美しき殺人者

 蝋燭の明かりの中にぼんやりと浮かび上がった男はすうと目を細め、部下と来訪者を見比べる。彼はそれまで千里が女屍生人やヌケサクと戦闘していたことを知っている。それどころか彼女が館内に侵入したその瞬間からすべてを把握していた。館の周囲を守る隼、ペット・ショップが承太郎たちの仲間の犬と戦闘となったことも、日が暮れても戻ってこないことも知っている。だが彼は動揺しないし、慌てもしない。ただ泰然自若として敵の訪れを待つだけだ。
 主人の意向を汲み取って幻覚が解ける。そこでようやく千里は自身の居場所を把握した。それまで迷路のような場所にいるように見えていたが実際は図書室にいる。しかし周囲の景色が変化したからとて、それが本来の館内の姿なのか判断する術を彼女は持っていない。

「テレンス、ご苦労だった。下がっていいぞ」
「お飲み物のご用意を?」
「構わん」

 ゆったりとしたテノールの声に促され、テレンスが恭しく主人に頭を垂れる。そして足音を立てずに図書室から立ち去れば、残されるのはただ二人。かつての主人と部下だ。かつての神としもべでもある。
 数多の本に囲まれた千里の左手にはすでに銀弾を込めたリボルバーが握られている。もちろん安全装置は外されており、銃口の向く先も男の眉間に狙いを定めていた。右手は背中の後ろに隠されているが、しっかりとプラネット・スマッシャーズを発現させており、いつでも発砲する準備だけはできていた。不思議なことに酷く冷静な自身がいることに千里は気が付いた。それまでの憎悪は鳴りを潜めてしまったようで、どこまでも冷静沈着を貫いている。
 燃え上がる紅玉石のような双眸を凍てついた鉄色の隻眼が無感情に、また無感動にまっすぐ射抜く。研ぎ澄まされた鋭い瞳は相変わらず野生の獣を彷彿とさせるもので思わずDIOは笑みを浮かべた。それどころか以前よりもさらに獣らしくなったものだと感心する。ジョセフたちに絆され丸くなるかと予想していたが、いい意味で裏切られたからだ。グリムの牙は変わらず敵の喉元を狙い続けている。

「フフフ……そんなところに突っ立ってどうした? そこからではわたしの首は狙えんぞ」

 喉を鳴らしてDIOが手招きしようとも、千里は一歩も動かない。自身と敵の力量差を知っているために慎重になっているのだろう。吸血鬼の怪力を理解しているためにむやみに接近戦に持ち込まないその思考にはDIOも感心するが、彼女はすでにザ・ワールドの射程圏内に入っている。少女の命は彼の掌の上にあると言っても過言ではない。
 本をサイドテーブルに置き、DIOは足を組み替えた。一分の隙もない少女の目は瞬きすらせずに男の動きを注視し続けている。しかしその姿は彼から見てもあまりにもみすぼらしいものだ。まるで貧民街に住む人間のような。しかしその格好とは裏腹に銃口は迷いなくDIOだけを狙い続けている。向けられる敵意が心地良い。

「おいおい、そう殺気立つなよ。まさか肉の芽を植え付けられたことに対して怒っているのか?」

 DIOは一旦言葉を切る。そして千里の反応を眺めてみるのだが、彼女の表情はやはり変わっていない。子供を諭すように、言い聞かせるように彼は言葉を続ける。

「あれはやむを得ないことだったのだ。おまえは賢いが、ほんのちょっぴり足りないものがあった……それを理解してもらうためだったのだ。わかるだろう?」

 果たしてそれを彼女が理解したのか否か、それについては心底興味がなかった。必要なのは上下関係の明確化と千里の屈服だ。どうせ殺すことならいつでもできる。承太郎たちが来るまでの暇つぶしに散々に嬲り、飽きたら殺してやろうとDIOは考えている。

「千里、おまえは優れたスタンド使いだ。恐怖を持たず、また善なるタガもない。素晴らしい逸材だ。このDIOの部下たる人間にふさわしい」
「――わたしは、おまえを殺すためだけにここまで来た」
「ああ、知っているとも。そのためにわざわざ極東くんだりからこのDIOの元に辿り着いた……褒めてやろう。偉いぞクオレマ」

 瞬間、千里の左人差し指が素早く動く。蝋燭の光が銃身に当たって鈍く反射する前に弾けるような音が響いた。だが鈍く光る弾丸をDIOの手から伸びる別の手が捕捉していた。くつくつと喉を鳴らして笑いながら人差し指と親指でそれを押し潰す。余裕を現すように一度ゆっくりと瞬いてみせ、潰れた弾丸を一瞥して目を細めた。物珍しそうに、また愉快そうに唇を歪める。

