あなたはほそい一本の糸でわたしを釣り上げ

 敵本体は七メートル上の陸地にいるとわかっているが、あいにく敵スタンドの口内に閉じ込められているために本体を叩くことはできそうにない。幸いにもまだ喉奥にまで飲み込まれていないことだけが救いと言えた。しかし四方が岩となると力尽くで脱出するのは難しい。マジシャンズレッドの炎はまったく歯が立たないし、シルバーチャリオッツのレイピアをもってしても切り裂くことは叶わない。ダイヤモンド並の硬度となると並大抵のことではどうしようもなかった。
 敵スタンドに吸い込まれた勢いで花京院から引き離された千里は岩壁に叩き付けられたと同時に盛大に息を吐き出してしまった。次の瞬間襲ってくるのは失われた空気を得ようと膨らむ肺の動きだ。しかし海中に満たされているものは水しかない。生理現象という不可抗力に抗えず、千里はたっぷり息を吸い込んだ。だが彼女の肺の中を満たしたものは海水ではなく空気だった。どうやらこの空間は浸水されているようではないらしい。内心安堵し、敵の動向に意識を向ける。どうやら敵はその頑丈な歯をもって一行をすり潰す気のようだ。

「一度あんたの素顔を見てみたいもんだな。おれの好みのタイプかもしれねーしよ、。――恋に落ちる、かも」

 ポルナレフになにかしら吹き込まれた承太郎が大根役者さながらの棒読み加減に心にもない台詞を吐く。敵が承太郎に対して気があるようだと察したポルナレフが一計を案じたのである。一見馬鹿らしい策でも効果があったらしく、敵の反応はまんざらでもないようだった。承太郎に続くように他の者たちも敵を褒めちぎる。お前もなにか言えよ、と千里はポルナレフに肘で小突かれたが、敵の繊細な女心が理解できない彼女は冷ややかに第三者に徹することを選んだ。結果、彼らの行為は敵をさらに怒らせてしまっただけだった。怒り狂う敵の歯に承太郎が餌食になる。しかしすぐに彼の頼れるスタンドがダイヤモンド並の硬度ながらも少々カルシウムが足りなかったらしいその歯をぶち破った。その勢いに乗じて一行は脱出し、海面へと上昇する。千里の手を握ったのはまたしても花京院だったが、今度は離さないようにと言わんばかりにしっかりと握られていた。
 陸に上がった一行はすぐに敵のスタンド使いを見つけることができた。ひくひくと痙攣しながら倒れている女教皇の本体、ミドラーは歯をすべて折られて見るも無惨な姿になっていたらしい。全員に見るなとポルナレフが静止をかけるほどだから相当なことになっているのだろう。
 エジプトへの到達は散々なものとなったが、確かに彼らはアフリカ大陸の地を踏んだ。飛行機ならば日本から二十時間ですんだ距離を三十日もかけて来た彼らにしてみれば感慨深いものがある。ポルナレフと千里はそれよりも何日か少ないにしろ、それでも二十日以上行動を共にしていることになる。残り二十日間。エジプトへ到達したことの安堵感と残り少ない時間に対する焦りが相反する。ようやく感傷に浸る余裕を得ることができたとも言えた。
 全身びしょ濡れの一行は着替えもないため、まずは宿に向かうことにした。SPW財団と連絡が取れればすべてが用意される。ようやくシャワーを浴びてさっぱりした一行は夕食に集まったが、その中に千里の姿はなかった。いつものことであるから今更気にする者もいない。強要すれば彼女もこの席に来ただろうが、馴れ合いをよしとしない千里を無理矢理参加させることもなかった。
 ここから先、ナイル川沿いに北上することは決定している。SPW財団のフォローがあれば物資も移動手段も、そして情報も手に入ることだろう。財団職員が先行してDIOの居場所を探っているらしいと聞いていたため、とにかく一日でも早くカイロ入りすることが最優先事項であった。立ち止まっている暇など彼らにはない。

