火刑台上のジャンヌ・ダルク

 イギーの鳴き声が路地裏に響き、そこでようやく花京院も我に返った。チャンスだと理解したのである。だが同時に葛藤が生まれ彼を苛む。敵となった千里を止める。それが果たして彼女を助けることになるのか、あるいは殺すことになるのか。それまで千里と戦い続けてきた花京院があえて目をそらし、答えを出していなかった部分だ。千里の立てたであろう仮説を踏襲しようとしているが、銀製の銃弾を吸血鬼に撃ち込むことが彼女を助けることに繋がらないのではないかとは思っても考えることを避けていた。考えてはいけないと本能が拒否していたからだ。
 膝を地につけてなお千里の目に灯るものに変化はない。膝立ちになってなお戦意は喪失されていなかった。マグナムの銃口がわずかに震えようとも花京院のように情けなく標的を定められないわけもなく、確かに彼へと向けられている。すぐに発砲してこないのは自身の体調の変化に戸惑ってか、戦略を考えているためか。彼女は猪突だが無鉄砲ではない。思うように動かない体でどう戦うべきかを考えているに違いなかった。
 だがこれまでのように動けない今の千里は隙だらけだ。そのような明らかな隙を誰も見逃さない。しかし花京院は動けなかった。ここに来て臆してしまったのだ。だがどれだけ花京院が悩み、葛藤したところで時間は止まらないし、誰も待ってなどくれはなしない。
 ハイエロファントグリーンの脇を銀色の幻影が通り過ぎた。鈍色に輝くレイピアがぞぶりと千里の心臓を貫く。膝立ちのまま大きく目を見開いた千里が自身の左胸に突き刺さるそれに気がつき逃れようとするも、いつの間にかその両足は地面から半身だけ現れていたザ・フールによって固められてしまっていた。わずかに仰け反り、鮮血を吐き出して胸元とレイピアを汚す。驚いた花京院が振り返れば、気絶していたはずのポルナレフが上体を起こして千里を睨みつけていた。さすがの彼も度重なる銃声にイギーの鳴き声が響く中で意識を飛ばし続けることは難しい。花京院がなぜ拳銃を千里に向けているかはわからなかったがそこで問いかけるほどポルナレフも愚かではなかった。
 ぎょろりと千里の右目が花京院から目の前の敵スタンドへと向けられた。そこに孕む敵意にスタンドを介してポルナレフが気付いた瞬間、弾丸がシルバーチャリオッツの胴めがけて撃ち込まれた。しかし甲冑がそれを防ぐ。スタンド本体には攻撃が通用しないと判断した千里はシルバーチャリオッツのさらに後方めがけて発砲し、ポルナレフの頬を抉りピアスを撃ち抜いた。スタンドを千里への攻撃に使用してしまっているため彼に自身を守る手立てがない。動けないポルナレフを援護しようと動くイギーの左足を新たな銃弾が貫いた。一人と一匹の悲鳴が上がる。一瞬花京院の意識が千里より背後の味方にそれた刹那、花京院の体にスタンドの弾が撃ち込まれた。自身のスタンドからフィードバックされたダメージと相まって血を吐き出す。千里に狙いを定めていた銃口が下を向く。千里の放つ威圧感が増した。

「撃てッ、花京院!」

 残った力をありったけにこめてポルナレフが叫ぶ。千里を止めるには花京院の握るリボルバーが鍵なのだと薄々ながら勘付いていた。承太郎とDIOの行方も気になったが、同時に目の前の花京院と千里の行く末からも目が離せない。もはや彼女を止められるのは花京院しか残っていない。ポルナレフの近くでイギーが倒れている。彼も限界だったのだろう。千里の正面にいたシルバーチャリオッツが消える。最後まで見届ける前にポルナレフは再び意識を失った。
 ポルナレフの叫びが花京院を突き動かした。もしかしたら千里に威圧されたはずみだったのかもしれない。承太郎に次いでポルナレフとイギーまでもが攻撃されたことに激昂したのかもしれなかった。一瞬の気の迷いも忘れて勝手に花京院の人差し指が動き、引き金を引いた。無我夢中だった。いつの間にかハイエロファントグリーンも消えていた。その瞬間の感情を花京院は覚えていない。
 純銀弾は比重が小さいために殺傷力に欠ける。しかし逆に言えば弾速が通常のそれよりも速い。ゆえに千里は判断を誤った。それまでと同じ鉛玉だと思い込んでいた。元々避けるつもりはなかったため、弾速の違いに気が付き銃弾がそれまでのものとは違うと悟ったときには遅すぎた。敵の握るリボルバーの正体に気が付き、同時に六発目の弾丸の存在を思い出す。正面のシルバーチャリオッツと両足を拘束するザ・フールが消えたことに気付いたときには弾丸はすぐ目の前にまで迫っていた。
 その瞬間は酷くスローモーションであり、また花京院の脳裏に強く焼き付けられる。眉間を狙っていただろう銃口から放たれた純銀弾は大きく軌道をそれて千里の喉を貫いた。赤い瞳が大きく見開かれ、二酸化炭素と共に血が吐き出される。彼女の体を襲うのはそれまで受けた痛みとは比較できないほどの激痛。まるで焼けるようだ。傷口を修復するための血液が足りないことも相まってか治癒が非常に遅い。銃弾を受けて倒れなかったのは彼女なりの意地なのだろう。しかし不安定な呼吸と激痛に思わず喘ぐ。しかし口から吐き出されたものは空気と血液だけだった。隻眼が花京院から外れた。
 花京院の握るリボルバーの残弾数はゼロになった。しかし千里の握るマグナムは未だ銃弾を抱えている。銀弾の効果を確認できず、彼女の仮説は誤りだったのだと歯噛みしても遅く、止むを得ずスタンドを発現させる。全身を走る痛覚が悲鳴を上げ、思わず膝をついた。残り体力に限界が見えた。しかし痛みに意識を手放す余裕はなかった。なぜなら未だ千里から戦意は失われていない。どちらかが死ぬまで戦いは終わらない。彼女はいつだってそうだった。
 血濡れの左手が握るマグナムが火を吹いた。銃口から吐き出される鉛玉の虚像は変わらず花京院を狙って一直線に飛ぶ。最後の力を振り絞ってハイエロファントグリーンがエメラルドスプラッシュを展開した。ほぼ同時に熱を孕んだ風が彼の背後から吹く。夜のカイロが抱く熱気よりもさらに熱い。その瞬間彼女の全身が発火した。炎の鳥が飛ぶ。熱風に押され、エメラルドスプラッシュも銃弾も溶けて消えた。

