砂漠の夜は冷える。遮蔽物がないためだ。太陽がスタンド本体であると気付いたのが夜の八時過ぎだったのだから、すでにいい加減な時間になっていた。星明かりしかない中での移動は危険だと、彼らはそこでキャンプをすることにした。
寝袋にくるまって眠る一行を視界の端に映しながら火を絶やさぬよう千里はヤシの木の木片を投げ込む。携帯コンロなんかは別に用意されていたが、暖を取るには役に立たない。それに襲撃を受けた際、暗闇の中では立ち回れない。
木材に乏しい砂漠では乾燥させたラクダの糞が燃料となる。足跡を消すために引きずってきたヤシの葉も枝もろとも敵の攻撃で粉々になってしまっていたため、燃料の節約のためにも千里はそれを活用していた。実際、敵スタンドの発する熱によりしっかりと乾燥したヤシの木はよく燃える。
揺らめく炎に千里は目を細める。誰かのいびきや寝返りを打つ音、たき火のはぜる音ばかりで他には音がない。慣れないラクダでの旅路や気温の急激な変化に疲れてしまったのだとはわかる。だが敵の襲撃直後で見張りも立てずに眠れる彼らの図太さや気楽さを千里が理解できる日は当分訪れそうにない。そもそもベッドのない場所で眠りこけることができるほど彼女は無神経ではなかった。気楽に行こうと思えるほど不真面目でもない。
思考を止めて空を見上げれば満天の星空が広がっている。人工的な光がないために地平線の果てまで星がよく見えた。時折星が流れ落ちる。ぼんやりと夜空を眺めているだけで光の尾を引いて短い線を次々と描いていく。
流れ星は日常的に見ることができると彼女が知ったのは祖父母の元に身を寄せてからだった。長らく思い出すことのなかったあの夜空を思い出し、千里は未だわずかな違和感を残す左手を握り、開く。スティーリー・ダンから受けた傷はほぼ癒えている。走り回るにもスタンドを使うにも問題はない。右目だけの生活もかなり慣れてきたが、スタンドを使う際には不便があった。両目と片目では同じ標的に狙いを定めても命中率に差が出る。今までの感覚では満足な銃撃もできないが、微調整を繰り返すうちに新しい感覚を身に付けつつあった。慣れるまで時間の問題だろう。
けっして眠くないわけではない。千里とて睡眠を犠牲にしてまで不眠の番をするつもりはなかった。マントを掻き寄せマフラーを口元までしっかり上げる。やはり冷たい夜の空気に傷がひきつる。周囲に気を配りながら目を閉じ、完全に眠りに落ちない程度に意識を沈めて呼吸の回数を減らす。身体の活動レベルを下げれば代謝が低下し、熱産生が少なくなる。わずかでも体温と気温の差を縮めれば、いくぶんか寒さは和らいだ。仮眠の方法をいつどこで学んだかなどまったく覚えていなかったが、彼女にとって慣れた行為だ。特にエジプトを目指す旅路に加わってからそれが顕著になっている。
そもそも千里はゆっくり眠ることがない。手放しで安眠できるのは安全が確立された場所だけだ。もっとも命を狙われ続ける旅で絶対的な安全など存在しないのだが。千里の脳裏に忌々しい男の声が蘇る。あの甘言に惑わされれば仮初めの安心を得ることができるのだろう。だが膝を折ってまでそれを得たいとは思っていない。誰かに頼らなければ生きられない人生など唾棄すべきものだと思っている。
誰かが寝袋から起き上がった気配がし、千里の意識が急速に浮上する。目を開けはしないが自然と聴覚に意識が集中する。他人の気配というものはどうしたって意識してしまうものだ。
生理現象の処理なら離れていくだろうと思った気配が大きくなる。足音が動き、存在感が増した。たき火の前に座る千里に近付いた気配の動きに、彼女はすっと目を開けた。視線だけを気配に向ける。
「やっぱり起きてたか」
フードとマフラーの隙間から灰色の隻眼を向けられても承太郎はあまり驚かなかった。充分想定の範囲内であったからだ。同時に近付けば起きるだろうことも予測していた。座ったままねむりこけていたら、それは千里ではない。彼女は誰よりも一番警戒心が強く気配に聡いと知っているからだ。それに千里が寝袋にくるまって眠る姿など想像もできない。
「傷の具合はどうだ」
承太郎の問いかけに対し視線はそらされ、たき火の中に向けられる。小さく火がはぜた。彼女が重傷を負ってから数日は経過しているため傷の痛みは和らいでいることだろう。動けない程度でなければ千里は眉一つ動かすことなく平然と動く。無茶をすると承太郎は思っているが、下手に一行の荷物になるよりはいいとも思っている。同じ年頃の少女たちなら音を上げているだろう行程でもなんなく男たちについてくる彼女の体力がその体のどこにあるのかと疑問に思うほどだ。弱音は一切吐かないし、だからといって無理矢理笑顔を浮かべるわけでもない。淡々と戦い続けるばかりである。
夜風は肌寒いが、たき火に近付けば暖かい。完全に意識を覚醒させた千里が木片を投げ込む。火の粉が飛んだ。東の空が白み始める。太陽がまだ昇りきっていない、気温の低いうちに出発するとジョセフは言っていたから、もうすぐ起きる時間になるのだろう。だが千里と承太郎以外は未だ夢の中だ。数の減ったラクダも二重の瞼を閉じて頭を地に伏せている。あの中のどれか一頭に誰かと誰かが相乗りすることになるのだろう。特に印象に残らない敵であったが、足を減らされたのは少々痛い。
千里が相乗りする片方になるのだろう。承太郎は思う。一行の中で一番小柄で体重の軽い彼女が選ばれるのは自然の成り行きである。表情には出さずともきっと内心嫌がることだろう。だが誰も好き好んで男同士で相乗りしたいとは思わない。
「おい」
炎の中に落ちていた視線がすっと承太郎に向けられた。
「移動はおれのラクダに乗れ」
千里の右目が承太郎からラクダの群れに移動した。おそらく数を数えたのだろう。承太郎の言わんとしていることを理解すれば、彼女は納得する。それが合理的とわかれば感情と切り離すことができる彼女だからこそ、説得する必要はなかった。もっとも、さらに合理化させるならば千里の次に小柄である花京院と相乗りするべきなのだろうが、その人選はあまりよくないと承太郎は考える。花京院は普段冷静であるくせに、どうしてだか千里が関わると少々感情的になりやすい。そこになにを見出だしたのか、それともなにと重ねて見ているのか承太郎は知らない。しかし決していい傾向とは言えなかった。
千里は承太郎の申し出にとやかく言うつもりはない。それが例え彼なりの贖罪のつもりであろうとも指摘する気はなかった。大柄な男ばかりの中で一番小さな体格の彼女が誰かと相乗りになる。合理的だしなにも問題はない。相乗りの相手が彼女の次に小柄である花京院ではないことに疑問を感じなかったわけではないが、別に千里だけ歩けと言われているのではないのだからどうでもよかった。ラクダが潰れそうになれば別のラクダに乗ればいい。そもそもラクダはそこまで弱い生き物ではないのだから潰れる心配は不要なのだろうが。
白くなりつつある夜空と燃え上がる地平線を見つめ、千里は目を細めた。アラビア半島を抜ければアフリカ大陸が待っている。そこに目指すべき男がいると思えば、なにも苦痛はなかった。