祖父の友人だからか、近い将来に死を定められていることを知っているためか、千里はシーザーという男の存在の扱いを持て余していた。今まで通り気にしなければいい。どうせ赤の他人だ。わかりきっていても思い出される祖父の横顔。イタリアの墓地で見せたあの表情が脳裏にこびりつく。祖父のあのような顔などそれが最初で最後だった。繰り返されようとしている歴史は再び祖父の表情を歪ませる。そして幼い千里の記憶に深く刻み込まれるのだ。
シーザーの死に様まで彼女は知らない。だがワムウと名乗る柱の男との戦いで命を落とすのだと資料に記録されていた以上、それに偽りはないだろう。隣に座る男は確かに現実にいるというのにもうすぐ死ぬなど、千里でも信じられない。人殺しなら経験のある彼女でも、身近な人物が殺される経験はまだなかった。
「――柱の男というのは」
言いかけて、口を噤む。吸血鬼の上位に立つ生命体。ヒエラルキーの頂点になりえる存在。それを知っていて強いのかと聞くなど愚問にも甚だしいと思ったからだ。DIOに対して手も足も出せずに完敗したあのときより強くなっている自覚はあれど、はたして吸血鬼に通用するのか疑問があった。少なくとも誰の目にも映らないプラネット・スマッシャーズは切り札になりえない。吸血鬼に勝てなければ柱の男になど勝てはしない。だが波紋が使えるシーザーは柱の男に殺される。吸血鬼に勝てる程度ではまだまだ足りないということだ。
不安がないと言えば嘘になる。その感情に名を与えるとするならば間違いなく“不安”である。しかしここで負けては千里の目的となる男に辿り着けない。柱の男たちと戦う義務も義理もないのだが、そこを超えない限り標的に到達しない。海底に眠る彼を殺すのは現状の問題が解決してからになるだろう。例え地上最強の生物とまみえることになったとしても、死ぬわけにはいかなかった。
「妬けるな。おれがいながら他の男の話をするなんて」
からかい半分にシーザーが言えば千里はむっつりと黙り込んでしまった。そもそも彼女は冗談が通じても冗談を好むような性格ではない。無駄話は一切合切黙殺し、必要なものとそうでないものを明確に取捨選択する。シーザーはちょっと困った顔をして「冗談だ」と呟く。言い訳にするには非常にお粗末なものだった。
「大丈夫だ。きみは波紋の戦士ではないのだから戦うことにはならないさ」
千里の抱く不安を違う意味で汲み取ったシーザーは安心させるように語りかけるが、それが慰めにならないことに彼は気付いていない。瞼を下ろしたままの横顔がなにを考えているのかシーザーにはわからなかった。五十年後にいた千里を知らないからだ。血の気が多くなくとも喧嘩っ早くなくとも彼女の生き方はいつも戦いと共にあったし、それで旅の仲間からは何度も苦言を呈されている。目的のためなら手段を選ばず、自分自身すらも駒の一つと考えているのか傷付くことをも厭わない。
そもそもただの女の子として扱うところからシーザーは間違っているのだと言える。熱心に鍛練に打ち込むその先に殺したくてやまない男の存在を知れば彼も考えを改めることだろう。または千里を諌めるかもしれない。しかしあいにくシーザーは彼女についてなにも知らなかった。国籍も年齢も、どこから来たのか、そしてなにが目的でここに留まっているのか、すべて知らない。それを知るのはリサリサのみである。
「千里はなんのために戦うんだ? ぼろぼろになるまで修行して一体なにを目指しているのか、おれに教えてくれないか」
回答は期待していなかった。千里がそう自身のことをぺらぺらと喋るような性格ではないとわかっていたからだ。それでも誰とも馴れ合わないひとりぼっちの女の子が自分を傷付けるほどに力を求める姿は異常にしか見えない。それにシーザーはひとりぼっちの女の子を放っておけるような性格ではなかった。
案の定、千里はなにも言わなかった。瞼を上げようともせず、だからといってその場から動くこともなく、物静かにシーザーの隣に座っているままだった。夜風が二人の髪を撫でていく。その夜風に混ざって聞こえた小さな雑音は確かに彼らの耳に届いた。その雑音よりも小さなため息をシーザーの鼓膜が拾う。思わず隣を見たのだが、千里の表情に変化はない。しかし確かに彼女から発せられたものだ。千里も呆れることくらいはあるのかと感心しながらシーザーは立ち上がる。行き先はもちろん雑音の発生源だ。
「ジョジョ、スージーQ。二人ともここでなにをしているか、教えてくれるよなあ?」
わずかに開いたドアを押せば案の定。よく知る男と女の子が一人ずつ。仲良くぴったりとドアに耳を押しつけるような姿勢でそこにいた。その姿勢のまま引きつった表情でシーザーを見上げ、無理矢理笑みを浮かべてみせる。
「シ、シーザーちゃんの顔こわーい」
「そ、そうよぉー。そんな顔しちゃあ千里が怖がっちゃうわー」
油の切れた機械よろしくぎこちない二人に対して、シーザーは負けず劣らず深い笑みを浮かべた。そこからの流れは想像せずともわかる。怒鳴り声から始まる二人分の叫び声。地獄の試練から戻ってきたばかりなのに元気な男たちである。
似たようなことが昔あったと、ふと千里は思い出す。いつの世でもお節介焼きはいるものかと三人のやりとりを聞きながら考える。あのときだって彼女の隣にお節介焼きの男がいた。なにかとやかましい男だった。いつだって彼は千里を構おうとしていた。
五十年後にいる彼らは今頃なにをしているのだろうかと考えた瞬間、千里は思考を止めた。自身はあちらを懐かしく思っているのだろうか。未練や望郷の念などらしくない。目的のためならばこの時代に骨を埋めても構わないと思っていたはずなのに、事実彼女はあちらのことを考えた。そして存外悪くなかったと思っている。騒がしさに囲まれて、それが当たり前だと感じていたのだと気が付いた。だから今もそこまで煩わしくは思っていない。余計なことを考えるだけでは留まらず、ここまでほだされていたのかと千里は嫌悪し、失望する。馴れ合いは望んでいない。はずだった。だがこのコミュニティに組み込まれようとしている。
逃げるように彼女はバルコニーから外へと飛び降りた。それに気付いたスージーQが悲鳴を上げる。ジョセフとシーザーが慌ててバルコニーから身を乗り出せば、すぐ下の階のテラスに彼女はいた。しかしその姿は建物の陰に消えてしまった。