼女の足を狙って蹴り上げる。咄嗟に後方へ跳躍して千里は避けるが、途端がくりと膝をつく。じわじわと戻ってくる痛覚もそうだが、昨日の今日で完治していない体が限界が近いと悲鳴を上げているのだ。十全に立ち回れることは望めそうにない。少年も素早く距離を取り、スナイパーライフルを千里に突きつけた。この近距離では銃弾を避けることは不可能だ。さらに千里の頭の後ろにはあのスタンドが浮いているが彼女は気付いていない。わずかに乱れる呼吸を抑えつつ、千里は鋭い双眸をさらに鋭く研ぎ上げる。銃口との距離が近すぎるためプラネット・スマッシャーズを発現させる隙がない。発現させ、少年に向けた瞬間には頭がはじけ飛んでいることだろう。
指先まで神経を走らせて臨戦態勢をそのままに、隻眼で少年を射抜く。避けることができなければ銃口の向きを変えてしまえばいい。頭の中でいくつかの行動パターンをシミュレーションしながら千里は少年を見上げた。灰色と青色の瞳が交わる。それもまた酷く不快だと彼女は思った。