頭蓋骨のくだける音がした。ヴァニラ・アイスの眉間を貫き、後頭部に飛び出た折れたレイピアの切っ先をシルバーチャリオッツが握る。傷口を広げるように、また脳味噌をかき混ぜるようにねじり、えぐる。そして反時計回りに腕を回せば敵の首がごきりと折れ、ヴァニラ・アイスは脳漿と血液をまき散らして床に倒れ臥した。クリームの姿が薄くなり、消える。
ポルナレフに仲間の死を悼む心の余裕はなかった。興奮により乱れた呼吸もそのままに血だまりの中に倒れ伏す敵を睨みつける。あり得ない方向へねじまがった首がヴァニラ・アイスの開き切った瞳孔は虚ろになにも映していない。イギ―の耳を持ってしても敵の呼吸音は聞き取れなかった。
嫌な静寂が続く。興奮状態が収まっていくにつれて落ち着き冷静になり、そして視界に瓦礫の山が映る。その下からは未だ銃声はなく、人の現れる気配もない。イギーの耳も生き物の呼吸を拾えなかった。それは彼らに今一度千里の死を強く実感させることとなる。本当は今すぐにでもあの瓦礫の山を掘って弔いたいところではあったが、そのようなことをする暇も時間もなかった。DIOを倒すまで目の前の瓦礫はそのままになることだろう。千里が死にアヴドゥルが離脱して減ってしまった戦力を前にしてポルナレフとイギ―にできることはただひたすらに前へ突き進むことのみだ。
一抹の感傷に浸るポルナレフは背後の異変に気が付くことができなかった。首が折れ曲がり死んだはずのヴァニラ・アイスが音もなく起き上る。その動きは満身創痍のそれとは思えないほどに滑らかに、また不自然だった。同時に彼が人ではないなにかに成り果てたことを意味していた。イギーがそれを察知することができたが、ポルナレフを見上げて小さく鼻を鳴らすだけだった。すでに敵に対して恐怖も警戒心もない。彼の中で戦いはほぼ終わったに等しい。
憎悪に染まったヴァニラ・アイスの双眸にはポルナレフしか映っていない。彼の崇高なる主人のためにその男は殺さねばならない存在であった。絶対的な唯一神に歯向かうことは許されない。否、歯向かうなどと考えることからして大罪なのである。ゆえにヴァニラ・アイスは大逆者を断罪する。どこにも問題はなくなにも不思議ではない、ごくごく自然な当たり前の行為だ。なぜなら彼は神の前にかしずく一人のしもべである。彼の世界は神中心に回っている。ヴァニラ・アイスはそのことについて一抹の疑問も抱かない。それが当然なのだと彼は信じて疑わない。
クリームと名付けられた彼のスタンドが現れ、大きく口を開けた。その奥には暗闇ばかりの暗黒空間が広がっている。イギーの目がポルナレフに向けられた。そのアイコンタクトを受けても彼は振り返らない。しかし確信に至る。
「やはりな……ヴァニラ・アイス、てめー」
暗黒空間に頭部を削がれるよりも早くシルバーチャリオッツのレイピアがクリームの顔面に無数の穴を開け、それまで静観するに徹していたイギーも自身のスタンドでヴァニラ・アイスを吹っ飛ばした。クリームの受けたダメージをフィードバックしたことも相まって無抵抗のままヴァニラ・アイスは壁に激闘する。しかし倒れた直後に全身のバネを使って飛び起きた。穴だらけの上半身から血を垂れ流してもなおゾンビのごとく立ち上がる。意識を失うことも戦意を失うこともなく狂気に染まった双眸にポルナレフとイギーを映し、ただ彼らを殺すことだけのみを念頭に襲いかかる。
「……どうりで妙だと思ってたぜ……この不死身……DIOになにかされたってわけか」
一方ポルナレフは酷く落ち着いていた。ようやく冷静になれた、と言った方が正しいかもしれない。それはヴァニラ・アイスの正体を見破ったためかもしれないし、千里が二度と起き上がらないことを心で理解してしまったためかもしれない。彼女は常に、どんな状況であっても冷静だった。こんなときだってきっと、と思えば励みになった。ポルナレフにも年上としての挟持がある。
シルバーチャリオッツの一閃が近くの部屋の扉を破壊した。窓から差し込む傾き始めた太陽の光。ポルナレフとイギーをその中に包み込み、なおも伸びる日の光がヴァニラ・アイスの右腕に直撃した。途端音を立てて粉々に腕が砕け落ち、消える。敵の攻撃を受けたわけではなく、ただ日の光を浴びただけで消滅した右腕を前にたまらずヴァニラ・アイスは絶叫した。狂気で鈍る思考でもその異常だけは充分に察知できた。
「な……なんだ……これはァ〜!?」
「てめー自分で自分の体の変化に気付いていなかったのか? 血をもらったろ? 話に聞いてた吸血鬼になりかけてたとはな。DIOと同じ体質に……」
「きさまあああーッ!」
落ち着いたポルナレフの態度が酷く癪に触った。それだけの理由で勝利を確信したポルナレフとイギーが気に食わなかった。ヴァニラ・アイスは激高し、躊躇わずに日の光の中に足を踏み入れる。しかし結果は腕と同様だ。踏み入れた瞬間には粉々になる足。彼の中で驚愕と絶望と怒りが渦巻く。つい数時間前まで平気だったはずの日の光が天敵となったことに驚愕し、主のために与えられた任務を遂行できないことに絶望し、完全に勝利を確信しているポルナレフに対して激高し、ヴァニラ・アイスは吼える。
「キサマなああんぞにィィィィィィーッ……」
「地獄でやってろ」
シルバーチャリオッツがヴァニラ・アイスを太陽の光の下へと押しやった。片足を失った状態では簡単にバランスを崩してしまい、抵抗する間もなく彼の体に日が当たる。大きく見開かれた目はすでにポルナレフを映していない。開かれた口から言葉を発する時間も与えられずにヴァニラ・アイスは消滅した。再び静寂が訪れる。
もう何度目になるかわからない。ポルナレフは再度瓦礫の山へと目を向ける。現実を理解していてもそれは無駄なあがき、無意味な期待であった。一部を大きく削り取られた瓦礫の山だけが事実である。しかしそれでも諦めきれずにいるのはひとえに彼は千里の最後を見ていないからだ。最後にどんな表情でなにを言い、どのような表情で心境でその瞬間を迎えたのか。ポルナレフは知らない。そのほとんどを知っているとしたらともにいたイギーだけなのだが、あいにく彼は人の言葉を理解しても人の言葉を話すことができない。酷く虚しいことだとポルナレフは思う。
しかしいつまでもこの場に留まっているわけにはいかない。一度ゆっくりと深呼吸をし、視線を瓦礫から引きはがした。足下で自身を見上げるイギーを見やる。
「いいかイギー。とにかくおれらは階段を上ってDIOのところへ行かなくてはならない……」
イギーはなにも言わずポルナレフを見上げている。
「DIOを倒したら戻ってきて千里を瓦礫の下から助け出して……故郷に埋葬してやろう」
ポルナレフは千里の故郷がどこであるかを知らない。しかしそれは重要な問題ではなかった。必ずDIOに勝って戻ってくるという誓いでもあり、復讐に囚われているだろう千里の魂が安らかに眠りにつくためでもある。決意を新たに一人と一匹は階段を踏みしめた。