JOJOが少し気になるの。そう家出少女が千里に告白したのはつい数分前のことだ。夕食から戻り、千里がソファーに腰を下ろして買ったばかりの古書を読んでいたときのことである。すでに半分以上読み終えていた本から千里はわずかに視線を上げ、少女に向けた。彼女の記憶が正しければ少女は承太郎に対していい印象を抱いていなかったはずである。しかしそのようなことは些細なきっかけで一変するものだ。おそらく家出少女も貨物船でオランウータンから助けられたことがきっかけだったのだろう。蓮っ葉な自身を女の子扱いされたことも関係しているかもしれない。吊り橋効果と言うべきか、命の危険にさらされたとき、救いのヒーローに対してフィルターをかけてしまうものだ。少女の場合それ以外の要因もあったかもしれないが、あいにく千里は知らなかった。
つまり承太郎と関わりを持ちたがる家出少女は千里にそれを相談したのだが、残念なことに千里では相談相手になることはほぼ不可能であった。それが幼い恋心なのだと千里は理解していても、世話を焼いてやるどころか応援してやろうとも思わない。他人はあくまで他人であり、干渉するに値しないと千里は思っている。過干渉は結局互いの身を滅ぼすことになりかねないからだ。ゆえに千里は必要以上のことを知りたいとは思わないし、話したいとも思わない。最低限だけでも充分にやっていけるものである。
だがそれを理解できない家出少女は読書を続けるえ千里になおも食い下がる。承太郎と少し話してみたいと言う少女の言葉に二人きりが抜けていることを千里は察した。そうでなければ今までに何度も話す機会があったはずだからだ。しかしそれがカウントされないとなれば、大人数の中での交流は少女の望むところではないということになる。無駄に察しがいいというのも考えものだ。千里の場合は気を遣ってやる気がないため、無用の長物と成り下がってしまっていた。
「利用できるものくらいは利用しろ」
いい加減、少女の話にうんざりした千里は短くそう言った。少しは自分の頭を使えと言いたかったのだが、どうやら家出少女は違うニュアンスで捉えたようであった。しばらくの間難しい表情を浮かべたと思えば、行ってくるわと部屋を出ていく。承太郎が気になると彼女が告白してから数分が経過していた。少女が承太郎の元に向かったのは考えずともわかる。そしてさらに約一分程度の間を置いて、部屋のドアがノックされた。ジョセフかアヴドゥルでも来たのだろうと、夕食後にアヴドゥルと話した内容を思い出しながら千里は本をソファーに置き、ドアを開けた。
「あの子から用事があるから来てほしいって聞いたけれど……なんの用事だい?」
予想に反して、ドアの外にいたのは花京院だった。どこか気まずそうな顔をしながらも千里を見下ろしている。その複雑な視線を受け、千里はわずかに眉をひそめる。こんな時間に花京院は一体なにを言っているのだろうか。花京院が言うあの子とは間違いなく家出少女のことである。少女の言伝てで花京院は千里の部屋を訪れたと言うが、千里は少女に言伝てを頼んだ覚えはなく、もちろん花京院に用事など端からない。少女は承太郎の元へ行ったのではなかったのかと千里は思ったが、すぐに花京院と同室であることを思い出す。そこから弾き出される結論は一つしかない。家出少女は承太郎と二人きりになるために、千里の名前を使って花京院を部屋から追い出したということだ。自身の言葉が曲解されたのだとようやく千里は気付いたが、ここで花京院を追い返しては家出少女からいらない恨みを買うことになる。そのような面倒事は誰も好まない。千里は事実を手短かに花京院に伝える。少女の拙い策略に見事にはまったのだと、花京院は苦笑を浮かべた。少女の言葉を思い出す。千里が花京院に用事があるから部屋に来てくれと言っており、その間少女は承太郎とでも時間を潰していろと言われたと言っていたか。千里にわざわざ花京院を呼び出してまで伝える用事があるようには思えなかったが、少女が無意味な嘘を吐くはずもないと思ったために、少女の言葉に従って千里の部屋を訪れたのである。そして結果はこれである。つまり、少女は千里をダシに使ったのである。
千里の灰色の目が花京院を見上げた。それはまるでこれからどうするのかと問いかけているように花京院は感じられ、わずかばかりの逡巡の後、少しばかりの勇気を出した。
「あの子の用事が終わるまでここで待たせてもらってもいいかな?」
