失われた小銭をめぐる興奮

 野生のラクダなど見たことがある者の方が珍しい。日常生活において動物園で檻に囲われているラクダや生活の道具としてのラクダなら見ることも可能である。ジョセフが用意したのはもちろん後者、移動用としてのラクダであった。
 四駆で砂漠越えを選ばなかったのはジョセフの趣味だったかもしれない。中東の砂漠越えはラクダが定石じゃ、と異文化を違う意味で大切にする彼ならば言い出してもおかしくないからだ。しかし迂回路を通らず車で砂漠越えを選択した場合、途中で故障をしたら厄介だと考えるとラクダという選択肢は妥当だったのかもしれない。北西へ百キロ先にある村、ヤプリーンまでの道のりは容易ではなさそうだと誰しもが思った。そしてどうやったのか、ヒトコブラクダが五頭用意されていた。決して安くないラクダをそれだけの数揃えるとなると大きな買い物である。それを難なくやってのけたジョセフとSPW財団の力は尋常ではない。
 独特の歩き方をするためにお世辞でも乗り心地がいいとは言えないラクダを操るのは容易ではないだろうと皆が思ったのは、ジョセフの実演を見たためである。大健闘ののち、ラクダに騎乗することに成功したジョセフに続いて一同はラクダの背に跨がる。千里もまたラクダに乗るなど初めての体験であった。馬は過去に騎乗したことがあったが、それと同じ要領でいいのかとやや思案する。そして皆がそれぞれに四苦八苦して騎乗する様子を眺めたのち、試しに彼女は自身のラクダの手綱を引っ張ってみた。するとよく調教されていたのか、ラクダは大人しく足を折って座り込んだ。そのままコブの上に座るには高すぎるため、その長い首に足をかけて騎乗する。千里が乗る間もラクダは大人しく、再度彼女が手綱を引くと立ち上がった。ぐんと視界が高くなる。容易に騎乗できたのはもしかしたら運がよかったからかもしれない。そして全員が騎乗したことを確認したのち、一行は動き出した。
 ゆっくりとした速度でラクダは歩く。見渡す限り砂ばかりの大地と照りつける太陽。この時期は冬季に当たるため、暑いと言っても極端な暑さではない。また非常に乾燥しているために、ねっとりとした不愉快な湿気もなかった。それでも汗はにじみ出る。
 誰かに見られているような気がして、独特の居心地の悪さを花京院は感じていた。敵がいるのかと周囲を見回してみても平坦な大地のどこにも人影はない。それに仲間の誰もそれを気にしている様子はなかった。仮に敵がいるとすれば一番他人の気配に聡い千里が気付くだろうから気のせいだろうと思い直して視線を前に向けた。すぐ前を行く千里の姿が目に入る。彼女の着るフードつきのマントは砂漠は日差しがきついからと花京院が渡したものだ。フードを被ればただでさえ露出の少ない千里が膝下まですっぽりと隠れてしまった。裾の下から黒のタイツに包まれた二本の足と靴が見えるだけだ。その後ろ姿はまるでベドウィンかジプシーのようだと花京院は思った。彼の位置からでは見えないが、フードの下ではマフラーを目の下まで引き上げているため、右目しか表に出ていない。
 気を紛らわせているあいだでも感じる視線に花京院はとうとう耐えきれなくなる。だが周囲を見回してみても当然敵の影はない。しかし違和感は拭えずにいる。

「おかしい。やはりどうも誰かに見られているような気がしてならない……」
「花京院少し神経質すぎやしないか? ヤシの葉で足跡は消しているし、数十キロ先まで見渡せるんだぜ。誰かいりゃあわかる……」

 確かにポルナレフのラクダはヤシの葉を引きずりながら歩いている。これもまたジョセフの入れ知恵であった。念には念を、どれだけ重ねたところで念を入れすぎることはない。

「いや……実はおれもさっきからその気配を感じてしょうがない……」
「承太郎、調べてみてくれ」

 承太郎までもがそう言うのならば、とジョセフは彼にスタープラチナで周囲を探るよう促す。しかし最強のスタンドの目をもってしても怪しげなものを見つけることはできなかった。どこまでも砂の大地が続くばかりである。

「千里、オメーはどうだ?」

 ポルナレフの問いかけに千里がゆっくりと周囲を見回す。そののち灰色の右目がじっと一点を見つめたがすぐにそらされた。ついで太陽を見上げて目を細める。じりじりと大地を焦がす太陽の光は強い。その暑さにたまらなくなったポルナレフが日が暮れたらキャンプしようを提案し、温度計を取り出す。

「見ろよ五十度もあるぜ」

 それを日中で一番暑い時間帯であるためだと解釈したジョセフは日暮れまでの時間を確認するために懐中時計の蓋を開けた。そこでようやく異常に気が付く。夜の八時過ぎを指していることに時計が壊れている可能性があると承太郎にも時間の確認を促したが、彼のタグホイヤーもジョセフと同じ時間を指していた。そういえば太陽は動いていただろうかと空を見上げれば、その間にポルナレフの温度計の針が動き、気温が十度上昇する。そして西に傾き始めていたはずの太陽が東に戻る。

