ポルナレフとイギーは三階へと向かう階段を上がる。未だジョセフたちとは合流できずにいるも、それを待つほどの余裕はなかった。アヴドゥルが離脱し千里が死んだ今、半減した戦力を回復する意味でも仲間との合流は望ましいことではあったがポルナレフの気はそこまで長くない。一刻でも早く敵と会わなくてはならなかった。一分一秒でも早くDIOを倒さなければ彼の気は収まらない。今やあの吸血鬼に対して言葉では表しきれないほどのものを抱いてしまっている。
踊り場に到達し、残る段数を数えるように見上げたその先に男はいた。心の中心にしのびこんでくるような氷りつく眼ざし、黄金色の頭髪、すきとおるような白い肌、男とは思えないような妖しい色気。かつてポルナレフは一度だけそれを間近で感じたことがあった。ゆえに男の正体を間違えるはずもない。
「フン、ポルナレフか。久しぶりだな」
いとも容易く心の隙間に入り込んでくるような声もかつては酷く揺さぶられたものだが、今となってはまったくもって心に響かない。その暗闇を知ってしまったがゆえである。
「DIO……お出ましかい……」
ポルナレフの足下でイギーが毛を逆立てて低く唸る。階上より彼らを見下ろす男は余裕綽々の表情を浮かべながらおもむろに手をたたき出す。それはポルナレフを賞賛する態度でも敵を迎える表情でもなかった。DIOはどこまでも徹底的に彼らを見下している。誰が上位であり優位あるかをありありと見せつけているようでもあった。
「おめでとうポルナレフ。妹の仇は討てたし極東からの旅もまた無事ここまでたどり着けたというわけだ……その犬っころも大したものだ。褒めてやろう」
「ケッ。祝いになんかくれるっつーなら、てめーの命をもらってやるぜ。墓前に供えてやりゃあ、千里も喜ぶだろうぜ」
挑発代わりにポルナレフはカーテンを手に取り痰を吐き出す。一瞬DIOの表情が変わった。しかしあまりにも刹那のことであったためポルナレフは気付かなかったが、気付いたところで安い挑発に反応したと思う程度だっただろう。少しは溜飲が下がったかもしれない。
しかし実際は違った。ほんの少しだけDIOは驚いていた。ポルナレフの言葉に嘘があるとは思っていない。彼がヴァニラ・アイスを倒したからここにいるのだと知っている。館内に響く銃声も聞こえていた。癇癪玉のように断続的に鳴り響いていた音が聞こえなくなってからかなりの時間が過ぎている。千里が戦闘に参加していないと把握することは容易い。そしてそれがイコール戦闘できない状態であるということも。戦闘不能になるまで手を緩めることなく戦い続けるのが千里だ。彼女の性格についてDIOはよく知っている。おそらく旅路を共にしてきた彼らよりも詳しいかもしれない。
「――なに、死んだ? あの娘がか?」
わずかながらDIOの顔に喜色が浮かんだことにポルナレフは見逃さなかった。その忌々しい表情はまちがいなく千里の死を歓迎していると読み取った。自然眉間に深く皺が刻まれる。イギーが犬歯を露に唸った。だがそれを尻目にDIOは満足そうに薄い唇を歪めるだけだ。想定外のことである。しかし決して悪いことではない。むしろ歓迎すべきことだ。
「そうか、ヴァニラ・アイスも悪くない働きを見せてくれた。これであのじゃじゃ馬も大人しくなるだろう」
「てめー……ッ!」
「フフフフ、そう憤るなポルナレフ。おまえにもひとつチャンスをやろう。そこの犬、おまえもだ」
気色ばむポルナレフとイギーに対してDIOは右手の人差し指を立てて牽制する。
「その階段を二段降りろ。再びわたしの仲間にしてやろう。逆に死にたければ……足をあげて階段を登れ」
明らかな挑発である。しかしそれを抜きにしても二人の中に選択肢などない。敵に対する回答は既に決まっていた。迷うことなく一歩を踏み出し踊り場に足をかけた。途端、DIOの笑みが深くなる。
「そうかそうかフフフ……階段を降りたな。このDIOの仲間になりたいというわけだな」
ポルナレフとイギーが自身の行動とDIOの言葉との間に矛盾を感じた瞬間、その変化に気が付いた。一段階段を登ったことが嘘ではないと本人たちがわかっている。しかしどうしてだか踊り場が遠くなっている。一段登って到達したはずの踊り場が数段先にあった。なにがあろうとも決して階段を降りるはずがないにも関わらず、自身の身に起こった現象に彼らは驚き、また戸惑った。気のせいだ、なにかの間違いだと再び階段を登るも結果は同じ。駆け上ったところでポルナレフとイギーはDIOのいる上階どころか踊り場にすら到達できなかった。敵スタンドによるものだと予想できてもその実情は掴めない。冷や汗がにじみ出る。
