一瞬にして距離を詰められた。瞬きをした瞬間に移動し、そしてリボルバーもろとも左手を握りつぶしたのならば、まだ千里の理解も追いついていたかもしれない。しかしDIOは彼女が瞬きをしていない間に距離を詰めてきたのである。しかも千里が気付いた瞬間にはすでに左手は砕かれた後だった。
敵のスタンド能力は瞬間移動ではない。そう直感が囁いたと同時に千里はショットガンを近距離から吸血鬼の腹部めがけて発砲した。しかしDIOはすでに元の位置、豪奢な装飾を施されたチェアに座っている。ショットガンより散開発射された小さな弾丸は床に壁に天井に食い込んだ。ぱらぱらとリボルバーだった金属片が床に落ちる。
「悪くない反応だが……惜しかったな。我がスタンドの前ではまったく無駄な行動だ」
手に付着した少女の血を舐めればDIOの口内に広がる甘美な味と香り。よくもまあ男ばかりの集団の中で処女を貫けたものだと感心する一方で、この無愛想な少女がそんなことに現を抜かすとは思えなかった。お陰で彼は美酒にありつくことができるのだが。
ショットガンからサブマシンガンに切り替えながら千里はちらりと自身の左手を見やる。砕かれた左手からは骨が突き出し、またリボルバーの破片が突き刺さって見るも無残なことになっていた。指があり得ない方向へと曲がり、まるで玩具のようだと自分の手ながら他人事のように彼女は思う。主張の激しい痛みは慣れてしまったものであるため気にするほどのことでもない。痛いことには変わりなくとも、これよりも酷い痛みは何度も体験しているからだ。
情けないことにほんの一瞬、時間にすればコンマ以下の時間であったが、確かに千里は動揺した。声を出さずとも表情に出ずとも、敵の不意打ちに対して間違いなく虚を突かれたのである。それは同時に千里に隙があったと言い換えることもできた。改めて気を引き締める。
左手とともにS&W M19と銀弾が破壊されたことにより、千里の持つ残る武器はスタンドだけになってしまった。試す前に使い物にならなくなった銀製の弾丸を惜しいと思う暇もなく、まだ使い物になる左腕で銃身を支えサブマシンガンをDIOに向ける。敵から決して視線を外さず彼女は思考し、敵のスタンド能力を推察する。
その一瞬で敵は千里に近づいたばかりか彼女の手を砕いていた。握られた瞬間も砕かれるその時もまったく気が付かなかったことが疑問となって引っかかる。そして超至近距離からのショットガンからもDIOは無傷だった。瞬間移動で避けたとも考えられたが、どうしてだか散弾はまっすぐ飛ばず、なにかに弾かれたように天井や床に向かって飛んでいる。単純に考えればDIOが散弾を弾いたのだろう。そうなると敵は『弾丸を弾き飛ばす』と『千里から距離を取る』という二つの行動を同時に行ったことになる。また『千里に近づく』、『千里の左手を砕く』という行動も同時に行っている。少しの時間差もなく、まったく同時に。
まさか、と千里が一つの結論にたどりつく。敵の浮かべる笑みが一層濃くなった。
「千里、おまえは頭のいい子だ。すでに最善の選択肢を導き出していると思うのだが。――それとも、力量差を知ってなおこのDIOに挑むつもりか? 一時の怒りのために思慮を失い身を滅ぼすなど愚か者のすることだぞ」
途端に悪意と殺意が膨らみ上がる。その圧倒的な圧力を前に千里は右手に力を込めた。吸血鬼の声は酷く甘ったるく、気を抜けば取り込まれてしまいそうになるほど蠱惑的な響きを孕んでいる。何人もの人間がその魔力に魅了され、膝を折ったのか。この館を見ればわかりそうなものだ。
それを跳ね返す程度の精神力を彼女は持ち合わせてはいるが、それでも長時間耐え続けられるかとなると話は別だ。DIOに不意を突かれて一瞬隙を作ってしまったその瞬間、赤い瞳の魔力が千里の脳内にするりと入り込んでいた。魔眼や邪視と呼ばれるそれは催眠もしくは暗示を対象にかける。その鉤爪が彼女の心の隙間に引っかかったのである。再度千里に隙が生じれば一気にそちら側へ引きずり込むことだろう。
「ほうら、安心してわたしに魂を委ねるのだ。なにも不安がることはない……」
DIOの瞳の魔力を押し返すように目を細めた千里が地を蹴る。サブマシンガンを全弾打ち切り、大型のハンドガンをフルオートで連射する。消えて現れ移動するDIOの気配を俊敏に感じ取り、そちらに向かって発砲すれば本棚から分厚い本が音を立てて落ちた。背後に移動した気配に対しては振り返らずに肩越しで発砲し、弾切れを起こせばすぐに新たな銃を発現させる。調度品は音を立てて壊れ、床に本が積み上がる。燭台は倒され、豪奢なチェアもただの木屑と化していた。