「やはり間に合わなかったか……」

 悔やむような呟きだった。その聞き覚えのある声に驚き、花京院は振り返る。杖をついたアヴドゥルが壁に寄りかかって立っていた。本調子でないことは見るに明らかである。
 片足を敵に削り取られて戦線を離脱してからまだ数時間しか経過していない。SPW財団に手当を受けたはいいものの安静でいるべきであろう彼が再び戦場に戻ってきたのはひとえに戦局の行く末を見届けるためであり、また千里の身を案じてのことである。
 千里が炎の生命探知機に反応しなかったことに気付いたのは意識を回復してすぐのことだった。その瞬間彼はいてもたってもいられなくなった。アヴドゥルはメンバーのブレイン的存在だ。彼も吸血鬼について知識の蓄えがある。そしてタロットの暗示。死神の正位置と審判の逆位置が持つ意味。

「アヴドゥルさんッ!」
「遅くなってすまない。だがわたしもまだ戦える」

 カイロの喧騒の中に混ざって聞こえる銃声が千里の居場所をアヴドゥルに教える。SPW財団も距離を取りつつ一行を追いかけながらその居場所を把握していたため、合流することはさほど難しくなかった。
 アヴドゥルの背後でマジシャンズ・レッドが雄叫びを上げる。同時に千里を包む炎がより一層強い輝きを放った。燃え盛る業火に全身を包み込まれようとも赤い瞳がさらに強く輝き、未だ敵意を失っていないことは彼らの目から見ても明らかだった。マジシャンズ・レッドの吐き出す炎の中ではプラネット・スマッシャーズを発現させることはできない。肉の焼け付く臭いが漂う。

「マジシャンズ・レッドの炎は鉄をも一瞬で溶かし尽くす熱さだ。骨の髄まで焼き尽くしてやる」

 これがわたしなりの、きみへの弔いだ。そう続けたアヴドゥルの名を花京院が叫ぶ。走り寄って止めるほどの体力はもうない。ただやめるよう懇願することだけで精一杯だ。千里を救い出そうとハイエロファントグリーンの触脚が伸びようとも燃え上がる炎がそれを邪魔する。

「やめてください! このままでは千里が死んでしまう!」
「夜明けまで戦い続けるつもりか? どちらにしろ日が昇れば千里は消滅する」
「ですが、これじゃあ!」
「死人を無闇に起こしてはいけない。千里だって好き好んで吸血鬼になったわけじゃあないんだ」

 千里が死んで吸血鬼に成り果ててしまったことは花京院がもっともよく知っている。同時に一番否定しているのも彼だ。誰よりも彼女に思い入れている節がある。だから花京院は千里にとどめを刺すことができないだろう。そう判断したアヴドゥルは仲間殺しの最後の汚名を受けることにしたのだ。自身は千里に命を救われたというのに彼女の命を奪おうとしている。なんと皮肉なことか。そして彼はタロットの暗示を忘れてはいない。占い師として死神の影に気付けなかった負い目がある。それはアヴドゥルが勝手に感じているものと言えようが占い師のプライドがそうさせた。人にアドバイスし導くのが占い師の役割であるならば、千里を生へと導けなかったのはアヴドゥルの力不足であろう。
 夜明けまでの時間を数えるより日没からの時間を数えた方がはるかに早い。太陽がまた昇るまで戦い続ける体力がある者はこの中にはおらず、また夜明けまで千里を押さえつけられる者もいない。それは同時に決着をつけねばならないことを意味している。
 人間を吸血鬼にする術はあっても、吸血鬼を人間に戻す手段は未だ存在しない。千里は敵の傀儡になるくらいならば死を選ぶだろうと誰かが言葉にせずとも皆知ってる。ゆえに今の彼女が正気であれば迷わず死のうとするだろうし、それができなければ殺されることを望むだろう。いつだって生死から一番遠いところで呼吸をしている千里は決して救いを求めず、また生にすがりつかない。また救われたところで決して感謝はしないだろう。吸血鬼に成り果ててまで生き延びることを彼女は決して望みはしない。正気に戻った瞬間に自決を図ることは明白である。千里が止まる時は彼女自身が死ぬ時だ。
 倒れるまでに時間がかかったのは彼女らしいと言えるかもしれない。倒れたというより全身が崩壊したと言ったほうが正しいだろう。マジシャンズ・レッドの炎が消えるまでさほど時間は必要としなかった。しかし炎が収まったそこには当然ながら彼女の姿はない。アヴドゥルの言葉通り骨の髄まで焼き尽くされて燃えカスすら残ってはいなかった。炎の燃えた跡だけが地面に残る。
 信じられないような喪失感の中、傷の痛みを忘れた花京院はぼんやりと思う。彼女はなにも残さず死んでしまったと。そうして彼の意識は真っ黒に塗りつぶされる。