ジョセフとシーザーが最終試練を受けるとしても、千里にはまったく関係のないことだ。いつも通りの鍛練と、いつも通りの食事の時間。そののち再度スタンドを発現させた鍛練をして日付が変わるころに眠りにつくのが彼女の午後から夜の過ごし方だ。合間合間にスージーQの手伝いを行うが、大半は自身の鍛練のために時間を費やしていた。
彼女の部屋からそれぞれの試練が行われる試練場がよく見える。手前の試練場は同じ島内にあるため肉眼でどうにか見える程度の距離だが、もう一つの試練場は本島からは少し離れた出島にあるためさすがに見えない。島内の試練場ではシーザーとメッシーナが、出島ではジョセフとロギンズが最終試練を行うらしい。
いつも通り日付が変わったころにベッドに入った千里だったが、夜明けが間近に迫った頃、不意に目が覚めてしまう。短時間だがしっかりと睡眠が取れたのか、眠気はない。時計を見てそろそろ最終試練の時間だと気付いた彼女は、ベッドから出てバルコニーに出ることを選択した。何気なくスナイパーライフルを発現させて暗視スコープを覗く。月明かりのない星の瞬く夜のため月夜より暗いがそれでも星明かりがあれば十分だし、松明の炎がそれなりに試練場を照らし出していた。島内の試練場にはシーザーとメッシーナが揃っていたが、まだ始まっていない様子である。スコープの向ける先を出島へと変えれば、ロギンズの姿を見つけ出すことができた。周囲を見回せば、ちょうど出島への道をジョセフが歩いているところが見えた。
最終試練が始まっていれば少しくらい見ようかとも思っていたが、未だ始まっていないのならばそれまで待つ必要もない。ベッドに戻ろうと千里がスコープから目を離そうとした刹那、出島にもう一つ人影が現れたような気がして再度彼女はスコープを覗きこんだ。まさかジョセフが現れたとは考えにくい。だが千里の気のせいではなく、確かにロギンズ以外の誰かが試練場に現れた。その人影は動かないが、明らかジョセフより大きく、またロギンズはそれに気付いていない様子だ。スコープの倍率を上げ、目を凝らす。
動かない人影は男だった。それも巨体であり、異様な恰好をしている。あれは人間ではない。スコープ越しながらも彼女は理解した。そんなものが気まぐれでこんなところに現れるはずがない。なにかしらの目的がなければこのような孤島を訪れる理由がない。そして彼らの置かれている状況。ここ数日の彼女にしては珍しく、正常に思考が働いた。脳内で警鐘が大きく響き渡る。
ぬるりと大きな人影が動き出す。その先にいるのはロギンズだ。それを把握した瞬間、スナイパーライフルを握る千里の手に力が入る。嫌な予感ではなく、確信が彼女に囁きかけた。呼吸を抑え、夜風の吹く方向を気にしながら銃口の向く先を調整し、全神経を引き金にかかる左人差し指に集中させた。久しぶりに感じるある種の緊張感。標的までの距離を考えるとヘッドショットは無理だ。仮に当たったとして、たった一発で倒せるとは思えない。狙いを定める前に影がロギンズに襲いかかった。スコープ越しに映し出されたそれを前にして動揺する心を無理矢理落ち着かせ、チャンスを狙う。狙撃する際、決して慌ててはならないと教えられていた。無音になる。聞こえるのは自身の鼓動だけだ。
ロギンズの待っている試練場へと入ったジョセフの足にこつりと固いものがぶつかった。訝しんで拾い上げれば見覚えのある帽子。指先にぬめった感触があり、よく見ればそれは血液だった。見上げると松明の光で浮かび上がる二人分の不自然な人影にジョセフは訝しみ、よくよく目を凝らして、瞠目した。一人が片足でもう一人を持ち上げているのだ。持ち上げられているのはロギンズだった。そして、持ち上げている人物を彼は知っている。