敵は姿を消すことはできないと千里は確信している。瞬時に居場所が変わろうとも一分一秒だってこの空間から消えることはないのだから、そこまで広くない図書室の中ならば存在を見失うことはそうそうない。それに吸血鬼との戦い方なら先ほど学んだ。一発の銃弾で死ななければ二発打ち込めばいい。それでも死ななければ十発でも百発でも鉛玉をプレゼントすればいい。人間の血液を食料としている以上、回復も無限ではないはずだ。SPW財団の資料を思い出しながら千里は引き金を引き続ける。それに逃げ出すにしても外は夜のため逃げ場はない。ゆえに千里の選択は日が昇るまで戦い続ける他になかった。
発砲しながら後退し、そのまま図書室から脱出する千里をDIOは喉を鳴らして笑いながらゆったりとした足取りで追いかける。彼からすれば千里などただの無力な少女だ。スタンド能力もまったく脅威にならず、一般人が銃火器を持つのとなんら変わりがない。スモークグレネードによって眼前が白煙で覆われようとも足音を消そうともあたたかい血の匂いまでは隠せておらず、どこにいるのかDIOに教えているようなものだ。さらに彼の合図で幻覚が再び館内に展開する。これで朝が訪れようとも千里に逃げ場はなくなった。
「鬼ごっこか? フフ……それともかくれんぼになるのかな?」
銃声と同時に白煙を切り裂いて銃弾が現れ、DIOの体を掠めた。相次いで飛んでくる無数の弾丸は彼にぶつかっていく。しかし傷はできた端から修復されていくため、さほどのダメージにはならなかった。スモークに紛れての狙撃が狙いのためか、血の匂いは遠ざく様子がない。銃声に紛れてDIOの足に何か固い物がぶつかった。それを視認した瞬間、ザ・ワールドが時を止める。小さなパイナップルのような形態をしたそれは手榴弾だ。くつりと笑って踏み潰す。時が再び動き出そうとも信管もろとも潰れたそれは不発に終わる。
自身が館の奥へ奥へと進んでいることに千里は気が付いていない。さらにスモークのせいで敵に攻撃が当たっているかも判断できず、どうしたものかと考える。しかし悠長に考える暇がないことも確かだ。足音は確実についてくる。手榴弾のピンを抜き、手早く後方の煙の中に転がす。転がる音が止まるも爆発音がしないことから敵との距離と手榴弾が効かないことを把握し、千里は後退しながらそちらへ向けてサブマシンガンを二丁分フルオートで撃ちきった。
「いいことを教えてやろう……おまえの弟はこのDIOに懇願したぞ。ジョースター共に惑わされた姉の目を覚ましてほしい、正気に戻してほしいとな。――忠実なる部下の願いだ、叶えてやらねばなるまい」
白煙の中から声が響く。千里は追加のスモークグレネードを投げた。白い煙の中で蝋燭がぼんやりと明るく光る。声との距離は変わっていない。
「しかしなかなか大変な望みでもある。野良犬の調教はちと骨が折れるからな」
目の前の煙に動きはない。しかし背後からかけられる声に対して千里は咄嗟に前方に飛び込んで回避し、足の間からハンドガンの引き金を引く。軽々と六発もの弾丸が弾かれる様を視界に収めつつ反転し、発現させたバヨネットの銃身を右手で握りしめて前方に突き出した。敵の鳩尾を突き破り、右腕に生温かい血が降り注ぐ。
同時に千里の唇の端から血が流れ落ちた。吐き出される血液がDIOの右手を真っ赤に染める。大きくごつごつとした掌が少女の首を軽々と掴んでいた。さらには五本の太い指が深々と食い込んでいる。なおも腹部にねじ込まれるバヨネットを叩き折ればさらに千里は吐血し、ぎょろりと灰色の隻眼がDIOの瞳を睨みつける。千里の首に指を食い込ませたまま、DIOは易々とその体を片手で持ち上げた。
「鬼ごっこはもうおしまいか? ン?」
自爆覚悟か少女の右手に手榴弾が発現されようともDIOは一笑に付してそれを叩き落とし、右手も軽く捻り潰した。さすがの千里も顔を歪め、小さく呻く。少しだけ指先からの吸血を行った後、DIOは軽く腕を振って千里を投げ飛ばした。少女の体は宙を飛び、壁に叩きつけられ受け身も取れぬまま床に落ちる。骨の折れる音がした。
DIOはコツコツと踵を床に打ち付けながら優雅に千里へと歩みより、嘲笑を浮かべて彼女を見下ろし、立ち上がろうとする千里の髪を掴んで顔を上げさせる。両手を潰されてもなお戦意を失わない千里の片足が振りかぶられるも軽く弾けばあらぬ方向へと折れ曲がった。
「さて、このDIOには疑問がある――不思議なことに処女の血と非処女の血は味が違う。そこで、だ。処女の血と非処女の血どこで味が変わるのだろうか。千里の血で教えてはくれないか?」
歌うようなDIOの声は確かに千里の耳に届いてはいた。決して敵から視線をそらさず、億すことなくまっすぐ射抜く隻眼から戦意が喪失されることはない。