食事中も一人静かに、話を振れば短く返事する程度。家出少女がおすすめだと言ったチキンライスですら黙々と食べるだけでおいしいともまずいとも言わない千里に気まずさを感じるような一同ではなかった。承太郎よりも口数が少ないと思えば特になにも思うことはなく、明日の予定を話し合って決める。承太郎と花京院がインドへ向かう列車のチケットを予約しに行くことになった。その間も千里は酷く静かに一向の会話に耳を傾けるのみである。
食事が終わってホテルへ戻ろうとなったとき、珍しく千里が自分から声を発した。もしかしたら初めてのことかもしれない。基本的に受け答えはしても自発的にものを言わない千里は、会話は必要最低限だけで充分だと思っている節がある。だが内容は大したことではない。少し買い物をしてからホテルへ戻るため、ここで別れるということであった。
夕食前に買い物はしているが、時間がなかったために服を揃えるだけでいっぱいだった。そうなった要因が家出少女の口出しであると知っているのは千里しかいない。色合いが地味だと、コーディネートがダサいと散々に言われ、結果予定外の時間を食ってしまったのである。戦闘時に支障がなければなんでもいいと思っている千里の考えはついぞ理解されることはなかった。
あたしも行きたいと主張した家出少女だったが、日が暮れた中では危ないとそれを留めたジョセフはまるで保護者のようだ。もしかしたら娘の幼いころを思い出しているのかもしれない。しかしそれでもなお食い下がる少女に千里はすぐホテルに戻ると告げて、さっさと一同から離れていってしまう。いくらスタンド使いといっても生物学上、千里も女性の部類に入る。夜の街を一人で歩かせるわけにはいかないとアヴドゥルがその後を追いかけた。彼ならばなにがあっても穏便にすませることができるだろう。そう考えた一同は無駄に散策することもせず、少女の背を押しながら素直にホテルへ足を向けた。
千里の身長は女性としては高いかもしれないが、ニメートル近い承太郎やジョセフから見ればあまりに低く、一同の中で一番背の低い花京院と比較しても充分な身長差があった。ゆえに足の長さも一番短いはずなのだが、歩く速度は恐ろしく速い。アヴドゥルが小走りをしなければ追い付けないほどに千里は先を歩いていた。ぴんと背筋を伸ばした姿勢の良い歩き方はまるで軍人のようだとアヴドゥルは思う。無駄に周囲を見回したりなどせずに、目的地へ一直線に向かっているようであった。
「なにを買うつもりだ?」
「……本を」
千里の返答はいつも単純であり明快だ。その一言で向かう先が本屋であることを理解し、そして案外読書家なのかと感心しながらアヴドゥルは千里の隣を歩く。承太郎や花京院よりも性格や考えが読めないのは千里が女だからだろうか。だが家出少女の思考回路は単純である。年齢がそうさせているのかもしれない。
改めて思えばアヴドゥルは千里のことをなにも知らない。知っているのは千里の名前、性別、スタンド能力だけである。正確に言えばスタンドは知っているが、その能力はあまりよくわからない。銃型のスタンドでも形状は一つでない上に手榴弾まで発現させてしまうのだから銃火器ならなんでも出せる可能性がある。ならば正反対に制限や制約も多々あることだろう。弾切れを起こすことは花京院との戦いで確認ずみである。単純に銃火器を発現させるだけのシンプルな能力だとも考えられた。
「感心だな。読書が好きなのか」
その問いかけには返答せず、千里は一軒の古書店に入った。埃とインクの臭いが充満する狭い店内には天井までぎっしりと本が積み上げられている。アヴドゥルはざっと見回して感心する。ジャンルに囚われない店のようだが、専門的なものはかなり揃っている。アヴドゥルが好み、欲しいと思える古書さえも見回しただけで数冊見つかるほどだ。よくもこんな店を見つけたものだ。再度感心し、本棚を見上げる千里に目を向ける。相変わらずの無表情だが、心なしか熱心に本棚を眺めているように見えた。
「こんなところいつ見つけたんだ」
「夕食前に。ですが彼女がいたので」
「……なるほど」
千里の服に関して熱心に弁舌を奮っていた家出少女を思い出し、思わずくつりと笑いをこぼす。少女の熱意に千里もうんざりしたようだ。やはり千里でもそのような感情を持つのかとアヴドゥルは思った。だが単純に感情を表に出すのが苦手なだけなのかもしれないと考えると、さほどおかしいことでもない。少し不器用なのかもしれないと思い至る。
