絵のような風景

「地……地面にしみ込んだ」

「敵は音を探知して動くわけだから、我々に姿を見せないで土の中を自由に移動できる。地面から我々が気付く前に背後からでも足の裏からでも攻撃が可能! しかし本体は遠くにいることができる」

 アラームが鳴る死体の腕時計を狙ったことでようやく敵の特徴を掴めたはいいが、地面の下に潜られてしまえば敵の気配を捕捉することはできない。固形物ではなく流動体だからどこからでも現れることが可能であるため、警戒しても対策としては不十分すぎる。千里が一人、ハンドガンを構えて四方に意識を張り巡らせたところで、ほとんど効果はなかった。

「か……花京院はどうだ?」
「まずい……失明の危険がある。車を出そう。早く医者のところへ連れて行かねば……」

 花京院の傷は深い。千里が一行の意識をそらさなければ負うことのなかった怪我だ。短い思案ののちに彼女は決断した。もしかしたら彼女なりに責任を感じていたのかもしれない。つまり車のボンネットの上から降りたのである。

「千里! なにをしているんだッ!」

 車に戻れと言われたところで素直に従う性格ではない。しかし千里はなにも言わない。靴を脱ぎ捨てる。黒のタイツに包まれた足を直接砂の大地につけた。まだ午前中だからそこまで熱くはないが、これから鉄板のように熱くなっていくことだろう。
 数歩車から離れたのち、肩幅に足を開いてまっすぐ立ち、目を閉じた。だらんと垂れ下がる左手にプラネット・スマッシャーズを握り締め、意識を足に集中させる。足下から敵が現れる予兆があれば温度で察知できるはずだと踏んだのである。それに敵は音でこちらの居場所を察知している。それならばすでに千里が車から降りたことも気付いているはずだ。当然、彼女の狙いはそこにある。水に対して銃弾が効くとは露にも思っておらず、また絶対に自分のところに敵が現れるとの確信はなかったが、自身の元に現れればそれで目的は達成する。今もっとも優先すべきことは敵との交戦を避け、この場から離脱することだ。一旦体勢を立て直してから再度交戦しても遅くはない。
 千里が車を逃がすために囮になるつもりなのだと気付いたのは承太郎だった。承太郎もようやく千里の思考を把握できるようになりつつある。無駄なこと無意味なことを嫌う彼女が、敵に察知されるとわかっていながら無防備に車から降りた。そこに意味を求めるとすれば彼女の元にわざと敵を呼び寄せることくらいだ。きっとそれが彼女なりの責任の取り方なのだろう。そしてこの状況で花京院に意識があれば、全力で千里を止めるか、自分も一緒に残ると言い出したことだろう。そこまで考えてしまった自身が嫌になったが、いち早く花京院を医者の元へ連れて行くためには千里の策に乗るくらいしか今は思いつかなかった。

「じじい。車を出す用意をしろ」
「なにを言っとるんじゃ、車を出したら敵に……」
「敵が千里を襲った瞬間だ。そのタイミングで離脱する」
「そんな、無茶だ! プラネット・スマッシャーズじゃあ相手にならない。それに我々が離脱したら千里はどうなるんだッ!?」
「そのくらいあいつだって承知済みだろ。だから車から降りた……早くしないと花京院は失明する」

 嫌でも耳に入ってくる男たちの声を集中することによって遮断する。さすがに水の気配や匂いを機敏に感じ取ることはできないため、どうしたって集中しなければならない。一瞬でも反応に遅れれば無事ではすまないことは明らかだ。だが敵を引きずり出すならこれが一番手っ取り早い。どこまでも続く不毛の大地のどこにも敵の影はないのだから酷く面倒な敵だと、彼女はぼんやりと思った。もちろん集中の妨げにならない程度の思考だから記憶の片隅にも残らない曖昧な意識だ。
 それまで我関せずを貫いて後部座席で眠りこけていたイギーが車から飛び降りた。同時に千里の鼻孔が湿った空気を感じ取る。途端、タイヤが砂に取られる。否、湧き出た水の中に沈んだのだ。千里が振り返ったときには車は大きく傾き、先端から砂の中に引きずり込まれつつあった。車にしがみつく男たちは慌てて後部に移動するが、一本の鞭のようにしなる水が前輪を切断していく。バランスを崩し、車は後ろへと大きく傾いた。耐えきれず全員車から振り落とされる。そして彼らを襲った水は再び砂の中へと沈み込んでいってしまった。
 決して物音を立てるなとアヴドゥルが皆へジェスチャーで指示を送るのを視界の端に映しながら冷静に千里は思考を切り替える。策は失敗した。しかもなにも状況は好転しておらず、悪化したと言っても差し支えはないだろう。なにせ逃げるための足を失った。このまま一人一人狙い撃ちされるのが目に見えるようだ。こうなってしまった以上、敵本体を叩くべきだと考えずとも結論は出るが、肝心のその敵本体がどこにいるかわからない。やることやることが裏目に出続けているも決して焦らないよう心を落ち着かせる千里の思考はすでに次へと移行していた。解決策、せめて打開策を見つけたいところである。
 皆が息を潜める中アヴドゥルは自身の腕から腕輪を引き抜き、砂の中へと投げた。軽い音を立てて腕輪が砂に沈み込む。仲間たちが固唾を呑んでそれを見守る中、彼は一定の間隔を開けながらさらに四つ、腕輪を投げた。足跡のように腕輪が五つ砂の上に並ぶ。あとはそれを狙って敵が現れるのを待つばかりである。
 アヴドゥルがその策を思いついたのも、自ら囮になろうとした千里の行動からヒントを得たからだ。先ほどは逃走の足を奪うために車を狙われたが、今度は間違いなく人間を狙うはずである。水に対してスタープラチナの拳が効かずともマジシャンズ・レッドの鉄をも溶かす炎ならば一瞬で蒸発させることが可能だ。
 変化はすぐに訪れた。五つ目に投げた腕輪の周囲で砂の色が変わる。敵が現れたその瞬間、アヴドゥルはマジシャンズ・レッドの拳を向けた。しかし敵は彼の思惑を察知したのか、水はマジシャンズ・レッドの拳を避けてアヴドゥルの首筋を切り裂いて行く。血をまき散らしながらアヴドゥルが音を立てて砂の上に倒れる。

「アッ……アヴドゥルーッ!!」

 ポルナレフが叫ぶ。間髪入れず彼の側に鋭い鉤爪を持った手が現れて動けない彼を狙うが、いち早く敵の出現に反応できた千里がアサルトライフルで敵の攻撃を受け止めた。しかしヘリコプターを墜落させるほどの攻撃がアサルトライフルを真っ二つに切断する。少々プラネット・スマッシャーズが破壊されたところで千里になんの影響もないが、すっぱりと切断されてしまえばそうもいかない。額に真一文字の傷が現れ、血が流れ出す。大量の血を吐きながら千里も地面へ倒れ臥した。破壊された部品や破片をばらまきながらアサルトライフルが地面に落ちて消える。

「千里ッ!」

 彼女を狙って敵の掌が振り上げられた。咄嗟に承太郎が彼女がいる場所とはまったく違う方向へ走り出す。水の腕は攻撃の動きを止めると向きを変え、彼を追いかけるように動き出した。