今の彼らの実力なら三日もかからないでしょう。ヘルクライムピラーに若き波紋の戦士を突き落した師はそう言った。それは彼らが無事に柱を登りきることを暗喩しているようであり、また彼らの秘めたる可能性を確信しているようでもある。
「あの二人が本格的な修行に入ったら師範代たちはあなたの修行に付き合う時間が無くなります」
最後の追い込みだと思ってこの三日間は死ぬ気で鍛練に励みなさい。リサリサの言葉と共に、それまで風呂に入るときも寝る時も装着を義務づけられていた手足のパワーアンクルが倍の重さになる。それまで徐々に負荷を増やしていたが、一気に増えるのはこれが初めてのことだ。それが最終試験のようなものだと理解した千里はマフラーをつけることを諦めた。激しい鍛練でそれを失うのは勘弁だったからだ。それまでだって師範代たちは手加減はすれど容赦がなかったのだから、それを相手にマフラーなどしていたらすぐにでも雑巾にもならないぼろきれにされてしまうだろうことは明らかである。こんなところで大切な防寒具を失いたくない。
「また派手にやられたわねー。あの二人ったら千里が女の子だって忘れてるんじゃないかしら?」
差し出された健康的な腕はほどよく筋肉がついて引き締まっており、脂肪も必要な場所に申し分なくついている。服を脱げば千里だって紛うことなき女なのだ。女の子のそれにしてはやや固い千里の腕に包帯を巻きながらスージーQは笑った。べちりと青痣を叩けば上半身下着姿の彼女はわずかに顔をしかめる。痩せ我慢か強がりか、それがまた面白いと思った。スージーQの中の千里はクールでシャイで素直じゃない女の子なのだ。しかも努力家だからこんなにもたくさん擦り傷や青痣を作って帰ってくる。彼女はどこからどう見たって女の子なのに、弱音一つ吐かずにひたすら鍛練に打ち込んで傷だらけになって帰ってくる。手当はいつもスージーQの役目だった。
「前髪邪魔じゃないの? 切っちゃったら?」
左目を隠すビターチョコレート色の髪をくるりと指先で遊びながら千里の顔を覗き込む。透き通ったグレーの瞳はとても綺麗なのだから隠すのは勿体ないとスージーQは思うのだか、千里は頑なに片目を隠す。スージーQがもう少し洞察力に長けていたら左目の瞳孔が開きっぱなしであることに気付いたのだろうが、あいにく彼女そこまで見ていない。ただのおしゃれだと思っている。
「切らないならピンで留めちゃうとかね。さ、夕ごはんを作らなくちゃ。千里も手伝ってね」
スージーQは促しながら、カッターシャツを羽織る千里をちらりと盗み見た。疲労が溜まっているだろうにそんなことなどおくびにも出さないし、嫌な顔一つしない。こんなにも真面目で強情だからシーザーも気になっちゃうのね、などと思いながら、スージーQは千里を伴ってキッチンへ向かう。今日の夕食から腹ペコ男子が二人、加わる予定だ。
作り終えた料理を少女二人が運んでいる最中に件の男二人が姿を現す。スージーQにとってジョセフは初めて見る顔だが、千里からしてみれば彼ら二人、およそ六十時間ぶりの再会である。今はシャワーを浴びたばかりでさっぱりとしているが、それまで彼らが油まみれだったことを少女たちは知らない。
「やーっとメシにありつけるぜ。腹ペコなんだよなあー!」
先に食堂に入ってきたジョセフを入れ替わるように千里は気付かれないようするりとそのわきをすり抜け食堂を出る。別にジョセフと関わりたくない、というわけではなく単に運ぶべきものがまだあったからである。老いた彼を知っていれば、今のジョセフに関われば無駄に時間を食うことは火を見るよりも明らかだ。
知らない人物が現れたことに悲鳴を上げたスージーQの声を背に受けながら、食堂を出て千里は立ち止まる。目の前にシーザーがいた。風呂上りの彼は小綺麗な格好をしている。
「やあ千里。久しぶりな気がするよ」
疲れの色を顔に浮かべながらシーザーは微笑む。三日にも満たない間だったが、やっと平穏が戻ってきたと彼は思った。明日からまた地獄のような日々が始まることが確約されているが、今は見て見ぬ振りをしたい。
「きみも随分と傷だらけじゃあないか」
この三日間で千里がどれほどのしごきに遭っていたか、シーザーの目からでもすぐにわかる。手足にぶら下がるパワーアンクルは三日前よりも一回り大きくなっている。心なしか包帯やガーゼの量も増えているように思われた。
目の前の男を一瞥し、千里は身を翻す。立ち話をする暇などなかったし、そもそもシーザーと話す気すらなかった。まだまだ自身が脆弱だと思い込む彼女にとって、立ち止まる余裕はない。波紋もいうスタンドとは違う力の前では未だに歯が立たない。波紋の素質を持って生まれなかったことが悔やまれるが、それを言っていても始まらないと彼女は知っている。少なくとも実践で使える程度には強くなりたい。千里は焦っている、そう言えよう。一番弱くて一番の足手まとい。そんなことなど、認められないし、なんにせよ彼女自身が耐えられない。
「夕食後でも話をしないか。なにせ千里とこうして話すのは随分と久しぶりなんだ」
たった六十時間程度でもシーザーにとっては恐ろしく長く、そして短い時間であった。オイルまみれの柱に必死にしがみついて登り切るためには無我夢中にならざるを得なかったのだから。それにやはり彼にとって女の子は大切にすべき存在である。ゆえに傷だらけの千里の姿には我慢ができない。