「あの本を取ってもらえませんか」
千里が指差した先にあった日焼けた本をアヴドゥルが取ってやると、千里は素直に礼を言った。年長者を敬ったりお礼を言える辺り、ちゃんとしつけられて育ったのだろう。ジョセフは親の愛情を充分に受けずに育ったようだと言っていたが、それでもそれなりの環境で育てられたようである。
千里に頼まれてアヴドゥルが取った本のタイトルは『The Old Man and the Sea』。邦訳すれば『老人と海』、アーネスト・ヘミングウェイの著である。さほど厚くもない本だ。意外といえば意外な選択のようにも思えたが、不思議なことに違和感もない。最初からそれを購うつもりだったのか、千里は本を受け取るとさっさと会計へ向かってしまった。アヴドゥルは手近にあった本を一冊取るとそれを追いかける。千里が店員に本を差し出したのとほぼ同時にアブドゥルも本を差し出した。
「この本も一緒に会計を頼む」
千里がわずかに訝しげな目を向けたが、気にすることなくアヴドゥルは手早く二冊分の本の値段を支払ってしまった。そして行こうかと声をかけ、店を出る。そして一冊を千里に差し出した。千里は財布を出そうとしたがそれを留める。なにも店員のために支払いをまとめたわけではない。
「あの古書店を教えてくれた礼だ。それに年上の厚意は素直に受け取っておくものだぞ」
「……ありがとうございます」
千里はどこか釈然としていない様子であったが、それでも食い下がることもなく素直に本を受け取った。他に買うものがあっても明日にしようとアヴドゥルが提案し、その日はこれでホテルに戻ることになった。承太郎たちと別れてさほど時間は経っていない。来たときよりもゆっくりとした足取りでホテルに向かう。
アヴドゥルが千里の付き添いを買って出たのには理由がある。単純に千里と話がしたかっただけであるが。いくらスタンド使いとして強くても、やはり女の子だという認識が強い。ならば親族が心配しているのではないだろうかとか、なぜDIOの下にいたのかなど、疑問はたくさんある。聞けば答えるのだろうが、最低限しか答えない千里から回答を得るには一度じっくりと話の場を設ける必要があった。アヴドゥルは千里に声をかけ、話を切り出す。
「そういえばいいのかね? きみはきみの意思でこの旅に同行しているが、ご両親が心配しているんじゃあないか」
アヴドゥルの問いかけに千里はちらりと目を向けただけだった。すぐに視線は戻される。
「興味がありません」
無感情な声色は本当に心底どうでもいいと言っているようでもあった。親とは不仲なのだろうかと、アヴドゥルは慎重に言葉を選ぶ。
「興味がない? 仮にもきみの両親だろう」
「彼らに興味を持つことは熱量の無駄です」
「生みの親に対してそのようなことを言うものじゃあない」
アヴドゥルが宥めようとも、千里の考えが改められる様子はない。まったくもって気にかける必要もないと思っているのだろうか。千里と似て感情をあまりだすことのない承太郎は自分の母親のためにエジプトに向かう決意をし、一方花京院は親に黙って日本を飛び出したことにどこか心苦しく思っている節があるというのに、千里は両親に心配をかけようが問題はないと考えているようである。この年頃の子供なら反抗期にあり、千里もまたそれに属していると思えば不思議ではなかったが、そうであるとすれば一方的に千里が両親を嫌っている可能性もあった。アヴドゥルは常識と良識を持ち合わせているために、その口調は自然と厳しくなる。
「それでは駄目だ。親と不仲なのなら、わたしから連絡をしておこう。ご両親の連絡先を教えてくれ」
「……さあ。運がよければ生きてるのではないでしょうか」
ちらりともアヴドゥルを見ることなく、千里は一寸の感情も含めることもせずに言う。普通ならばそこで感情の片鱗を見出だすことができるのだろうが、千里はそれが欠如していた。ゆえにアヴドゥルはその言葉の真意を察することができない。まるで道端の石ころのように意識を向けるには取るに足らない存在だと言っているようであった。ただ単に千里は親が嫌いなだけかもしれないし、もしかしたらなにかしらの複雑な事情が潜んでいるのかもしれない。アヴドゥルはもっと詳しい話を千里から聞きたかったのだが、あいにくその前にホテルに到着してしまう。そして、失礼しますと千里はさっさと自分の部屋に戻ってしまった。