軽佻浮薄なる霊の者ども

 一気に取り込まれる空気に強く咳き込みながらも千里は近くに転がるS&W M19を引き寄せる。次第に明瞭になる思考の中で彼女は銃身に熱を帯びているそれをじっと見つめた。さすがに伝承に頼りすぎたと思ったのである。そもそもそんな不確定要素に頼ること自体千里らしくなかった。根拠もなく伝承ができあがるわけではないのだからまったく無意味だとは言えなかったが、しかし効果的とも言えなかった。もし千里がそれを無意識のうちに御守り代わりにしていたのだとしたら、それは彼女が弱い証拠である。無力だからと縋るようになにかに頼ることは彼女の嫌うところだ。
 銀製の弾丸は吸血鬼に効き目があるのか、ヌケサクに一発打ち込んだ程度ではわからなかった。腹部を押さえてよろよろと立ち上がるところを見ると傷の治りが遅いのかもしれない。もしくは酷い痛みを与えたか。しかし伝承通りに吸血鬼を殺せなかった理由は弾丸が純銀ではなかった、もしくはそもそも銀など関係がないのどちらかくらいだ。リボルバーに込められた弾数は残り四発。標的を殺すための弾数にしてはいささか心許ない。

「いってえ……人間風情が馬鹿にしやがって……」

 ヌケサクにとってそれは想定外の一撃であった。銃弾ごときと思っていたはずが手痛い一撃をもらったのである。痛みが酷く、治癒も遅い。スタンド攻撃かとも思ったが、撃たれた直後に見えたハンドガンにそうではないのだと理解する。それは彼のプライドを傷付けた。高尚な吸血鬼たる自分がゴミクズのような人間に、しかもスタンドではなくただのリボルバーにやられたのである。怒りが込み上げる。

「ヌケサク様を舐めんなよォォ!」

 予備動作なしの跳躍から一気に間合いを詰めてくる敵に対して千里が右手に握るリボルバーを発砲する。しかしヌケサクは容易くそれを避けた。そもそも銃弾を避けるなど吸血鬼にとってそう難しいことではない。当たらなければいいとわかれば簡単なことだ。腹の怪我はまだ治癒しきっておらず、動くたびに嫌な痛みが走る。
 続けざまに銃口から飛び出す弾丸もするりとかわしてヌケサクは腕を振り上げた。恐怖と絶望の悲鳴を上げさせながらゆっくりと血を啜ろうかと思っていたのだが、すでにその考えては捨てている。千里を八つ裂きにしなければ気が済まないほどにヌケサクは気が立っていた。怒りで思考が鈍るほどに激昂していたのである。元々ヌケサクはスタンド使いではない。自分ではDIOから血をもらったと言ってはいるものの、それはただの偶然の産物に過ぎないため、彼の同僚たちは彼を同じDIOの部下とは思っていなかった。スタンドを持っていないただの吸血鬼など一般人と大差ないと彼を蔑視しているのである。
 さすがに実物一丁だけでは歩が悪い。フェイントをかけるつもりで千里が同じS&W M19を発現させてみたところでまったくの無意味であった。怒りに感情を支配されつつある吸血鬼はどうも素早い。しかもスタンドの弾丸ごときではまったく歯が立ちそうにないのである。
 決定的な一撃が放てるまでプラネット・スマッシャーズで応戦していた千里の耳に扉の開く音が届いた。敵の増援かと千里はそちらへと視線を走らせる。そしていつも茫洋としている瞳に瞬間感情がよぎった。目の前の敵にスタンドを向けながら思考を働かせる。厄介だとも面倒だと思いながらサブマシンガンの引き金を引く。当然ながら効果はない。そしてどさくさにまぎれるようにして扉の方へと銃口を向け、発砲した。小さく幼い悲鳴が上がる。
 威嚇射撃はヌケサクではなく子供に向けてのものだ。そもそも子供が大人しく部屋の中に籠っていられるはずがない。自分たちを助けてくれるだろう千里の姿を求めてのこのこと出てくることは想像に容易く、彼女とてさすがに子供を守りながら吸血鬼と戦うことは難しい。
 子供を犠牲にすることも一瞬だけ考えたが、彼女は自身の甘さに歯噛みしながらそれを却下する。なにも子供の血によって力を与えることはないと言い訳しながら鉛玉をまき散らし、素早く扉の方へと後退した。少なくとも前に出てこられるよりは背後にいられたほうがまだましである。おねえちゃん背中が。背後に聞こえた声を黙殺し、銀弾をこめたリボルバーをいつでも抜けるようにしながらショットガンを発現させた。しかしバレルの短いソード・オフ・ショットガン。こんなところで体力を消耗したくなかったが仕方がない。不利だと理解しつつ、近距離戦に持ち込む。

