鋼鉄の歩み

 タロットだの運命だの、そのような類に対して一切の興味のない彼女が旅の同行者たちと夕食を共にしていたら、おそらく酷く辟易して中座していたことだろう。興味の欠片もない内容の話を黙って聞くほどつまらないこともそうそうない。しか話題の中心が彼女自身なのだからなおさらだ。運命も未来も結果なのだから気にするほどの事象ではなく、もっとも目を向けるべきものは今現在の現実だと内心吐き捨てたに違いない。ゆえに千里は自身の暗示が審判だろうが死神だろうが構わなかった。どちらかを選べと言われたら迷わず審判を選ぶが。
 海水に濡れたS&W M19の手入れをしていた千里の手が止まる。視線を上げれば鏡に映る自身と目が合った。そして触れるは首筋の忌まわしい傷跡。生まれ持った肌の色に馴染まず、未だに自己主張する因縁。マフラーは現在クリーニングに出してしまっているためにその傷を隠すものはなにもない。露出したそれも今やようやく痕を残しつつもほぼ治りかけていた。
 三十日。長くて短い時間である。一ヶ月前まで彼女は吸血鬼の走狗だった。主人に忠実な犬だったのである。呪縛から解放されてから三十日。忌々しく、そして切望するあの男の首までもうすぐだ。彼女の望むものといえばそれだけしかない。雪辱を果たすためにも。
 アフリカ大陸に上陸してから一夜明け、彼らはバギーに乗り込んでアスワンを目指す。そこからナイル川沿いに北上し、カイロに入る計画だ。砂場ばかりの大地を進んで数日、給油地であるアスワンまであと一日程度の距離にまで近づいたあたりでスピードワゴン財団のヘリコプターの到来を待つ。街中では目立ちすぎるヘリコプターも砂漠のど真ん中ならば人目を気にせず着陸することができる。それに見晴らしのいい場所ならば敵の襲撃も察知できるだろうとの配慮だった。

「ヘリコプターだッ!」
「言われなくても見りゃあわかる。SPW財団のヘリだ……降りられる場所を探している」

 砂の大地に不釣り合いなそれを呼び寄せたのはジョセフだ。旅に必要な物資もそうだが、助っ人を連れてくるよう依頼していたのである。できることならばヘリコプターに乗って砂漠を一気に越えられればよかったが、あいにく彼らの中には約一名乗り物と縁のない男がいる。彼がいる時点で百パーセントとは言わずとも、高確率で事故に遭うことを一行は身に染みて理解していた。すでに指折り数えることも億劫である。
 助っ人はタロットは愚者の暗示を持つスタンド使い。性格に難があり、その能力も厄介だという。酷く嫌そうに顔をしかめたアヴドゥルを見れば、よほどのことなのだろう。だがその警告を無視したポルナレフがさっさと出てこいといわんばかりに開け放たれたヘリコプターの後部座席を叩く。そしてその挑発に乗るかのように現れたのはボストン・テリア。ニューヨーク生まれの野良犬である。

「コーヒー味のチューイングガムが大好きだけれど決して誰にも心を許さないんじゃ、こいつは」
「こんなヤツが助っ人になれるわけない」

 なんと言われようともどこ吹く風の態度は犬らしくなく、また非常にプライドが高いのだと察することも容易である。そして自身の持つ砂のスタンドでポルナレフを散々もてあそび、アヴドゥルの手からコーヒー味のチューインガムを奪い取った後、悠々とガムを味わっていたイギーだったが、なにかを嗅ぎ取ったのか小さく鼻を動かす。その様子に気が付いた千里が彼の鼻の向く先に視線を向ける。犬自体にはまったく興味のないらしい彼女だったが、イギーの動向までも気にしないわけではないようだった。しかしイギーの鼻の向く先には切り立った岩肌が立ちはだかっているだけである。
 別段おかしいところもない岩肌をしばらく眺めてから千里はフードを目深にかぶり直した。再び砂漠を越える旅路になることに併せて彼女は以前もそうしたように紫外線よけのマントを羽織っていた。やはりマフラーを鼻の頭まで引き上げて、目だけしか出していない。

「ホリィの容態はどうだ? ハッキリ言ってくれたまえ……」

 不安気な様相を浮かべてジョセフがそう切り出すと、躊躇いながらも財団職員は口を開く。嫌でも全員の意識が財団職員へと向けられる。

「……はい。言いづらいことですが、あまり良いとは言えません……体力の消耗が激しく命は以前危険です。我々SPW財団の医師の診断では――もってあと二週間」

 ホーリーシット。ジョセフは呟いた。帽子の鍔を下げて承太郎は表情を隠してしまったが、おそらくその下では非常に厳しい表情が浮かべられているに違いない。エジプトへ向かうことになったそもそものきっかけがジョセフの娘、承太郎の母親である。彼女の命の灯火が消えるまであと半月もない。敵の妨害に遭いながらも進んできたこれまでの旅路もリミットぎりぎりで進んでいたのだろう。あと二週間でカイロに到着し、市内に潜むDIOを見つけ出すことは容易ではないと誰しもが理解している。時間はあるにこしたことはないが、十四日間という日数が果たして多いのか少ないのかまでは誰も判断することはできなかった。
 続けて財団職員から告げられた悪い知らせはここからの道程で襲ってくるだろう敵の情報であった。詳しいことはさすがにスタンド使い出はない彼らには不可能だが、少なくとも男女合わせて九名の敵がいることだけでも大きな収穫である。

「いや待て。タロットカードに暗示されるスタンドは「皇帝」を除けば残すは「世界」のカードただ一枚。この「世界」のカードがDIOのスタンドかと思っていましたが」

 ここまでの敵はすべてタロットの暗示を持っていたことを花京院は思い出す。大アルカナは二十二枚。そのうち七枚の暗示を受けているのが自分たちであるから、DIO除いて残る十四枚が敵を指しているはずである。もしかしたら千里のように正位置やら逆位置やらで一つの暗示に二人いる可能性もあったが、新たな九人とすでに存在する十四人では数が合わない。

「わ……わからん……わたしにもわからない……九人だと?」

 タロットカードの暗示から外れる存在の出現にもっとも戸惑いを隠せずにいるのはアヴドゥルだろう。一つの暗示に二人もいらないことはつい先日、彼自身が一行に説明している。ゆえに花京院と同じことを考えても即座に否定したが、それでは新たな敵の出現が説明できない。彼らがエジプトを目指す間もDIOは順調に配下を増やしていたのだろう。おそらく何かしらの暗示を与えられているだろう九人の存在がアヴドゥルの脳裏に不気味に揺らめく。

「DIOの奴、自分の首が新しい肉体にまだ馴染んでいないらしいな……DIOは妙にプライドの高い奴だから決してカイロからは脱出したりしない。とにかく我々のカイロ入りを拒むつもりらしいな……」

 飛び立つヘリコプターを見送り、ジョセフが呟く。あと二週間で九人とDIOを倒すとなると、一人あたり二日もかけていられない。今まで以上に厳しい旅になるだろうことは誰もが予想した。しかしその中でイギーと千里だけが事の深刻さを受け止めていないようだった。そもそも千里の目的はDIOを殺すことのみであるためホリィの命のことなどまったく無関係であると思っているし、イギーにいたっては最初から敵の存在など眼中にないのだから仕方ないと言えば仕方のないことではあるのだが。