あなたの手を伸ばしなさい

 酷く惨めだと千里は思う。助けられるのは性に合わない。誰かの力を借りなければならない惨めさが彼女に重くのしかかる。手も足も出ない。足掻いてもどうにもならない。自分一人ではなにもできない。仕方ないとはわかりつつも彼女のプライドはズタボロだ。強くなくとも弱くありたくない。そう思って生きてきた彼女が微力どころか非力なのだとヘルクライムピラーは嘲笑う。開きなおり、人の助けを受けて平然としていられるほど厚顔無恥ではない。借りなど作らないに限る。しかも彼が祖父の友人だと知ってしまっているから、たちが悪い。千里は未だに彼との接し方がわからずにいる。まったく関係ない赤の他人だったならばよかったのだが、彼は祖父の友人で、近い将来にその若い命を散らして、五十年後に千里がスタンドを発現させる要因に絡んでくる。また彼の墓参りのときに見せた祖父の表情が忘れられない。余計なことを考えないよう意識すればするほどシーザーという青年の存在が際立つ。どう関わればいいか、未だに彼女は戸惑う。
 せめて気絶でもしていたならば幾分か楽だったことだろう。しかし千里の意識ははっきりしてしまっている。ゆえに酷く長い一秒一秒は確かに彼女に突き刺さる。現在進行形で足手まといになっている事実と人に助けられている現実は確実に千里の矜持を叩き壊そうとする。シーザーと彼女を支えるジャケットも同様だ。さすがに両手足を使わないと登れないからと彼が自身のジャケットで千里と自分を結わえ付けたのである。否が応にもシーザーの背中にしがみついていなければならず、同時に不本意ながらも彼の体温を享受する。大きな背中に背負われるしかない屈辱、酷く惨めだ。千里にできることはなにもない。

「嫌かもしれないが登りきるまで我慢してくれ」

 シーザーもさすがに千里が嫌々背負われているのだと気が付いている。しかしその理由までは理解していないままだ。しかしそれも仕方のないことである。彼女はなにも語らない。自身についてはもちろんのこと、感情も感想もなにも言わない。表情にだって微塵も浮かべないのだから、シーザーが千里を正確に理解することは難しい。だがずっと沈黙を守り続けていられては彼も気が気でない。元々口数の少ない少女だとは思っていたが、ここまでだんまりを貫かれてしまうとやはり心配になり、また気になってしまう。複雑な女心とはまた違うらしい彼女のそれをシーザーは未だ理解できずにいる。

「……なにか言ってくれないか。ずっと黙られていては不安になる」

 耐えかねてシーザーは背負う少女にそう言った。背中に少女の体温と重さを感じながらも、ぴくりとも動かないため起きているのか眠っているのかすら判断しかねていたのである。肩から首に回る両腕も力なく、落ちる心配はなさそうだがそれでも彼女は大丈夫かと気になる。だがシーザーの鼓膜を震わせる声はいつまでも聞こえなかった。しかし彼の言葉に反応するかのようにわずかに身じろいだ気配に、千里が起きているのだと察する。彼女は今どんな表情をしているのだろうかと気になったが、それを確認する術はない。

「上につくまで退屈かもしれないなら、そうだな……少しおれの話をしようか」

 そうして自身のこと、祖父と父のこと、ジョセフとの関係を語りだす青年の声を聞きながら千里はわずかに唇を噛み締める。あまり聞きたくない内容だからだ。彼女は下手に他人のことを知るべきではないと考えている。中途半端に相手を知ってしまえば、中途半端な情がわく。切り捨てることに躊躇いが生じる。それが自滅につながる恐れがあるのだと彼女は知っていた。だが耳を塞ぐことができない今、どうしたって聞くしかない。

「きみの祖父や父親はどんな人なんだ?」

 話に付き合う義理も必要もないのだから沈黙を守っていればよかったのに千里の口は動き出す。話さなければならないような気がしたと言っても言い訳にはならない。

「――祖父のことは尊敬している」
「そうか……千里がそう言うのだからきっと素晴らしい祖父なんだろうな」

 それがあなたの友人だとは言えない。あなたの友人の孫が自分なのだと言うだけ無意味だと千里は知っている。複雑な気分とはこういうものなのだろうとどこか遠くで思いながら、彼女は小さく息を吐き出した。思い出したくないことを思い出し、考えたくないことを考える。センチメンタルなど似合わない。あの男を殺すまで振り返る暇など一切ないはずなのにこれは一体どうしたことか。男らしい広い背中に掴まりながら、彼女は思考を切り替えようとした。しかし失敗する。
 初期に比べてすいすいとシーザーは地獄の柱を登っていく。人一人背負う程度の軽い負荷は今の彼にとってちょうどいい修行だ。修行の結果による自身の変化に驚きながら、やはり彼の思考を埋めるのは千里の存在だ。難攻不落の鉄壁なんて言えば失礼だが、彼女は一切揺らがない。甘い囁きも優しい微笑みもまったく通じない。酷く生真面目な彼女を落としたいとはさすがに思わないが、笑顔くらいは見てみたいとシーザーは思う。素材がいいからきっととても綺麗なんだろうと思うのだ。なんにせよ、女の子に血みどろの戦いは似合わない。

「きみがなにを目指して修行をしているのかは聞かない。聞いても教えてくれないだろうから。――だが決して一人で戦おうとしないでくれ。きみは一人じゃあないんだ」

 背中の彼女はなにも言わないが、わずかに体が強張ったのがシーザーの体に伝わった。本当にわずかな変化だ。どの言葉に反応したのかシーザーにはわからない。だが千里は確かに反応したのだ。