「ガキを守りながらこのオレ様に勝てると思ってるのかァーッ!?」

 千里の背後にいる小さな存在に気が付いたヌケサクがにたりと笑う。千里は後ろ手に子供を部屋に押し込んだ。一瞬だけ後方に視線を向ける。内開きの扉の奥に複数の子供の姿を見たような気がした。子供部屋なんて殊勝なものがあるとは思えなかったが、そんなことを考えている猶予はない。腕を伸ばして扉の取っ手を掴む。しかし何者かの手が彼女の腕を掴んだ。子供の手ではない。扉を閉めようとした千里よりも強い力で彼女を室内へと引っ張る。たたらを踏みかけながらも抵抗しようとした千里だったが、部屋には子供しかいないと完全に油断していたために抵抗虚しく部屋の中に引きずり込まれた。ヌケサクの姿が遠ざかる。
 ヌケサクに背を見せることに抵抗はあったが、それよりも先に自身を部屋に引きずり込んだ存在へと千里は銃口を向けた。今すぐ殺されるかもしれない現状を前にしても眉一つ動かさず、男はぱっと手を離して無表情に彼女を見下ろす。執事か従者のように片手を自身の胸元に置いて頭を前へと傾け、そしてゆっくりと口を開いた。

「ご案内いたします……DIO様がお待ちです」

 男が何者なのか興味はない。しかし彼が口にした吸血鬼の名に千里はわずかに目を細める。思わず首筋の傷に指を這わしそうになった。さらに男の敵意の有無よりあの吸血鬼が自身を誘っていることが気に食わない。明らかな挑発であるからだ。しかしそれがこの執事のような男の罠だとしても大人しくついていくことが得策かもしれない。千里は未だ幻覚から抜け出せずにいる。自力での脱出は不可能ではなくとも骨の折れることだろう。それに少なくとも品のない吸血鬼の相手よりは話が通じそうだ。だが彼女は警戒を解かない。敵地のど真ん中にいることを決して忘れてはいなかった。
 ふと千里は時間が気になった。今が何時か知りたくなったのである。館に入るとき夕刻に近いとはいえ、まだ太陽は高い位置にあった。また千里自身の感覚的には侵入してから女の屍生人に遭遇するまでゆうに一時間は経過している。立て続けに起こった屍生人や吸血鬼との連戦も時間を浪費するには充分であった。しかも館内には決して外の光が入り込まないため時間の感覚が奪われる。となれば、と彼女は男の眉間から照準を外さぬまま考える。間違いなく外には夜が訪れている。男は彼女の敵が彼女を待っていると言っていた。怪物の時間はすでに始まっているのだ。逃げ場はない。
 子供部屋の扉が大きな音を立てて壊され、あの吸血鬼が飛び込んでくる。場違いに存在する子供たちが怯える。そして男の姿を見るや否や、憎らしげに男を睨む。ばりばりと歯を噛み、両目をつり上げた。

「テレンスゥゥ……そいつはオレの獲物だ、てめーは下がってろッ!」
「彼女はDIO様の客人。ヌケサク、おまえが下がりなさい」

 しかし男の視線はどこまでも冷ややかだ。むしろ侮蔑するかのような瞳で吸血鬼を一瞥する。二人に挟まれるような位置に立つ千里は彼らが決して一枚岩ではないことを理解した。それでも彼女にとっては二人とも敵であることには違いないため、両手にオートマチックピストルを構える。子供が千里にしがみついた。

「はああ? その女は承太郎たちの仲間だぜ、客人だとか笑わせるんじゃねーッ!」
「おまえが理解する必要はない。わたしはDIO様がそう仰ったから彼女を案内するのみ」

 そうして男は千里に向かって恭しく頭を下げる。慇懃無礼に、と言った方が正しいかもしれない。千里が自身を撃ちはしないと理解しているようでもあった。

「礼儀知らずで申し訳ありません。なにせ元々品のない男、DIO様も手を焼いていらっしゃる。――あなたが殺してくれるかと少しは期待していたのですが」

 その言葉に千里は眉一つ動かさなかった。わかりきった安い挑発など彼女に効きはしない。失望にも似たそれが彼女を冷笑していようとも決して感情を揺るがせることはなく、ただ銃口を突きつけるばかりだ。