人間性の限界

 一行は無事シンガポールに到着した。エジプトへの道程を決めるため、一旦ホテルに泊まることとなる。家出少女は五日後に父親と落ち合う約束をしていると言ったが、金を持っていない様子にホテル代くらいは恵んでやろうとジョセフが提案し、結局家出少女と共にホテルへ向かうこととなった。一般人の少女が常にDIOからの刺客に狙われている一行と同行するのは危険である。そのため唯一の同性であり、少女が懐いている千里と同室になったのは当然の流れと言えよう。
 十二階からの眺めは悪くなく、市内が一望できることに家出少女はその部屋をいたく気に入ったようであった。率先して取った窓側のベッドの上で歓声を上げながら飛んだり跳ねたりして気持ちの良いスプリングを楽しむ少女を横目に、千里はベランダから市内を俯瞰する。これだけ高い場所にいるのだから、仮に敵が来たとしてもホテル内からしか道はないだろう。空を飛べるスタンド能力を持っている敵がいたとしても、これだけ見晴らしがいいのだから気付くのは容易であるはずだ。無意識のうちに敵の奇襲ルートを想定して対策を練ってしまうのは、体に染み込んでしまった習慣である。

「JOJOのおじいちゃんって何者なのかしら? 帆船をチャーターしたと思ったら海を漂流しちゃうし、こーんなに高そうなホテルを簡単に取っちゃうし」

 ごろごろとベッドの上を転がるのも飽きたのか、寝転がりながら独りごつ家出少女の声に千里の思考が移動する。千里を家まで送らせようと申し出ただけでなく、高級とはいかないまでもそこそこのランクのホテルを取り、素性の知れない少女のホテル代までもを気前よく出すだけの財力を持っているのだから金持ちであることは間違いないのだろう。そしてなにかしらの後ろ盾もあるのだろうと千里は見当をつけていた。DIOから与えられていた知識は一行の姿と名前のみであったため、それ以外はなにも知らない。だがジョセフの正体を知りたいとは思わなかった。他人のプライベートを知ることは不必要な知識と感情を共有することにつながるからだ。DIOを倒すという共通の目的さえあればそれで充分だと千里は思っている。
 千里がベランダから部屋に戻る。それを狙っていたのか、タイミングよく備え付けの電話が鳴った。電話に近かった家出少女が受話器を取る。そして少しだけ話した後、ジョセフから用事があるらしいと千里に受話器を差し出した。なにかあったのだろうかと千里はそれを受け取る。

「はい、代わりました」
『千里か。単刀直入に言う。ポルナレフの部屋にスタンド使いが現れた』

 予想していたよりも早い敵の奇襲に、千里の眉間に傍目からではわからない程度の皺が寄る。だが電話をしてくる余裕があるということは、戦闘中ではなく警戒中程度なのだろう。ポルナレフの部屋は確か九階だったか。他は全員十二階だったなと思い出しながら、話の続きに耳を傾ける。

『五分後に全員がわしらの部屋に集まって敵スタンドの対策を練ることになっておるが、千里はそのまま部屋で少女を守ってくれ。話がまとまり次第、また連絡する』
「はい。わかりました」
『彼女には夕食になにを食べたいか考えるようとでも適当に言っておいてくれ』
「はい」

 切れた電話を戻し、千里は思考をめぐらせる。敵のスタンド能力がどのようなものであるか聞いていないが、同じ階に味方がいるのだからこの部屋で騒ぎが起こってもすぐに来られるはずだ。思考に没頭している千里に家出少女が声をかける。

「ねえ、JOJOのおじいちゃんの電話、なんだったの?」
「……ああ。夕食になにが食べたいか考えておけ、だそうだ」
「だったらあたし、チキンライスが食べたいわ! あ、でも、ラクサとかバクテーとかも食べたいかも……千里は食べたいものある?」
「シンガポールの食事はわからないから任せる」
「そうなの? だったらやっぱりチキンライスがいいかも」

 少女の話に耳を傾けながらも千里はドアに意識を向ける。敵が入ってこれる場所はそこしかない。バスルームの排水溝やトイレからということも考えられたが、どちらにしろ出入り口のドアに近い場所にある。そのためそちらを警戒しておけば問題はないだろう。リボルバーを発現させ、ソファに腰を下ろした。家出少女は未だに夕食になにを食べようかに夢中になっている。

「そうだ! 千里の服も買わなくちゃね」

 すでに花京院の学ランは返してしまっていたため、千里のセーラー服はその破れやほつれを露呈してしまっている。スカートはまだ履けるだろうが、上は繕っても間に合わない程度の破れようだ。出歩けば派手に転んだのかと思われる程度。服を一替え、それと旅に必要なものを買い足す必要がある。千里としては別に服がぼろぼろであろうが気にしない程度に無頓着だったが、ジョセフや花京院が口煩く言うだろうことを考え、大人しく少女の提案に従うことにした。
 再び備え付けの電話が鳴ったのはそれからしばらく経ってからのことだった。敵スタンドを倒したため警戒する必要がなくなったとの内容で、怪我をしたポルナレフの手当てが終わり次第夕食にしようとのことだった。それを少女に伝える。少女の中でチキンライスは決定事項らしく、はしゃいでいた。 少女の希望をジョセフに伝える。そして一時間後にホテル前に集合する旨を言われたため、千里はそれまでに服を買うことに決めた。
  そして一時間後。ホテル前に現れた千里の格好は相変わらず学生然としていた。ローファーと黒のプリーツスカートはそのままで、白いカッターシャツにゆるく結ばれたワインカラーのリボンタイ。黒のタイツ。そして深緑色のマフラーで口元を半分隠してしまっていた。中途半端にカラフルで夏なのか冬なのかわからない格好にポルナレフが露骨に微妙だと言いたげな顔をする。あたしは反対したのよ、と家出少女が主張した。

「でも千里ってばこれでいい、って。詳しいことも教えてくれないし!」

 立腹した様子の少女に千里はちらりと目を向けただけだった。そして首をすくめるように顔の半分をマフラーの中に隠してしまう。そんな千里の様子にポルナレフは呆れるばかりであった。

「お前の言う通りだかよぉ……見てるこっちが暑苦しいのか寒いのかわからなくなるぜ」
「でしょ! それに地味な色ばっかり選ぶから、タイとマフラーはあたしが選んだのよ! 本当は手袋まで買おうとしてたんだから信じらんない!」

 お前の色彩センスかと言いたいのを我慢して、ポルナレフは目をそらした。それを見てくつくつと笑ったのはアヴドゥルである。彼には千里の意図が理解できていた。硝煙除けのマフラーに火傷防止のグローブ。どれだけ火薬にまみれるつもりかわからないが、それでも千里が銃器を使うことに微塵の躊躇いもないことは明らかだ。一発一発を確実に当てていくのではなく、弾幕の濃さで戦っているのかもしれない。顔を半分隠してしまった千里はどこかを見つめている。