アスワンのホテルから千里の姿が消えたことはすぐにジョセフたちの耳にも届いた。ちょうどダニエル・J・ダービーを倒したその日の夕刻のことである。ホテルについた彼らを出迎えたSPW財団職員が開口一番に告げたそれは一行の顔色を変えるには充分すぎるほどの効果があった。だが心のどこかでそれを予測していたことは否めない。
目指す先がカイロだとはわかっていてもアラブ文化圏の中心地とも言われるその街は広い。色白のティーンの女の子の一人旅ならなにかと目立ちそうなものですぐに見つかるかと思われたが、うまく身を隠しているのかメジャーなルートを通っていないのかSPW財団の力をもってしても一向に見つからない。空港でそれらしき少女の姿を見たという目撃情報が寄せられ、飛行機で移動したのかと思いきや、到着先だろうカイロの空港で目撃情報はまったくない。わかっていることと言えば、彼女の目指す先がカイロであるということのみである。敵に攫われたわけではないにしろ、彼女の目的はあまりにも明確すぎる。憎悪の矛先にある物はDIOの抹殺。たった一つの目的だけが原動力であり、彼女の行動のすべてがその一点に収束している。
スタンド名はオシリス神、ダニエル・J・ダービーは承太郎とのポーカーを行うさなか、幾度か千里の名を口にしていた。正確にはクオレマ、死神の名をである。自身のスタンドが冥界の王であるゆえに魂を支配すると述べつつも、かの死神は神とは言えど死そのものだと賞賛の言葉を贈っていた。いわく「あの娘が仕えるのは常に唯一無二の最高神だけだ」とDIOへの畏敬の念も忘れない。承太郎が正義の味方なら、千里は正義でも悪でもない中庸を貫く無機物であるとダービーは言った。死神は死そのものであるから正義や悪で定義することはできないのである。
カイロは広い。その中からたった一人の少女を見つけ出すことは簡単そうで難しい。アラブ系人種が多い中で異国の少女はなにかと目立ちそうなものではあるが、千里は身を隠す術を知っている。普通の女の子とは言い難い知恵と機転を身に付けているために、また人の中に隠れる方法をよく理解しているために、SPW財団職員数人がかりでもついぞその行方を掴むことはできなかった。結果、ジョセフたち一行に寄せられた情報はあまりにも思わしくないものだったのである。
「千里が先にDIOと接触してはまずい」
夕食を取るべくテーブルを囲み、ジョセフが言う。なんとしても彼女を見つけなければ、とはやる気持ちは空回りする。DIOのこととなると千里は猪突になる。一人の吸血鬼を殺すたったそれだけのためにエジプトを目指していたのだから、DIOと接触したのちの彼女の行動は容易に予測できた。誰よりも慎重でありながら誰よりも躊躇いがない。生や死にまったく頓着せず、それどころか二の次三の次に押しのけて敵を殺すことだけしか考えていない。
そんなこと言ったってよお、ジョースターさん。煙草を投げ捨てポルナレフが口を開く。
「あいつは野生の獣みたいなもんだぜ。こんなに広い町の中で探すなんて砂漠で米粒を見つけるようなもんだ」
「我々が先にDIOの館を見つけ出せればいいのだが……こうも同じ形の屋根ばかりあっちゃあ、見つかるものも見つからん」
彼らの焦りも裏腹に、千里の行方よりも先にジョセフが掴んだのは酷く邪悪な気配。彼の祖父の体を通して伝わるそれは、確かに諸悪の根源が彼らの近くに潜んでいることを示していた。しかし気配を掴むことはできても敵の本拠地がどこにあるのか未だに掴めていない。
「カイロならばわたしの知り合いが多い。彼らに千里を見ていないか聞いてみましょう」
「ああ。アヴドゥル、そうしてくれ」
一つ頷き、アヴドゥルは一行から離れて夜の人ごみの中へと紛れた。それを見送り、承太郎は学帽の鍔を下げた。問題は次から次へと続くくせに、なかなか減らないものである。一難去ってまた一難どころではないからだ。
彼らの前にホルホースが現れたのは次の日の昼頃のことだった。アヴドゥルが千里の情報を得られずホテルへ戻ってきてから一夜明け、イギーが勝手に単独行動を選んでからすぐのこと。ボインゴのスタンド、トト神の予言通りに不意打ちを成功させてポルナレフの背後を取ったはいいものの、彼がくしゃみをした途端あっさりと姿を見せてしまい、一行に捕まった彼は運がない。しかし三度もジョセフたちの前に現れた敵もまた彼しかいなかった。運がいいのか悪いのか、それともしぶといだけなのか。それは誰にも、本人にすらもわからない。
「お、おまえらッ! 死神の嬢ちゃんの居場所を知りたくねーかッ!」
ポルナレフに取り押さえられ、苦し紛れにホルホースが叫ぶ。彼らがそれに反応してしまったのは致し方ないことではあるが、迂闊でもあった。なぜならその一瞬の隙はホルホースに運を与えることになる。しかしそれよりスタープラチナの方が早かった。ポルナレフの手の下から抜け出そうとしたホルホースを叩きつけるように取り押さえる。ぐえ、と蛙の潰れたような音を彼は吐き出した。それに対し、承太郎が蛇よりも鋭く重く威圧する。地を這うような低い声にホルホースの中で警鐘が鳴った。
「千里はどこにいる?」
「こ、このカイロのどこかにいるッ。空港で見かけたッ!」
「――残念ながら千里がカイロにいることはすでに我々も把握ずみだ」
とっておきとも言えるホルホースの情報はすでに古いものである。情報に鮮度を求めるのならば、やはりSPW財団の方が数段上と言えた。大したことのない情報に落胆した彼らが取る行動は一つである。しかし絶体絶命の窮地に立たされたホルホースを助けたのはやはりボインゴとトト神であった。ポルナレフに不意打ちを仕掛けるようホルホースに予言を与えたのもちゃんと伏線となっていたのである。因果とも言える予言は偶然か否か、彼らめがけてトラックを突っ込ませた。ジョセフたちを巻き込んだトラックはそのまま建物に突っ込んで大破する様をホルホースとボインゴは見ていた。逆転のチャンス到来である。彼らは次ぎなる予言を待つ。
これら一連の出来事は一般人をも巻き込んで相当な大騒ぎになったのだがそれでも千里の姿はどこにも現れなかった。あいにく彼女の耳にこの騒動は届かなかったのである。