「――アヴドゥルさん。聞きたいことがあります」

 話が一段落したのち、話題を変えた花京院にアヴドゥルを始め、他三人の視線も彼に向けられた。わずかばかり思案したのち、花京院は話し出す。アヴドゥルと再会したあの島での出来事。ポルナレフを襲った敵とはまた別の、話すだけ話して姿を消した敵の存在と、話の内容をできるだけ詳しく彼らに話す。もちろんその中には千里のことも含まれていた。彼女がクオレマと呼ばれていることをアヴドゥルだけが知らない。それを皮切りに千里に関することを一つ一つ順序立てて話した。アヴドゥルの占いでは審判の逆位置を与えられた彼女が実はすでに死神の正位置与えられていたらしいこと。死神の暗示を持つスタンド使いのことを覚えているのは花京院と千里しかいなかったため、もちろんそのことも伝える。そしてDIOに忠誠を誓えば死神の暗示を持ち、歯向かえば審判の暗示を受ける。そしてその先にあるものが破滅だと、覚えている限りのことを花京院は話した。なぜこのタイミングかと言えば、千里がいる場では間違いなく彼女を不愉快にする内容であるから、今まで花京院は一行に話せずにいたのである。
 花京院が話を進める間、アヴドゥルの表情が次第に厳しいものへと変化していく。そしていつも持ち歩いているタロットカードを取り出し、テーブルに並べ始めた。カードをめくっては戻し、ぶつぶつと小さく呟く。そして「そうか、そういうことだったのか……」と呟き、タロットカードを一つにまとめた。一番上にきたカードをめくればそこに描かれている図面は大鎌を持った髑髏。カードナンバーは十三、死神である。

「わたしがインドで入院している間もあなたたちの旅路を占っていたのだが、どうしても千里の占い結果だけがいつもおかしかったんだ」

 アヴドゥルがめくった二枚目のカードは審判だった。その二枚のカードを皆の前に提示し、話を続ける。

「千里が最初に引いたカードは審判の逆位置だった。それが彼女の運命であり、スタンドを暗示している……はずだった。だからわたしは審判の正位置を持つカメオを倒し、千里を正位置に据えたつもりだった」

 一つの席に二人もいらない。カメオと千里のどちらが正式な審判の暗示を持つにふさわしいか、たった一つの席を巡って奪い合いをすることになるだろうことまではアヴドゥルも予測していた。逆位置の審判が持つ意味を正位置にしなければ千里に待ち受ける運命は暗雲立ちこめるものでしかないとわかれば、彼女の運命を変えるためにもアヴドゥルは審判の正位置の暗示を持つ敵を必ず倒すと心に決めることは容易かった。
 しかし占いの結果はいつも千里を死神にしたがった。彼女に死神の暗示を持つ敵が近づきつつあるのだとアヴドゥルは解釈したのだが、定期的に来るジョセフからの連絡では死神の暗示を持つ敵の存在はまったくもって浮かび上がってこない。もしかしたら千里を加護するタロットの暗示は審判ではなく死神なのではという考えもアヴドゥルの脳裏によぎりはしたが、自身の占いで審判の逆位置を出していたため、その可能性はないと否定した。だが花京院の話を聞いてようやく彼は理解したのである。

「だがどうやらわたしは勘違いしていたようだ。千里はDIOによってすでに死神の暗示を与えられていたのだ……プラネット・スマッシャーズは審判者ではなかった。命を刈り取る死神だったのだ」

 苦々しくアヴドゥルが言葉を吐き出す。後悔を含んだ声色だった。敵のスタンド使いの中に死神の暗示を持つ者がいるところまでは間違っていなかったが、その敵がまさか正位置ではなく逆位置だとは思っていなかったのである。千里が死神の正位置に納まっていた時点で審判の逆位置の暗示は付属的なものでしかない。だから審判の暗示を持つカメオを倒したところでなにも意味はなかったのである。

「日々運命は変わる。だから千里が引いた審判のカードも確かに彼女の運命だろう。だが生まれ持った運命は変わらない」
「――死神の正位置が持つ意味はなんだ」

 承太郎の声色は酷く静かなものであったが、同時に酷く硬い。下らないと一蹴することもできたが、彼はそれをしなかった。

「崩壊、解体、損失、終末、終止符……それが最初に与えられた千里の運命であり、スタンドの暗示だ」

 そこまで言ってアヴドゥルは口を噤んだ。これまでの話が千里にとってなにを示しているのか考えたくもないことだったが、おそらく当の本人は決して気にすることはないだろうと全員が思う。現に占いの結果がこの旅においてそこまで重要なものではない。ただ死神と呼ばれることを千里は非常に嫌がっているようだと花京院の話から推測できた。死神という単語が彼女にとってどんな意味を持っているのかまではわからなかったが。

「ありがとうございます。なぜ敵が執拗に彼女を悪にしたがるのかはわからないが……」

 花京院の言葉の最後はほとんど呟きに近かった。彼がどれだけこの件について心を砕いても当の本人はまったく意に介さないことはわかりきっていた。