それに対して千里はなんの反応も示さなかったがドアを開けたまま体をずらして花京院に室内を見せたため、花京院はそれを肯定であると捉えた。だが部屋に入るという簡単な行為に対して花京院は酷く緊張してしまったのは、仕方のないことなのかもしれない。女性の部屋に入る緊張感とはまた違う。未だに千里という人物を掴みかねていることと、一度でも感じてしまった恐怖が足をすくませる。それでも部屋に入ることを選択したのは花京院なりの抵抗であった。仲間にすら恐怖を覚えていたら、嘔吐するほどだったDIOの恐怖を克服することなどできるはずがない。ある意味、千里の存在は試練であった。恐怖を覚えることなく千里を受け入れることができれば、それが自身の成長につながるのだと花京院は信じている。
花京院を部屋に招き入れたものの、千里が自ら関わりを持とうとすることはない。千里はソファーに戻って読みかけていた本を開き、再び黙々と読書に勤しむ一方、花京院は空いていた二人がけのソファーに腰を降ろして会話のきっかけを探していた。少しくらい交流するきっかけが得られると考えていたのは相当甘かったと痛感し、花京院は手持ち無沙汰に室内を見回す。まだ触ってもいないらしいドア側のベッドとは対照的に窓側のベッドのシーツは酷く乱れており、家出少女のベッドなのだと気が付いた。荷物も少女の物ばかりが散らかっており、千里の持ち物らしいものはどこにも見当たらない。ぼろぼろになったセーラー服の代わりしか買っていないのだろう。女性の旅には必要なものが多くあるだろうから、明日にでも買いに行く必要があるだろうと、花京院はぼんやり思う。そうしたらまた家出少女が張り切るのだろうか。少女が選んだという深緑色のマフラーはハンガーにかかっていた。ようやく最初に問いかける言葉を思いつき、花京院が口を開こうとした瞬間、不意に千里は本を閉じ立ち上がった。観察するような花京院からの視線をものともせず、千里は本をごみ箱に落とす。その自然で流れるような動作に花京院は驚いた。
「その本はもう読まないのかい?」
「読了した本を残しておく必要もない」
千里はさも当然だと言わんばかりの視線を花京院に向けた。千里にとって読み終えた本は場所を取るだけの無駄なものである。捨てられた本が夕食後に買ったばかりの本であることを花京院は知らない。だが本を捨てるという見慣れない行為に戸惑いを覚えたのは間違いなかった。そんな花京院の様子などまったく無視した千里はハンガーからマフラーをとって首に巻く。どこかに出かけるのだろうということは花京院もすぐにわかったが、夜も遅い時間である。一体今からどこに出かけようというのだろうか。純粋な疑問が生まれる。
「外出するのなら今日はもう遅いから明日にした方がいい。女の子が夜一人で出歩くのは危険だ」
「……使うならわたしのベッドを使えばいい」
「なぜ? きみが使えばいいだろう」
「わたしが苦手なのならば無理に接する必要はない。それだけだ」
振り返った千里の灰色の双眸はやはり変わらず感情を孕むことはない。そのくせ真っ直ぐすぎる視線に花京院は思わずたじろいだ。千里に対して苦手意識を持っていること、わずかばかりの恐怖を抱いていることを見抜かれていたことが予想外だったのである。同時に羞恥心といたたまれなさを覚えた。どうにか千里に対する恐怖を克服するつもりだったのが、まるで滑稽な行為だったように思えてしまう。花京院一人が抱いている分にはまったく問題のなかった感情である。だがそれを千里に悟られたとなれば、互いの間に壁ができるのは必然的なことであろう。元々千里は必要以上に人と関わろうとはしない。だがこれによってさらに花京院と関わることを避けるだろうことは花京院自身にも想像できた。自分一人の問題によって千里にいらぬ気を使わせてしまったことに嫌悪する。花京院自身にその気がなくとも、花京院によってチームの和が乱れようとしていた。花京院はそれに対して酷く恥じていた。
千里は花京院の内心に寸分の興味も示さず、黙って部屋を出て行く。目的などなかったが、どうせ人がいるところではゆっくり眠ることができなかったため家出少女がいても外で適当に時間を潰すつもりであった。偶然部屋にいたのが花京院だったというだけである。そして無駄に察しがよかったために、花京院が自身を苦手としていることに気が付いてしまった。自分から歩み寄ろうという気などさらさらないため花京院との距離は一方的に離れていくばかりであったのだが、そのような瑣末な事柄を千里が気にしたことなどこれまでに一度だってなかった。