自身の身になにが起こったのか理解できず戸惑う人間と犬を一瞥し、DIOはゆったりと椅子に腰を下ろした。そして語りだすは彼の思想、そして哲学。百年前を礎に長い時間をかけて練り上げた独自の理論。それを語る声色は甘く柔らかく、ポルナレフとイギーの心にほんのわずかな隙間が生じようものなら間髪入れずに滑り込もうと虎視眈々とチャンスを狙っている。そして彼らに向けられる瞳は甘く冷たい。言葉などただの詭弁に過ぎない。優しく懐柔するように見せかけて、じわじわを追いつめて屈服させようとしている。二人が目の前で膝を折る瞬間を待っているだけだ。
「わたしに使えることになんの不安があるのだ? わたしに使えるだけで他のすべての安心が簡単に手に入るぞ。今のおまえのように死を覚悟してまでわたしに挑戦することのほうが不安ではないかね?」
ポルナレフとイギーの反応を窺いながらゆっくりとDIOは言葉を選ぶ。本気で口説こうとは思っていなかった。ただ恐怖や不安で右往左往する敵をせせら笑うだけだ。大人しく膝を屈するのならばそれはそれでいい。部下は多いにこしたことはないし、敵数が減れば面倒が減る。その程度のことだ。
「おまえたちは優れたスタンド使いだ……殺すのは惜しい。ジョースターたちの仲間をやめて、わたしに永遠に仕えないか? 永遠の安心感を与えてやろう」
それがただの戯言であろうとも今のポルナレフとイギーを圧倒するだけならば充分すぎる効果を持つ。併せて彼らがDIOの正体の分からないスタンドの存在に恐れを抱いてしまえば精神的にもDIOが優位に立つ。もはやこの場は彼の独壇場だ。一度でも恐怖を抱いた敵など警戒する必要もなく、そもそも人間相手に負ける気も予定もない。DIOは軽く追い打ちに程度にそれを口にした。
「理解が追いついていないようだな……千里はわたしに仕えることを選んだぞ。あれは賢い。聞き分けはまあ……お世辞にもいいとは言えなかったが、自分に足りないものをよく理解していた。このDIOに心の安らぎを見いだし、その身を委ねた」
つい先ほど死んだばかりの仲間の名前を耳にして、ポルナレフの思考が動き出す。それまで本当に恐怖を前に屈服してしまっているのではないかと思い込んでいたのだが、その圧力に屈してはならないと思い出したのだ。一度でも思い出せれば勇気が蘇る。アヴドゥルと千里が脱落したが彼の足下にはイギーがいる。まだ自分は一人になっていないと気付いたのである。
「く……くどいぜDIO! おれはもともと死んだ身!てめーのスタンドを見極めてから死んでやるぜッ!」
一度奮い立ってしまえば止まらない。ポルナレフはシルバーチャリオッツを発現させる。呼応するようにイギーもザ・フールを呼び出した。二体のスタンドがDIOへ一直線に向かう。小さく鼻で笑うDIOがおもむろに立ち上がれば、その背後に黄色のスタンドが姿を現した。無機質で冷え切った双眸が彼らを見つめる。
スタンド同士がぶつかり合うその瞬間、ポルナレフとイギーの背後の壁が崩れ、眩しい光が差し込んだ。その忌々しい眩しさにDIOは目を細め、逃れるように身をそらす。夕日の強い光を背にそれまで行方の知れなかったジョセフと承太郎と花京院が姿を見せた。太陽の光が差し込むこの場では分が悪いとDIOは迷わず館の奥へと逃れることを選んだ。
それを追いかけようとしたジョセフたちをポルナレフが止める。そしてたった数分前に体験した敵のスタンドについて伝えたのだが、なにしろ彼自身理解できていない状況だ。説明と言うには非常にお粗末なものではあったが、それでもそれが精一杯だった。とにかく得体の知れない能力だということだけは伝わった。
承太郎が上階や周囲を見回す。その行動はDIOが近くにいるかどうか警戒するものではなく、仲間の姿を探すものである。あのアラブ系の大男と人形のような少女がいない。アヴドゥルはポルナレフとイギーと行動を共にしていた。千里はアスワンで別れて以来だが、この館にいることはテレンス・T・ダービーとヌケサクから聞いている。未だ合流できていないと考えることも可能だが、それにしてはやけに静かだと承太郎は思う。彼女のスタンドは彼女よりもおしゃべりだからだ。そしていくつかの可能性を考えた後、承太郎は誰も触れなかった部分を口にした。
「アヴドゥルと千里は?」
途端ポルナレフが押し黙る。イギーも床を見つめるばかりだ。その様子に三人はだいたいのことを察することができた。それでも一抹の希望を抱いてしまうのは仕方のないことと言えよう。しかしポルナレフには真実を伝える義務がある。意を決して喉から絞り出した声は酷く掠れていた。
「アヴドゥルは大怪我をして離脱したが、――千里は、こ……ここまでは来れなかった……」
予想はしていても事実を突きつけられては言葉を失う。ただ受け入れることしかできなかった。
「……ジョースターさん。陽が沈みかけています……急がないと……」
わずかな沈黙の後、花京院が発した言葉をきっかけにようやく彼らは動き出す。夜になるまでの時間はあまりない。