「エ……エシディシ……!」
もうエイジャの赤石のありかを突き止めてこの島へ追ってきたのか。ジョセフの頭が現状を理解した瞬間、エシディシと目が合った。ジョセフが睨みつけるも敵の目はすぐにそらされ、試練場を見回す。
「この島は……人の住むようなところではないらしい……おもしろそうな闘技場のようではあるが……」
エシディシの目が本島へと向けられる。
「すると……隣の島だったか……エイジャの赤石を持つ女がいるという島は……」
その瞬間、波音の合間を縫うように一発の銃声が響き渡った。この状況にはまったく似つかわしくない破裂音とともにエシディシの頬が抉られ、血が噴き出す。銃声が聞こえたのは本島の方からだ。本島にも敵が現れたのかとジョセフは慌ててそちらを見るが、この暗闇ではなにも見えない。頬から血を垂れ流したまま、エシディシが薄い笑みを浮かべた。
「ほう。女がいるな……しかもただの銃弾ではないようだ……この距離から当ててくるとはおもしろい……」
女がいると聞いてジョセフの頭に最初に浮かんだのはリサリサの姿だったが、波紋の使える彼女がわざわざ柱の男に効かないとわかっている銃を使うわけがない。エシディシの傷が徐々に治っていく様子から波紋をまとった銃弾ではなかったようだ。やはりリサリサは除外される。だからといってスージーQは非戦闘員である。ならば、とジョセフの頭に思い浮かんだのは千里であるが、彼女が銃を使うところなど一度も見たことがない。しかし千里はジョセフも知らないなにかを持っている。それがエシディシを狙撃したこととつながるのかはわからないが、それでも消去法から可能性は千里しか残らない。この遠距離を当てたのはさすがだが援護にしてはちょいとばかし頼りないぜ。内心苦笑したのち、ジョセフは意識をエシディシに戻した。
一方で千里はスコープから目を離していた。意図的ではなく、本能的な恐怖が彼女にその行動をさせたのである。狙撃して敵の顔に銃弾がかすめたことを確認した直後、スコープ越しに敵と目が合ったのである。この距離で気付かれた。遠くにいるが、スコープのせいで近くに見えた不敵な笑み。息が詰まる。再度スコープを覗きこむ勇気が出ない。背中から吹き出る嫌な汗。紛うことなき恐怖が千里を襲う。DIOを前にしたときでも決して感じたことのなかった種類の感情だ。ヘルクライムピラーに落ちる前の彼女であったならばここまで恐怖することはなかっただろう。しかしあいにく彼女は地獄に落ちた。そして自身の弱さと無力さを痛感した。そこで一度立ち止まってしまったがために、千里はエシディシに対して恐怖を抱いたのである。
敵に居場所を知られたが、敵の目の前にはジョセフがいる。微力ながらも援護しなければと千里は新たな銃弾をスナイパーライフルに込めようとするのだが、指先が震えてうまくいかない。痺れを切らして新たなスナイパーライフルを発現させた。自力で構えるには震える腕が邪魔をする。バルコニーの縁で銃身を支えてどうにか再度出島へと銃口を向けた。スコープを覗きこむには幾分かの勇気が必要であったが覗きこまなけれは狙撃できないと千里は何度か瞬きをしたのちに右目をスコープに押し付けた。
ジョセフとエシディシの戦闘はすでに始まっていた。千里がスコープを覗きこんだとき、ちょうどジョセフがエシディシの左腕を切り飛ばしたところであった。泣き出す敵の様子を遠くから眺めているだけというのに彼女の額には嫌な汗が浮かぶ。夜風の流れを感じる余裕もない。こんなところで怖がっていても仕方がないのだと歯噛みをしても、確かに感じてしまった恐怖は否定できない。それを克服するだけのものを千里は持っていないため、結局はスコープ越しにジョセフが勝利する瞬間を眺めていることしかできなかった。