「ほう、純銀製か……迷信というものは百年経っても変わらぬものなのだな。それとも魔除けのお守り代わりか? フフ、案外かわいらしいところもあるじゃあないか」

 投げ捨てれば軽快な音を立てて銃弾だったそれが床に転がる。しかし千里の表情は変わらない。当たらないことは想定の範囲内だった上、効果があれば儲け物程度にしか思っていなかった。そして彼女は考える。決して思考を停止させることなく常に戦局を意識し、次の一手を模索する。DIOに銀の銃弾は効果がないようだが、ヌケサクには効果があったように千里の目には映っていた。そこの違いはなんなのかを考察する。直接弾丸を体内に打ち込まなくてはならないと仮説を立てても再度試すほど銃弾に余裕はない。
 ゆっくりと本棚へと後退する千里にDIOは再度喉を鳴らす。背後を守るためにポジションを取ることは悪い判断ではないが、ザ・ワールドの前ではまったくもって無意味な行動である。次はどうやって驚かせようか、絶望させようとかと頭の片隅で考える。
 DIOは銀が自身に効果がないことを知っていた。海底で眠っていた期間を抜いても四年近くも時間があったのだからさまざまなことを試す余裕は充分にあった。彼は伝承の吸血鬼とは違う。石仮面の骨針によって脳を刺激された結果、人間を超える存在となったのだからただの金属が弱点になるはずがない。十字架に目を潰されることも、聖歌に悪寒を感じることも、強い匂いを持つ香草を忌避することも、流れる水の上を渡れないこともない。彼は人類を超越した存在だ。その辺りの伝承に残された化け物ごときとは違うのである。
 だがそれを懇切丁寧に説明してやるほどDIOも親切ではない。彼は千里の表情が崩れることを望んでいる。孤高の少女が自身の前に自ら跪く瞬間を待ち望んでいるのだ。

「――さて、本題に戻ろう。千里、おまえに足りないものはなんだと思う? ……これは大事な問題だ。なぜならそれを自覚したとき、おまえはさらなる高みにのぼることができるのだからな」

 館内に充満するフランキンセンスの香りに交じってDIOの鼻孔に届く匂いは恐ろしく甘美なもので、その香りの発生源が千里であると確認せずとも知っていた。あたたかい処女の血の匂い。それは彼の本能に訴えかける。ワイン程度では潤せない喉の渇きを感じた。欲求が高まる。

「おまえに足りないもの……それは心の安らぎだ。おまえは孤独を選び、誰も信用せずにここまで来た。それは茨の道だ、ある意味称賛に値するだろう――しかしこのDIOは思うのだ。心の安らぎを知らぬおまえは哀れであると」

 ねっとりとした甘い響きがするりと千里の耳に入り込み、鼓膜を震わせながら脳内を掻き回す。鮮やかな赤を有する瞳の魔力が彼女を魅了しようとするも、その圧力を千里は拒絶する。千里は目の前の男が自己の愉悦のために詭弁を弄しているのだと理解しているため、その精神は冷静さを保っていた。彼女の精神は氷のように凍てついている。甘言などその心にまで届かない。同情されることも憐憫の情を向けられることも嫌う彼女にとってDIOの言葉はただのノイズにしかなりえなかった。
 しかしこの膠着状態をなんとかするだけの力を千里が持っていないことも確かである。攻撃のタイミングを窺っていると言えば聞こえはいいが、実際は攻めあぐねていた。それを慎重と呼ぶのか臆病と呼ぶのか彼女は知らない。無暗に突っ込んだところで勝機はないと理解している。しかし負ける予定もなかった。

「だからわたしは千里、おまえに肉の芽を植え付けたのだ。結果的に無理矢理服従させることにはなったが、あのときおまえは確かに心の安らぎを感じていたはずだ。このDIOに従うことに不安を抱かず、安心感を覚えたはずだ――おまえの弟が実にそうだったように」

 弟と聞いて千里の心はわずかにざわついたがそれもほんの一瞬のことで、すぐに彼女の精神はいつも通りのそれに戻る。無意識に引き金にかけられる指先に力がこもるもゆっくりと脱力する。それが敵の挑発であることを理解しているからだ。
 館に侵入してから未だ彼の姿を見ていないことは少しだけ気になったが、館内にいないか死んでいるかのどちらかだろうと彼女はすでに判断を下していた。仮に死んでいたとして敵討ちをするつもりはない。千里は誰のためでもない、自身のために戦っている。
 赤い瞳が細くなる。つられて灰色の瞳も細められ、そして見開かれた。その左手がリボルバーとともに砕かれる。突如襲う激痛を感じるよりも先に千里は自身の置かれた状況を理解した。黄金の男が彼女の左手を握り潰しながら見下ろしている。