「ま……まさかあの太陽がッ! スタンド!」

 皆が一斉にラクダから飛び降り、地に身を伏せた。しかし太陽がなにかしらの攻撃を仕掛けてくることはなく、白夜のように沈まないまま彼らを蒸し殺そうとじりじりとその熱を増していくばかりだ。ラクダが暑さによって倒れ始める。これ以上日陰のない砂漠のど真ん中に居続ければ日射病や熱中症を通り越して干からびてしまうことだろう。これだけのエネルギーを発するスタンドなのだから近くに本体がいるはずなのだが、姿らしきものはどこにも見当たらない。だがその間にも順調に気温は上昇していく。

「じっとしていてもしょうがないッ! ぼくの「法皇」で探りを入れてみるッ」

 花京院がハイエロファントグリーンを発現させる。遠距離型のスタンドは触脚の端を主人の元に残して上へ上へと上昇し、太陽に近付いていく。一行が固唾を呑んでそれを見守る中、千里だけがまったく別の方向を見つめていた。ライフルを発現させて腹の下に抱える。ぽたりと汗が落ちた。そもそも彼女は極端な暑さに慣れていない。それに輪をかけるようにして完全防備の服装は体感温度を順調に上げている。
 二十メートル、四十メートルと花京院は呟き、それが百メートルに達しようとしたときだった。きらりと太陽が異様な光を見せる。すわ攻撃かとハイエロファントグリーンがエメラルドスプラッシュを放ちかけ、千里がライフルを標的のいない方向に向けたが、それよりも先に降り注ぐレーザーの雨。ハイエロファントグリーンがレーザーを避けきれなかったために花京院の頭部から血が吹き出す。発砲する余裕などすでに暑さに奪われていた。しかもこの熱気では銃もまともに動かないため、千里は即座にライフルを手放して地面を転がりそれをかわす。ラクダをも貫くそれから身を隠すためにスタープラチナの拳が地をえぐって穴を開け、一行はその中へと飛び込んだ。
 日陰に身を隠してみても、そもそも空気が熱を帯びているために暑さはそこまで変わらない。むしろ狭い場所に人が五人も密集すればその体温や発する汗で不快度が増す。未だ敵の姿は目視できていない。

「Son of a bitch!」

 穴からわずかに出した双眼鏡をレーザーによって破壊されたジョセフが忌々しげに吐き出す。暑さは思考を低下させ、いらつきを上昇させる。まるでサウナの中にいるかのように熱気が肌をじりじりと焼き、乾きに喉が張り付く不快感を覚える。このままずっと身を隠しているわけにもいかないが、だからといって外に出ればレーザーによって串刺しにされる。打開策がないために見えない敵に向かって罵るくらいしかできないのである。
 暑さでいつもより覇気のない千里の、その視線の先に気が付いたのは花京院が最初であった。ジョセフの双眼鏡という前例もあってか、今の彼女は銃を持っていない。拳銃だろうと身を伏せた状態から構えようとすればどうしても銃身が外に出てしまうからだ。どうやってあれを対処しようかと思案していたところを花京院は気が付いたのである。
 千里の視線の先には相変わらず砂の大地が広がっているが、そこに向かい合う二つの大きな岩がある。左右対称のように並ぶそれはまるで双子のようであり、人一人が隠れられる程度の大きさだ。そこではたと花京院は千里の見つめているものの正体に気が付いた。それまで気付けなかったのはおそらく暑さにやられていたためだろう。気付いてしまえばなんてことのない、チープな仕掛けだ。あまりにも滑稽すぎて思わず笑いがこみ上げてくる。

「ウッ……クックックックックック」

 突然奇声を上げて笑い出した花京院に気でも狂ったのかとジョセフは危ぶむが、ついで承太郎も同じように笑い出す。そのうちポルナレフまでもが笑い出したために、皆暑さに頭がやられてしまったのかと背筋に悪寒が走った。すがるように千里はと見れば、そこにはいつも通りの少女が酷く冷ややかな眼で外を見ていた。三人の奇声は聞こえているだろうにまったく見向きもしようとしない。
 花京院のネタばらしが理解できなかったジョセフのために、スタープラチナが手近にある石を外へと投げた。その先には三人が笑っていた原因のものがあり、また千里が見つめていたものがある。スタープラチナが投げた石はそのまま地面に転がることなく、空間に大きな穴を開けた。同時に野太い悲鳴が上がる。空が一気に暗くなった。あるべき時間に戻り、夜が訪れたのである。
 ネタを明かせば大したことではなかった。太陽のカードの暗示を持つ敵スタンド使いは砂漠の景色を鏡に映しながらその後ろに隠れ、一行を尾行していたのである。あまりにも呆気ない結末にジョセフは拍子抜けし、一方で突然訪れた夜の冷気にポルナレフはくしゃみをした。五十度以上一気に下がったのだから当然のことである。極端な気温差を前にして千里はマントをかき寄せた。